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フレディ・ムーラー(Fredi Murer、あるいはフレディ・M・ムーラー、Fredi M. Murer、本名Alfred Melchior Murer、1940年10月1日 ベッケンリード - )は、スイスの映画監督である。「ヌーヴォー・シネマ・スイス」のキーパーソンのひとりであり、『山の焚火』の監督として知られる。
1940年10月1日、スイスのドイツ語圏の山岳地帯、ニトヴァルデン準州ベッケンリードに生まれる。6人の子どもたちの末っ子として、ウーリ州の州都アルトドルフで育ち、両親はその後そこに定住した。1959年、チューリッヒの美術学校に入学する。
ヴォー州ローザンヌでの「スイス博(Expo64)」での共同作業ののち、シネアストとして活動をすることになる。1965年、『パシフィック』が第一回スイス映画祭で上映される。また翌1966年には短篇『チコレ』が。オーバーハウゼン国際短編映画祭(International Short Film Festival Oberhausen)で国際賞を受賞。1960年代末、イギリス・ロンドンで教鞭をとる。『エイリアン』(1979年)で有名になる以前の画家H・R・ギーガーとの交流から、2本の映画を撮る。
イギリスから戻り、最初の長篇ドキュメンタリーとして山の農民に捧げられた作品『われら山人』(1974年)を監督する。アメリカに滞在し、つづいて現代の都市生活での実存的不安を懐疑したフィクション劇映画『灰色の領域』(1978年)を撮った。1985年には、ギリシア悲劇的アクセントをもつ山岳住民の近親相姦を描いた『山の焚火』で真のインパクトを生み出し、ロカルノ国際映画祭のグランプリである金豹賞を受賞した。
2004年から自らの製作会社「FMMフィルム」での製作を始める。
2006年、『僕のピアノコンチェルト』を監督、非常に多くの国際的な賞を受賞した。日本では、同作が2007年晩秋に公開の予定であるが、かつて『山の焚火』公開時に、東京のアテネフランセ文化センターでそれまでの全作品が特集上映されている。おなじドイツ語圏のダニエル・シュミット、フランス語圏のアラン・タネール、クロード・ゴレッタ、ミシェル・ステーとならんで、1960年代末に巻き起こった「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の重要人物である。
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