パヴェル・コーガン
ウィキペディアから
ウィキペディアから
パヴェル・レオニドヴィチ・コーガン[1](ロシア語: Па́вел Леони́дович Ко́ган;ラテン文字転写:Pavel Leonidovich Kogan、1952年6月6日 - )[2]は、ソビエト連邦・ロシアの指揮者。
1952年、モスクワにレオニード・コーガンとエリザヴェータ・ギレリス(エミール・ギレリスの妹)の息子として生まれた。当初はモスクワ音楽院でユーリ・ヤンケレヴィチの下でヴァイオリンを学び、1970年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールでリアナ・イサカゼと1位を分け合った。一方で、イリヤ・ムーシンとレオ・ギンズブルクに師事して指揮法を学び、1972年にソヴィエト国立交響楽団で指揮者デビューを果たした。
以後、エフゲニー・ムラヴィンスキーやエフゲニー・スヴェトラーノフらの招きに応じてソ連国内の主要オーケストラに客演を重ねた。1988年から1990年までザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、1989年にはモスクワ国立交響楽団の首席指揮者に就任した。1998年から2005年までユタ交響楽団の首席客演指揮者を兼任した。
2022年、モスクワ国立交響楽団の首席指揮者職を辞任した。辞任報道は同年4月25日になされたが、ロシアのウクライナ侵攻が開始された2月24日以降の演奏会出演をキャンセルしていたと伝えられている[3]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.