パウロ・オルランド

ブラジルの野球選手 (1985 - ) ウィキペディアから

パウロ・オルランド

パウロ・ロベルト・オルランドPaulo Roberto Orlando, 1985年11月1日 - )は、ブラジル連邦サンパウロ州サンパウロ出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。メキシカンリーグベラクルス・イーグルスに所属。

概要 ベラクルス・イーグルス, 基本情報 ...
パウロ・オルランド
Paulo Orlando
ベラクルス・イーグルス
Thumb
ロイヤルズ傘下時代
(2014年9月19日)
基本情報
国籍 ブラジル
出身地 サンパウロ州サンパウロ
生年月日 (1985-11-01) 1985年11月1日(39歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2005年 アマチュアFA
初出場 2015年4月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ブラジル
WBC 2013年
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経歴

要約
視点

プロ入り前

高校時代まで短距離のブラジル代表として活躍していた。

プロ入りとホワイトソックス傘下時代

2005年1月21日にシカゴ・ホワイトソックスと契約してプロ入り。

2006年に傘下のA級カナポリス・インティミディターズ英語版でプロデビュー。116試合に出場して打率.262、6本塁打、31打点、29盗塁を記録した。

2007年はA+級ウィンストン・セイラム・ワースホッグス英語版でプレーし、102試合に出場して打率.253、8本塁打、34打点、20盗塁を記録した。

2008年もA+級ウィンストン・セイラムでプレーし、112試合に出場して打率.261、12本塁打、51打点、29盗塁を記録した。

ロイヤルズ時代

2008年8月9日にホラシオ・ラミレスとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[1]。移籍後は傘下のA+級ウィルミントン・ブルーロックスでプレーし、18試合に出場して打率.254、3本塁打、9打点、1盗塁を記録した。

2009年もA+級ウィルミントンでプレーし、101試合に出場して打率.261、2本塁打、34打点、20盗塁を記録した。

2010年はAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズでプレーし、121試合に出場して打率.305、13本塁打、64打点、25盗塁を記録した。

2011年はまずAAA級オマハ・ストームチェイサーズで58試合に出場したが、打率.235、1本塁打、27打点、6盗塁と結果を残せず、7月にAA級ノースウエストアーカンソーへ降格した。同球団では45試合に出場して打率.305、4本塁打、24打点、8盗塁を記録した。

2012年はAA級ノースウエストアーカンソーでプレーし、116試合に出場して打率.279、6本塁打、40打点、21盗塁を記録した。

オフに第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のブラジル代表に選出された[2]

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBC本戦のブラジル代表に選出された。

シーズンではAAA級オマハでプレーし、92試合に出場して打率.276、5本塁打、46打点、8盗塁を記録した。

2014年もAAA級オマハでプレーし、136試合に出場して打率.301、6本塁打、63打点、34盗塁を記録した。オフの11月3日にロイヤルズとメジャー契約を結び、40人枠入りした[3]

2015年は初めて開幕25人のロースター入りを果たすと4月10日のホワイトソックス戦に「8番・左翼手」で先発出場し、ブラジル人史上3人目のメジャーデビュー(野手ではヤン・ゴームズに次いで2人目)を果たした。第二打席にジョン・ダンクスから三塁打を放ちメジャー初安打を記録した。この年は控え外野手としてコンスタントに出番を得て、86試合で打率.249、7本塁打、27打点、3盗塁という成績を残した。なお、四球が極端に少なく5つだけであり、出塁率は打率より.020高いだけだった。守備面では45試合で右翼手、37試合で左翼、5試合で中堅手を守り、計4つの失策を犯したものの、全ポジションでプラスのDRSを記録、トータルでは+8を記録した。

2016年は右翼のレギュラーに抜擢され、128試合に出場。打撃面では打率.302、5本塁打、43打点、14盗塁という好成績を残した。ただ、13四球に対して105三振を喫し、選球眼の課題も残った。右翼の守備は、89試合で3失策・守備率.982・DRS +5、中堅37試合で1失策・守備率.988・DRS +5と、いずれのポジションでも好守を発揮した。

2017年は39試合に出場して打率.198、2本塁打、6打点、1盗塁を記録した。

2018年は25試合に出場して打率.167、5打点を記録した。オフの11月2日にFAとなった[4]

ドジャース傘下時代

2019年1月4日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[5]

ホワイトソックス傘下復帰

2019年5月10日に金銭トレードで、ホワイトソックスへ移籍したが[6]、8月19日に解雇された。

メキシカンリーグ時代

2020年3月12日、アメリカ独立リーグのアトランティックリーグに所属するサマセット・ペイトリオッツと契約した。しかし、COVID-19の影響でリーグ開催がキャンセルされたため、試合に出場することなく退団した。7月3日にメキシカンリーグドスラレドス・オウルズと契約した[4]

2021年もドスラレドス・オウルズと契約したが、6月4日にリリースされた[4]。6月8日にベラクルス・イーグルスと契約した[4]。8月28日に独立リーグであるアメリカン・アソシエーションカンザスシティ・モナークスへ派遣された。ここでは優勝を経験している。

2022年1月28日に前年途中まで所属していたベラクルス・イーグルスに復帰した[7]

人物・プレースタイル

サンパウロ生まれで、12歳のころに日系の子どもたちに交じって野球に親しんだ[8]。 俊足が特徴で国際陸上競技連盟の公式ホームページの選手名鑑によれば、2004年4月(18歳時)の大会で200メートル21秒10、400メートルで46秒58を記録している[9]。 マイナー9年間通算で200盗塁、63本の三塁打を記録した俊足であり、メジャー昇格後は最初の3安打がすべて三塁打であった。これは史上初の記録である。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2015 KC 8625124131601467107273321502530.249.269.444.713
2016 1284844575213824451854314333131710512.302.329.405.734
2017 3990869173022661100102203.198.225.302.527
2018 2593906153001850000300253.167.194.200.394
MLB:4年 2789188749823044101433681187542211120318.263.289.384.673
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  • 2018年度シーズン終了時

背番号

  • 16(2015年 - 2018年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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