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ハウィー・ケンドリック

アメリカの野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから

ハウィー・ケンドリック
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ハワード・ジョゼフ・ケンドリック3世Howard Joseph Kendrick III, 英語発音: [ˈhaʊɚd ˈd͡ʒoʊzəf ˈkɛndrɪk][1]; 1983年7月12日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州デュバル郡ジャクソンビル出身の元プロ野球選手二塁手三塁手左翼手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

要約
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プロ入り前

ウェスト・ナッソー高等学校英語版を卒業後、セント・ジョンズ・リバー・コミュニティカレッジ英語版へ進学し、カンファレンスのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞[2]

プロ入りとエンゼルス時代

2002年MLBドラフト10巡目(全体294位)でアナハイム・エンゼルスから指名を受け、6月19日に契約成立[2]。この年からマイナーリーグ(ルーキー級)でプレーを始める(42試合出場)[3]

2004年には、ルーキー級アリゾナリーグ・エンゼルスとA級シーダーラピッズ・カーネルズの2球団合計で78試合に出場して打率.363、10本塁打、49打点出塁率.388、OPS.957、17盗塁をマークし、9月1日にミッドウェストリーグのオールスターに出場した他、Topps (トップス社)のA級オールスター・チームにも選出されている[4]

2005年は、A+級ランチョクカモンガ・クエークスとAA級アーカンソー・トラベラーズの2球団合計で109試合に出場して打率.367、19本塁打、89打点、出塁率.406、OPS 1.020、25盗塁という数字を記録し、6月28日にはカリフォルニアリーグのミッドシーズン・オールスターに、9月5日には同リーグのポストシーズン・オールスターに出場した他、Toppsとベースボール・アメリカ誌が選ぶオールスター・チームにも選出された。また、オフのウィンターリーグでは、アリゾナ・フォール・リーグのオールプロスペクト・チームに選ばれている[4]。シーズン終了後、チーム内の有望株リストで2位にランクされ、ベストヒッター・フォー・アベレージに挙げられた[5]

2006年4月26日のデトロイト・タイガース戦において「9番・二塁手」でスタメン起用され、メジャーデビュー(4打数安打)。5月1日のオークランド・アスレチックス戦では、センター前に初安打を放っている。当時の二塁には好守で長年チームを支えてきたアダム・ケネディがおり、より多くの出場機会を得るために一塁手三塁手としてもプレー。しかし結果が出せず、2週間ほどでマイナー降格を命じられたものの、AAA級ソルトレイク・ビーズで69試合に出場して打率.369・13本塁打・62打点・出塁率.408・11盗塁と成長し、7月9日はフューチャーズゲームに、7月12日にはパシフィックコースト・リーグのオールスターに出場[4]。前年に引き続きベースボール・アメリカ誌が選ぶオールスター・チームにも選出された他、同リーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーと、AAA級のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞。7月14日にはメジャー再昇格を果たし、16試合連続安打をマークするなど、序盤戦の不振を払拭した。

2007年は前年オフにケネディを放出したため、正二塁手として起用されたが、2度の故障者リスト入りもあり、88試合の出場にとどまった。左手指骨折に泣かされはしたものの、高打率を残し、「特に走者を置いた状況での打撃に進歩の跡が見られる」とマイク・ソーシア監督を感心させた[6]

2008年もケガに見舞われ、4月と8月にハムストリングを痛めて2度の故障者リスト入り[7]。出場数は100未満に留まった。一方で打撃は好調をキープ。左右両投手、ホーム・アウェー全てにおいて打率.300を超え、特に走者が居る時は.351、得点圏では.366[8]を記録した。

2009年は自身初のシーズン100試合以上(105試合)に出場。3年連続の打率.300超えこそならなかったものの、打率.291を記録し、シュアな打撃の健在ぶりを見せた。出場試合数が増え、本塁打(自身初の二桁本塁打)と打点でも自己最高の数値をマークした。

2010年は158試合に出場し自身初の規定打席到達を果たした。しかし打率は自己最低の数値であり、出場試合数が増加したが、本塁打は増えなかった。

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ロサンゼルス・エンゼルス時代
(2011年9月16日)

2011年は2年連続で規定打席に到達。三振119を記録し、打率も2年連続で.300に届かないなど、好打者としての性質がやや減退するが、一方でいずれも自己ベストとなる6三塁打、18本塁打を放ち、長打力が伸びた。また、自身初のオールスター出場も果たした。

2012年は2年連続の100三振以上となる115三振を喫した。

2013年は4年連続で規定打席に到達したが、規定打席に到達したシーズンとしては最少となる122試合の出場だった。一方、打撃面では規定打席に到達したシーズンとしては最高の打率.297、最少の89三振を記録し、シュアな打撃を取り戻した。4月23日には、サヨナラ本塁打を含む1試合2本塁打を記録[9]。7月30日には通算1000安打に到達した[9]

2014年も正二塁手として157試合に出場し、チームトップの181安打を記録。ホームランは約半減となる7本に終わったが、4年連続.285以上となる打率.293・75打点・自身4度目となる14盗塁を記録した。守備では11失策を喫して守備率.984だった。

ドジャース時代

2014年12月10日にアンドリュー・ヒーニーとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[10]

2015年11月2日にフリーエージェント(FA)となった[2]

2016年2月4日にドジャースと2年総額2000万ドルで契約を結んだ[11]。この年は前年途中に加入したチェイス・アトリーの存在もあって左翼手での出場が増えた。146試合に出場し、2シーズンぶりの二桁盗塁となる10盗塁を決めたが、打率.255、8本塁打、40打点に終わった。

フィリーズ時代

2016年11月11日にダリン・ラフダーネル・スウィーニー英語版とのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[12][13]

2017年は4月後半には腹部の張りで故障者リスト入りしたこともあり、出場試合は少なかったが開幕から好調で、前半戦を33試合の出場で打率.349、2本塁打、14打点の成績で終えた。

ナショナルズ時代

2017年7月29日にマッケンジー・ミルズ英語版および金銭とのトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍した[14]。移籍後も主に左翼手として起用されると移籍前より調子を落としたが、それでも打率.293を打った。しかしポストシーズンでは代打での出場しかなく、安打も放てなかった。11月2日にFAとなった[15]

2018年1月18日にナショナルズと2年700万ドルで再契約を結んだ[16]。開幕から主に二塁手として出場したが、5月19日のドジャース戦の守備でアキレス腱を断裂し、残りのシーズンを欠場した[17]

2019年序盤は二塁手やアンソニー・レンドンの離脱に伴い三塁手として起用されていたが、5月以降は主に一塁を守った。途中出場も多く、8月には左太もも裏の張りで故障者リスト入りしたが、7月以外は月間打率が全て3割を超える打撃を見せ、最終的に121試合で打率.344、17本塁打、62打点を記録した[18]。ポストシーズン、主に二塁手として起用され、ディビジョンシリーズ第5戦では延長10回表に決勝打にしてシリーズ突破を決める満塁ホームランを放った[19]チャンピオンシリーズでも15打数5安打(4二塁打)、4打点の活躍で球団初のワールドシリーズ進出に貢献し、シリーズMVPを獲得した[20]ワールドシリーズ第7戦で逆転本塁打を放ち、球団史上初のワールドチャンピオンに貢献した。オフにはハート&ハッスル賞を受賞[21]。10月31日にFAとなった[22]が、12月8日に1年625万ドルで球団と再契約を結んだと報道され[23]、10日に正式公示された[2]

2020年オフの10月28日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[24]。オフの12月21日に自身のInstagramにおいて現役引退を発表した[25]

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プレースタイル

2005年辺りから「マイナー最高打者」との評判が定着し、ベースボール・アメリカ誌の有望株リストでは、2006年版12位にランクされた[26]。天才的なコンタクトを誇り、内角低目から外角高目まで幅広く対応出来るため、「右のトニー・グウィン」とも称されている。スイングはコンパクトでシャープ、かつリストも強いので、痛烈なラインドライブを打てる。特に「投球の組み立てを理解出来るようになった」と語る2005年以降、長打力が増した。体格の不利を豊富な練習量で補って来た努力家でもあり、「将来の首位打者」との呼び声も高い。広角に打ち分ける卓越した打撃センスを有する反面、積極打法のため四球は選ばない。スピードがあり、レンジ(守備範囲)も広いが、盗塁技術に関しては改善の余地がある。また、故障がちな虚弱体質も不安材料。グラブさばきは基本に忠実で、二塁手の他に一塁手・三塁手としてのプレー経験がある[27][28][29][30][31][32]。2016年シーズンからは同じ二塁手に前年シーズン途中から加入したチェイス・アトリーがいることもあり、左翼手として出場することも多くなった。

マイナー7年間の通算成績は、打率.360・出塁率.403・OPS.974・75盗塁(成功率74パーセント)。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

内野守備
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外野守備
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表彰

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 47(2006年 - 2017年7月28日、2019年 - 2020年)
  • 4(2017年7月29日 - 同年終了)
  • 12(2018年)
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脚注

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関連項目

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外部リンク

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