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ヌリア・リャゴステラ・ビベス(Nuria Llagostera Vives, 1980年5月16日 - )は、スペイン・パルマ・デ・マヨルカ出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス16勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス35位、ダブルス5位。身長156cm、体重53kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
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ヌリア・リャゴステラ・ビベス | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | スペイン | |||
出身地 |
バレアレス諸島州マヨルカ島 パルマ・デ・マヨルカ | |||
居住地 | カタルーニャ州バルセロナ | |||
生年月日 | 1980年5月16日(44歳) | |||
身長 | 156cm | |||
体重 | 53kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1996年 | |||
引退年 | 2013年 | |||
ツアー通算 | 18勝 | |||
シングルス | 2勝 | |||
ダブルス | 16勝 | |||
生涯通算成績 | 662勝482敗 | |||
シングルス | 364勝282敗 | |||
ダブルス | 298勝200敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,636,375 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 3回戦(2001) | |||
全仏 | 4回戦(2005) | |||
全英 | 2回戦(2004) | |||
全米 | 1回戦(2001・04・05・08-11) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(2009) | |||
全仏 | ベスト4(2010・12) | |||
全英 | ベスト8(2008・09・11・12) | |||
全米 | ベスト4(2012) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 35位(2005年6月5日) | |||
ダブルス | 5位(2009年11月2日) | |||
1996年にプロに転向。2001年全豪オープンで予選を勝ち上がり4大大会に初出場し、キム・クライシュテルスとの3回戦まで進出した。全仏オープンでも3回戦まで進出したがその後は長く低迷が続いた。
2005年5月のSARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリで初めてのツアー決勝に進出し鄭潔を 6–4, 6–2 で破りツアー初優勝を果たす。全仏オープンでは1回戦で第23シードの杉山愛を 6-3, 4-6, 6-4 、3回戦では第13シードのナタリー・ドシーを 7-6 (1), 6-3 で破り4大大会シングルス最高成績の4回戦に進出した。4回戦では第2シードのマリア・シャラポワに 2-6, 3-6 で敗れた。大会終了後のランキングで自己最高のシングルス35位を記録している。
2005年から女子国別対抗戦フェドカップの代表に選ばれ、1回戦でアルゼンチンのヒセラ・ドゥルコを 6-4, 4-6, 6-3 で破り2勝2敗で迎えた最終戦のダブルスでもアナベル・メディナ・ガリゲスと組みヒセラ・ドゥルコ&マリア・エミリア・サレルニ組を 6-4, 6-4 で破り通算成績3勝2敗で勝利した。準決勝のフランス戦ではマリー・ピエルスに 4-6, 4-6、アメリ・モレスモに 3-6, 1-6 で敗れ通算1勝3敗で敗退した。2008年の中国とのフェドカップ準決勝ではシングルスで鄭潔を 6-4, 6-3 、彭帥を 6-4, 6-4 で破りダブルスと合わせて3勝を挙げスペインの勝利に貢献した[1]。決勝でスペインはロシアに0勝4敗で敗れ準優勝に終わった。
2008年からはマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスと組みダブルスで活躍する。2008年全仏オープンと2008年ウィンブルドン選手権でベスト8、2009年は全仏オープン以外の3大会でベスト8に進出し、最終戦のWTAツアー選手権にも出場し初戦でビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組を 2-6, 6-4, [10-8] で破り決勝に進出。決勝ではカーラ・ブラック&リーゼル・フーバー組を 7-6(0), 5-7, [10-7] で破り優勝し初めてのビックタイトルを獲得した。
リャゴステラ・ビベスはオリンピックスペイン代表として、2008年北京五輪と2012年ロンドン五輪の2大会に出場している。北京五輪ではシングルス1回戦でチェコのクララ・ザコパロバを 2-6, 6-3, 7-5 で破り初戦を突破し、2回戦で中国の鄭潔に 7-6(7), 1-6, 4-6 で敗れた。マルティネス・サンチェスとのダブルスでは1回戦でロシアのエレーナ・ベスニナ&ベラ・ズボナレワ組に 6-2, 1-6, 3-6 で敗れた。ロンドン五輪ではマルティネス・サンチェスと組んだダブルス1回戦でオーストラリアのケーシー・デラクア&サマンサ・ストーサー組を 6-1, 6-1 で破ったが、2回戦で中国の彭帥&鄭潔組に 2-6, 4-6 で敗れた。
リャゴステラ・ビベスは2012年からダブルスに専念している。2013年7月の大会でのドーピング検査で禁止薬物のメタンフェタミンが検出され2年間の出場停止処分を受け[2]、現役引退を発表した[3]。
大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (1–1) |
ティア IV & V (1–0) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2004年8月14日 | ソポト | クレー | マルタ・マレーロ | クラウディア・ヤンス アリシア・ロソルスカ |
6–4, 6–3 |
準優勝 | 1. | 2004年10月3日 | ハッセルト | ハード (室内) |
マルタ・マレーロ | マラ・サンタンジェロ ジェニファー・ラッセル |
3–6, 5–7 |
準優勝 | 2. | 2005年5月8日 | ラバト | クレー | ルルド・ドミンゲス・リノ | エミリー・ロワ バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ |
6–3, 6–7(6), 5–7 |
準優勝 | 3. | 2005年6月18日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | イベタ・ベネソバ | ディナラ・サフィナ アナベル・メディナ・ガリゲス |
4–6, 6–2, 6–7(11) |
優勝 | 2. | 2005年9月25日 | 北京 | クレー | マリア・ベント=カブチ | 晏紫 鄭潔 |
6–2, 6–4 |
優勝 | 3. | 2007年6月14日 | バルセロナ | クレー | アランチャ・パラ・サントンハ | ルルド・ドミンゲス・リノ フラビア・ペンネッタ |
7–6(3), 2–6, [12–10] |
優勝 | 4. | 2008年3月1日 | アカプルコ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | イベタ・ベネソバ ペトラ・チェトコフスカ |
6–2, 6–4 |
準優勝 | 4. | 2008年5月11日 | ベルリン | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | カーラ・ブラック リーゼル・フーバー |
6–3, 2–6, [2–10] |
準優勝 | 5. | 2008年6月14日 | バルセロナ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | ルルド・ドミンゲス・リノ アランチャ・パラ・サントンハ |
6–4, 5–7, [4–10] |
優勝 | 5. | 2008年7月13日 | パレルモ | クレー | サラ・エラニ | アーラ・クドゥリャフツェワ アナスタシア・パブリュチェンコワ |
2–6, 7–6(1), [10–4] |
準優勝 | 6. | 2009年1月5日 | オークランド | ハード | アランチャ・パラ・サントンハ | ナタリー・ドシー マラ・サンタンジェロ |
6–4, 6–7(3), [10–12] |
優勝 | 6. | 2009年2月22日 | ボゴタ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | フラビア・ペンネッタ ヒセラ・ドゥルコ |
7–5, 3–6, [10–7] |
優勝 | 7. | 2009年2月28日 | アカプルコ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | ルルド・ドミンゲス・リノ アランチャ・パラ・サントンハ |
6–4, 6–2 |
優勝 | 8. | 2009年4月19日 | バルセロナ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | ソラナ・チルステア アンドレヤ・クレパーチ |
3–6, 6–2, [10–8] |
準優勝 | 7. | 2009年7月11日 | ボースタード | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | フラビア・ペンネッタ ヒセラ・ドゥルコ |
2–6, 6–0, [5–10] |
優勝 | 9. | 2009年7月17日 | パレルモ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | マリヤ・コリツェワ ダリヤ・クツォワ |
6–1, 6–2 |
準優勝 | 8. | 2009年8月16日 | シンシナティ | ハード | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | カーラ・ブラック リーゼル・フーバー |
3–6, 6–0, [2–10] |
優勝 | 10. | 2009年8月23日 | トロント | ハード | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | サマンサ・ストーサー レネ・スタブス |
2–6, 7–5, [11–9] |
優勝 | 11. | 2009年8月29日 | ニューヘイブン | ハード | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | イベタ・ベネソバ ルーシー・ハラデツカ |
6–2, 7–5 |
優勝 | 12. | 2009年11月1日 | ドーハ | ハード | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | カーラ・ブラック リーゼル・フーバー |
7–6(0), 5–7, [10–7] |
優勝 | 13. | 2010年2月20日 | ドバイ | ハード | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | クベタ・ペシュケ カタリナ・スレボトニク |
7–6(5), 6–4 |
準優勝 | 9. | 2010年5月8日 | ローマ | クレー | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | フラビア・ペンネッタ ヒセラ・ドゥルコ |
4–6, 2–6 |
優勝 | 14. | 2011年4月9日 | マルベーリャ | クレー | アランチャ・パラ・サントンハ | サラ・エラニ ロベルタ・ビンチ |
3–6, 6–4, [10–5] |
準優勝 | 10. | 2011年7月9日 | ボースタード | クレー | アランチャ・パラ・サントンハ | ルルド・ドミンゲス・リノ マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス |
3–6, 3–6 |
優勝 | 15. | 2012年1月7日 | ブリスベン | ハード | アランチャ・パラ・サントンハ | ラケル・コップス=ジョーンズ アビゲイル・スピアーズ |
7–6(2), 7–6(2) |
優勝 | 16. | 2012年6月23日 | イーストボーン | 芝 | マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス | リーゼル・フーバー リサ・レイモンド |
6–4, 途中棄権 |
準優勝 | 11. | 2012年10月6日 | 北京 | ハード | サニア・ミルザ | エカテリーナ・マカロワ エレーナ・ベスニナ |
5–7, 5–7 |
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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