セルジオ・サントス (野球)

アメリカ合衆国の元プロ野球選手、プロ野球監督 ウィキペディアから

セルジオ・サントス (野球)

セルジオ・ホセ・サントスSergio Jose Santos, 1983年7月4日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベルフラワー出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
セルジオ・サントス
Sergio Santos
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シカゴ・ホワイトソックス時代
(2011年8月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ベルフラワー
生年月日 (1983-07-04) 1983年7月4日(41歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目(全体27位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名
初出場 2010年4月8日 クリーブランド・インディアンス
最終出場 2015年6月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

要約
視点

プロ入り前

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遊撃手時代のサントス(2008年)

カリフォルニア州ベルフラワーメキシコ移民2世として生まれる[1]

マイナー時代

2002年MLBドラフト1巡目(全体27位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名され、入団。

2005年ミゲル・バティスタオーランド・ハドソンとのトレードで、トロイ・グロースと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した。

2008年のシーズン途中にウェイバー公示され、ミネソタ・ツインズに移籍。

ホワイトソックス時代

2009年シカゴ・ホワイトソックスと契約し、遊撃手から投手に転向した[2]

2010年は開幕ロースターに入り、4月8日クリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。この年は56試合に登板し、防御率2.96(FIP3.10)という成績を残した[3]

2011年は開幕から16試合連続無失点と好スタート。4月下旬からは不振のマット・ソーントンに代わってクローザーを務め、最終的に30セーブを記録した。防御率は3.55と前年を下回ったが、FIPは2.87と向上した。奪三振率13.07は60イニング以上投げた投手ではデビッド・ロバートソンに次いで二番目に高い数字だった[4]。この活躍が評価され、9月30日に3年825万ドル(オプションも含めると最大で6年3100万ドル)で契約を延長[5]。しかし、ホワイトソックスはオフに本格的なチーム再建に着手した。

ブルージェイズ復帰

2011年12月6日ネスター・モリーナとの交換でトロント・ブルージェイズに移籍した[6]

2012年4月21日に肩の炎症で故障者リスト入りし、7月15日に手術を受けてシーズンを終えることが発表された[7]。移籍初年度は僅か6試合の登板に終わった。

2013年は開幕ロースター入りしたが、開幕後に三頭筋を故障し、4月15日に15日間の故障者リスト入りした。5月19日に60日間の故障者リストへ異動[8]。8月1日にリストから外れた[9]。この年は29試合に登板し、1勝1敗1セーブ、防御率1.75だった。

2014年も開幕ロースター入りし、開幕後は14試合に登板したが、5月12日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[10]。6月14日に復帰し、10試合に登板したが、防御率は7点台と結果を残せず、7月21日にDFAとなった[11]。7月23日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格した。AAA級では11試合の登板で、1勝0敗2セーブ、防御率0.00と好投し、8月23日に再びブルージェイズとメジャー契約を結んだ[12]。昇格後は2試合に登板したが、いずれの試合も失点を記録。8月27日にDFAとなり[13]、8月31日にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ降格した[14]。この年は26試合に登板し、0勝3敗5セーブ、防御率8.57だった。オフの11月1日にブルージェイズが球団オプションを破棄したため、FAとなった[15]

ドジャース時代

2015年1月8日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[16]。4月24日にメジャー契約となり40人枠入りしたが、5月27日にDFAとなった。6月6日に契約破棄条項を行使し自由契約となる。

ヤンキース時代

2015年6月10日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約をんだ。13日にメジャー契約となり25人枠入りする。ヤンキースでは2試合(3イニング)に投げ、0勝0敗、防御率6.00、3奪三振の成績を残したが、間もなく右肘を故障しトミー・ジョン手術を受けた[17]。11月2日にFAとなった[18]。この年を最後に現役を引退した。

現役引退後

2022年にルーキー級フロリダ・コンプレックスリーグ(FCL)に所属するニューヨーク・ヤンキース傘下FCLヤンキース英語版の監督に就任。チームをFCLチャンピオンシップに導き、リーグの年間最優秀監督賞に選ばれた[19]2023年はヤンキース傘下A+級ハドソンバレー・レネゲーズの監督を務めた[20]

2024年からはシカゴ・ホワイトソックス組織に移り、傘下AA級バーミングハム・バロンズの監督を務める[19]

選手としての特徴

主要な球種は平均95.6マイル(約153.9km/h)の速球スライダー。特にスライダーの評価は高く、2010年にはESPNから「現在のメジャーリーグで最も優れた決め球」と絶賛された[21]。制球力に不安はあるが、三振を奪う能力は極めて高い。

マイナーでの内野手としての通算成績は、777試合の出場で打率.248、77本塁打、373打点、OPS.699[22]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2010 CWS 56000022114.50023551.25322633568018172.961.53
2011 63000045302.44426063.14162953925025253.551.11
2012 TOR 600000120.000245.061400410559.002.00
2013 2900001118.5009025.21114202810551.750.58
2014 2600000350.00010621.02851820294022208.572.19
2015 LAD 1200000000----6113.11327101540774.731.50
NYY 200000000----123.031000300226.001.00
'15計 1400000000----7316.11637101840994.961.41
通算:6年 19400007123924.368788183.0155188813622723084813.981.33
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脚注

関連項目

外部リンク

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