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ビージーズの楽曲 (1977) ウィキペディアから
「ステイン・アライヴ」(Stayin' Alive)は、ポップ・グループのビージーズの楽曲である。メンバーのギブ三兄弟が制作し、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックから2枚目のシングルとして、1977年12月13日に発売された。
1978年2月4日から、全米シングルチャートで4週連続1位を記録した[2]。また、2021年に発表された『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において、99位にランクイン [3]。
ビージーズのマネージャーであるロバート・スティッグウッドは、彼が計画している映画のために曲を制作するようビージーズへ要請した[1]。まだ、この時点では映画は初期段階で、名前もついていなかった。ビージーズは、パリのスタジオで数日の間で「ステイン・アライヴ」を制作した。なお、有名なサウンドトラックは当時、税金対策のためフランスで録音されているものが多かった。
ドラマーのデニス・ブライオンの母親がセッションの最中に亡くなったため、ビージーズは代替メンバーを探した。しかし、フランスのこの地域で代わりのドラマーが見つからず、ドラムマシーンを使用することになったが、グループにはまだ満足できなかった。そこで、デニス・ブライオンの演奏ですでに録音された「恋のナイト・フィーバー」のドラムトラックを聴いた後、グループとエンジニアのアルビー・ガルテンは、その曲の2小節を別々のトラックに再録音(いわゆるドラムループ)し、「ステイン・アライヴ」のセッションで使用した。これによりこの曲全体を通して変わらないリズムとなっている。
なお、グループはジョークとしてこの曲のドラマーのクレジットを"Bernard Lupe"(セッションドラマーとして知られるバーナード・パーディーの名前をもじったもの)としたが、このドラマーが実在しないことが判明するまで、このドラマーが何者かということについてしばし話題となっていた。
日本では、2008年にホンダ・オデッセイ(4代目)のCMソングに起用された。また、NHK Eテレで放送されていた『ハッチポッチステーション』では、グッチ裕三が童謡「クラリネットをこわしちゃった」と合体した形で歌唱した[4]。
この曲は、当初シングルとして発売される予定はなかった。しかし、ラジオ局にリクエストが殺到したこともあり、サタデー・ナイト・フィーバーのサウンドトラック発売の1ヶ月後である1977年12月中旬にリリースされ、翌年2月には全米シングルチャートで1位を記録し、そのまま4週間滞在した。しかし、イギリスでは全英シングルチャートで最高4位を記録するのにとどまった[5]。
1978年は、ビージーズの年だった。「ステイン・アライヴ」から1位の座を奪ったのは、彼らの弟であるアンディ・ギブの「愛の面影」であり、その次に1位となったのはビージーズ自身の「恋のナイト・フィーバー」だった。その次に1位となったイヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハブ・ユー」も含めて、4曲すべてバリー・ギブが制作した曲である。
この曲は平均のテンポが103/分ということで、心臓発作を起こして倒れた人に行う胸骨圧迫(心臓マッサージ)で推奨されている100/分(ガイドライン2015では100〜120回/分に改訂)の速さにほぼ近いということを、米イリノイ大学医学部の研究チームが2008年に発表した。そのため、胸骨圧迫の速さを覚えるためにもこの曲が使われることが多い[10]。
日本では、「アンパンマンのマーチ」「ドラえもんのうた」「帰ってこいよ」「Diamonds」(手で強く押した後、裏打ちに合わせて一旦力を抜くことを意識でき、より効果を高められるとされる。)[11]「世界に一つだけの花」「夏色」などが、胸骨圧迫に近いテンポとして推奨されている[要出典]。
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