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ジ・エンフォーサー(The Enforcer、本名:Charles Weir[1]、1935年1月14日[2] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミシガン州デトロイト出身。生年は1943年ともされる[3]。
日本におけるプロフィールでは「少年時代から不良グループのリーダーとして喧嘩に明け暮れ、その腕っ節の強さを活かして合法的に金を稼ぐべく、1958年にプロレス入りした」などとされている[3]。"バスター" ギロチン・ゴードン("Buster" Guillotine Gordon)をリングネームに、1964年にはヨーロッパでリング禍を起こし対戦相手を死亡させ、欧州マットを追放されたという[3]。
1960年代半ばからはカナダのモントリオールやアメリカ南部のNWAジョージア地区など激戦区を転戦。大型ヒールとして頭角を現し、1967年下期よりニューヨークのWWWFに登場。クレージー・ルーク・グラハムやバロン・シクルナと組み、ブルーノ・サンマルチノ、エドワード・カーペンティア、ヘイスタック・カルホーン、スパイロス・アリオンなどベビーフェイスのスター選手と対戦した[4][5][6]。
1972年は中南部のNWAトライステート地区に入り、ダニー・ホッジ、ビル・ワット、ケン・マンテル、スタン・フレイジャー、イワン・プトスキー、グリズリー・スミスらと対戦[7]。同年10月からはイーヴィル・アイ・ゴードン(Evil Eye Gordon)と名乗ってNWAミッドアトランティック地区の前座試合に出場し、ジョニー・ウィーバー、ルーク・ブラウン、ジム・ディロン、ネルソン・ロイヤル、ロニー・ガービンなどと対戦[8]。1973年にはジョージア地区でアーニー・ラッドやカウボーイ・ボブ・エリスとも対戦したが[9]、以降1974年から1979年にかけて、しばらくリングを離れていた[1]。
1980年、マフィア・ギミックのエンフォーサー・ルシアーノ(Enforcer Luciano)に変身してミッドアトランティック地区に復帰[1]。スキンヘッドにソフト帽を被り、右眼には黒いアイパッチという殺し屋スタイルとなり、ブラックジャック・マリガンと「カウボーイ対マフィア」の抗争を展開、"Detroit Street Brawl Match" なるストリート・ファイト・デスマッチでも雌雄を決した[10][11]。ミッドアトランティックではマスクド・スーパースター、レイ・スティーブンス、グレッグ・バレンタインらヒール勢と共闘し、アンドレ・ザ・ジャイアントやリック・フレアーとも対戦している[12]。
この変身については、マット界から姿を消していた際、彼は実際にマフィア組織のエンフォーサー(取り立て屋)を仕事にしており、そのときのトラブルがもとで右眼を失明したとされている[13]。
1980年下期からはロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングを主戦場に、ミル・マスカラス、ドス・カラス、マンド・ゲレロ、アル・マドリル、フランク・ヒル、トム・プリチャードらと対戦[14]。オックス・ベーカーとも大型タッグチームを結成し、同地区認定のタッグ王座を再三獲得した[15][16]。ロサンゼルスでは、プロフェッサー・イトーこと上田馬之助が彼らのマネージャー役を務めていたこともある[17]。
翌1981年1月、ジ・エンフォーサー(The Enforcer)の名義で新日本プロレスに初来日[18]。2月9日に秋田で坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦した[19]。同年7月には外国人エースとして国際プロレスの最終シリーズに参戦し、8月6日に北海道室蘭にてラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に金網デスマッチで挑戦[20]。同王座への最後のチャレンジャーおよび木村の金網デスマッチにおける最後の対戦相手となった[21]。同シリーズには夫人のバニー・キャロルをマネージャーとして帯同しており、これが日本マットにおける初の女性マネージャーの登場とされている[13]。
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