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アメリカのテニス選手 ウィキペディアから
ジェームズ・ライリー・ブレーク(James Riley Blake, 1979年12月28日 - )は、アメリカ・ニューヨーク州ヨンカーズ出身の元男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス10勝、ダブルス7勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは4位(2006年11月20日付)。身長185cm、体重83kg、右利き。
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ジェームズ・ブレーク | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | James Riley Blake | |||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 |
同・ニューヨーク州 ヨンカーズ | |||
生年月日 | 1979年12月28日(44歳) | |||
身長 | 185cm | |||
体重 | 83kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1999年 | |||
引退年 | 2013年 | |||
ツアー通算 | 17勝 | |||
シングルス | 10勝 | |||
ダブルス | 7勝 | |||
生涯通算成績 | 498勝377敗 | |||
シングルス | 366勝256敗 | |||
ダブルス | 132勝121敗 | |||
生涯獲得賞金 | $7,981,786 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(2008) | |||
全仏 | 3回戦(2006) | |||
全英 | 3回戦(2006・07) | |||
全米 | ベスト8(2005・06) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8(2005) | |||
全仏 | 2回戦(2002) | |||
全英 | ベスト4(2009) | |||
全米 | 2回戦(2000・01) | |||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | 優勝(2007) | |||
ホップマン杯 | 優勝(2003・04) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位(2006年11月20日) | |||
ダブルス | 31位(2003年3月31日) | |||
デビスカップ2007でのデビスカップアメリカ合衆国代表の優勝に貢献。2003年・2004年ホップマンカップ優勝。2006年テニスマスターズカップ準優勝。
ブレークは5歳からテニスを始めた。13歳の時、重症の「脊柱側弯症」(scoliosis)と診断され、テニスを断念した時期がある。1998年に名門ハーバード大学へ入学したが、2年で中退、1999年からプロテニス選手になった。一時期は男性モデルの仕事をしたこともある。ブレークの名が世に知れわたったのは、2001年全米オープン2回戦。対戦相手のレイトン・ヒューイットがフット・フォールトを黒人の線審に指摘され、その線審とブレークを交互に指差して、主審に暴言を吐き、この発言をテレビカメラのマイクが拾ったことから、会場は騒然となった。試合では4-6, 6-3, 6-2, 3-6, 0-6でブレークが敗れたのだが、ヒューイットのマナーの悪さが話題となり、その時の対戦相手として知られるようになった。加えて、2002年全米オープン3回戦でも二人が対戦することとなり、ブレークは7-6, 3-6, 4-6, 6-3, 3-6のフルセットで敗れたものの、前年のヒューイットの暴言事件の話題が再燃し、ブレークの名はヒューイットの暴言の相手だったことで広く認知されるに至った。 その後は、苦難が続き、2004年5月に練習中に首を痛め、2ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされる。その間に父親を病気で亡くす不幸もあった。また、ある朝に顔の左半分が麻痺してしまい、視覚と聴覚にも不調をきたしたとされる。 そうした苦難を乗り越えて復活、2005年全米オープンでは、自身初の準々決勝進出を果たした。対戦相手は当時、全米オープン20年連続出場の大ベテランアンドレ・アガシ。ブレークは2セット先行しながらも、続く3セットを落とし、6-3, 6-3, 3-6, 3-6, 6-7のフルセットでアガシに逆転負けした。
2006年のシーズンに入り、ブレークは1月のシドニー国際と2月末のテニス・チャンネル・オープンで優勝した。加えて、3月上旬には、4大大会に次ぐ規模の大会のATPマスターズシリーズのインディアンウェルズ・マスターズで初の決勝戦に進出した。当時世界1位のロジャー・フェデラーに5-7, 3-6, 0-6のスコアで完敗し準優勝に終わったが、大会後の世界ランキングで9位となり自身初のトップ10入りを果たす。この年は男子ツアーで自己最高記録となる年間5勝を挙げ、世界ランキング上位8名しか出場資格を得られない年間最終戦テニス・マスターズ・カップにも初出場を果たした。この大舞台でブレークは決勝に進んだが、決勝ではフェデラーに0-6, 3-6, 4-6のストレートで敗れ準優勝に終わった。
2008年には、デルレイビーチ国際テニス選手権の決勝で日本の錦織圭に6-3, 1-6, 4-6の逆転で敗れ、結果、錦織圭の初優勝の対戦相手となった。 また、同年8月の北京五輪でブレークは米国代表として出場。準々決勝では、第1シードのフェデラーを6-4, 7-6(2)で破り、ベスト4に勝ち進み、メダル獲得の期待が大いに高まったが、準決勝でフェルナンド・ゴンサレスに6-4, 5-7, 9-11で敗れ、3位決定戦でもノバク・ジョコビッチに3-6, 6-7で敗れ、惜しくもメダル獲得はならなかった。
2009年ウィンブルドン選手権男子ダブルスで、ブレークは同じアメリカのマーディ・フィッシュとペアを組んでベスト4に進出した。2人は1回戦で全仏オープン優勝のルーカス・ドロウヒー/リーンダー・パエス組を破って波に乗り、以後もシードペアを連破して勝ち進んだ。準決勝では第2シードのダニエル・ネスター/ネナド・ジモニッチ組に7-5, 6-3, 2-6, 6-7, 8-10の逆転で敗れ、決勝進出を逃した。
ブレークは男子テニス国別対抗戦・デビスカップアメリカ合衆国代表選手としても、2001年から出場を続けている。黒人テニス選手のアメリカ代表入りは、アーサー・アッシュ、マラビーヤ・ワシントンに続いて史上3人目となる。2007年11月30日-12月2日の決勝戦で、アメリカはロシアを破って12年ぶりのデ杯優勝を果たし、ブレークもシングルス第2試合・第5試合の勝利でアメリカの優勝に貢献した。
ブレークは2013年全米オープンを最後に33歳で現役を引退した[1]。
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2002年2月25日 | メンフィス | ハード (室内) | アンディ・ロディック | 4-6, 6-3, 5-7 |
準優勝 | 2. | 2002年7月15日 | ニューポート | 芝 | テーラー・デント | 1-6, 6-4, 4-6 |
優勝 | 1. | 2002年8月12日 | ワシントンD.C. | ハード | パラドーン・スリチャパン | 1-6, 7-6(7-5), 6-4 |
準優勝 | 3. | 2003年8月25日 | ロングアイランド | ハード | パラドーン・スリチャパン | 2-6, 4-6 |
準優勝 | 4. | 2005年8月8日 | ワシントンD.C. | ハード | アンディ・ロディック | 5-7, 3-6 |
優勝 | 2. | 2005年8月22日 | ニューヘイブン | ハード | フェリシアーノ・ロペス | 3-6, 7-5, 6-1 |
優勝 | 3. | 2005年10月10日 | ストックホルム | ハード (室内) | パラドーン・スリチャパン | 6-1, 7-6(8-6) |
優勝 | 4. | 2006年1月9日 | シドニー | ハード | イーゴリ・アンドレエフ | 6-2, 3-6, 7-6(7-3) |
優勝 | 5. | 2006年2月27日 | ラスベガス | ハード | レイトン・ヒューイット | 7-5, 2-6, 6-3 |
準優勝 | 5. | 2006年3月20日 | インディアンウェルズ | ハード | ロジャー・フェデラー | 5-7, 3-6, 0-6 |
準優勝 | 6. | 2006年6月19日 | ロンドン | 芝 | レイトン・ヒューイット | 4-6, 4-6 |
優勝 | 6. | 2006年7月17日 | インディアナポリス | ハード | アンディ・ロディック | 4-6, 6-4, 7-6(7-5) |
優勝 | 7. | 2006年9月25日 | バンコク | ハード (室内) | イワン・リュビチッチ | 6-3, 6-1 |
優勝 | 8. | 2006年10月15日 | ストックホルム | ハード (室内) | ヤルコ・ニエミネン | 6-4, 6-2 |
準優勝 | 7. | 2006年11月20日 | 上海 | ハード (室内) | ロジャー・フェデラー | 0-6, 3-6, 4-6 |
優勝 | 9. | 2007年1月13日 | シドニー | ハード | カルロス・モヤ | 6-3, 5-7, 6-1 |
準優勝 | 8. | 2007年2月4日 | デルレイビーチ | ハード | グザビエ・マリス | 7-5, 4-6, 4-6 |
準優勝 | 9. | 2007年7月22日 | ロサンゼルス | ハード | ラデク・ステパネク | 6-7(7-9), 7-5, 2-6 |
準優勝 | 10. | 2007年8月19日 | シンシナティ | ハード | ロジャー・フェデラー | 1-6, 4-6 |
優勝 | 10. | 2007年8月25日 | ニューヘイブン | ハード | マーディ・フィッシュ | 7-5, 6-4 |
準優勝 | 11. | 2008年2月17日 | デルレイビーチ | ハード | 錦織圭 | 6-3, 1-6, 4-6 |
準優勝 | 12. | 2008年4月20日 | ヒューストン | クレー | マルセル・グラノリェルス | 4-6, 6-1, 5-7 |
準優勝 | 13. | 2009年5月10日 | エストリル | クレー | アルベルト・モンタニェス | 7-5, 6-7(6-8), 0-6 |
準優勝 | 14. | 2009年6月14日 | ロンドン | 芝 | アンディ・マリー | 5-7, 4-6 |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2002年8月5日 | シンシナティ | ハード | トッド・マーティン | マヘシュ・ブパシ マックス・ミルヌイ |
7-5, 6-3 |
優勝 | 2. | 2003年3月10日 | スコッツデール | ハード | マーク・マークレイン | マーク・フィリプーシス レイトン・ヒューイット |
6-4, 6-7(2-7), 7-6(7-5) |
優勝 | 3. | 2004年2月16日 | サンノゼ | ハード (室内) |
マーディ・フィッシュ | リック・リーチ ブライアン・マクフィー |
6-2, 7-5 |
優勝 | 4. | 2004年4月19日 | ヒューストン | クレー | マーディ・フィッシュ | リック・リーチ ブライアン・マクフィー |
6-3, 6-4 |
優勝 | 5. | 2004年4月26日 | ミュンヘン | クレー | マーク・マークレイン | ユリアン・ノール ネナド・ジモニッチ |
6-2, 6-4 |
準優勝 | 1. | 2006年2月27日 | メンフィス | ハード (室内) |
マーディ・フィッシュ | クリス・ハガード イボ・カロビッチ |
6-0, 5-7, [5-10] |
準優勝 | 2. | 2007年10月28日 | バーゼル | ハード (室内) |
マーク・ノールズ | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
1-6, 1-6 |
優勝 | 6. | 2012年4月15日 | ヒューストン | クレー | サム・クエリー | ドミニク・イングロット トレト・ユーイ |
7-6(16-14), 6-4 |
準優勝 | 3. | 2013年2月24日 | メンフィス | ハード (室内) |
ジャック・ソック | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
1-6, 2-6 |
優勝 | 7. | 2013年3月3日 | デルレイビーチ | ハード | ジャック・ソック | マックス・ミルヌイ ホリア・テカウ |
6-4, 6-4 |
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
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