ザ・ギンギンマル
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ザ・ギンギンマルは、かつてラフィーネプロモーションで活動していた日本のお笑いコンビ。2023年2月9日、メンバーであるオガタ。の逝去に伴い事実上の活動停止となった[1]。
ザ・ギンギンマル | |
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メンバー |
オガタ。 長谷川デビルマル |
結成年 | 2014年 |
解散年 | 2023年 |
事務所 |
フリー →ラフィーネプロモーション |
活動時期 |
2014年1月1日 - 2020年11月20日 2021年6月25日 - 2022年10月14日 |
出身 | スクールJCA14期 |
出会い | スクールJCA |
旧コンビ名 |
パシフィックオーシャンパーク オガタ。 グランパショップ (2008年4月 - 2012年1月30日) クレイジーマッシュポテト (2012年5月 - 2013年) 長谷川 チャリバンク (2006年 - 2007年5月) どんぶらこ (2010年1月 - 2013年12月20日) |
現在の活動状況 | オガタ。の逝去により事実上の活動停止 |
芸種 | 漫才、コント |
同期 |
リニア 畠山検定 せきあっし 加藤ミリガン など |
公式サイト | 公式プロフィール |
メンバー
- オガタ。(1986年11月13日 - 2023年2月9日(36歳没))
- 本名:尾形 友道(おがた ともみち)。旧芸名:マイケル・J、ギンギンくん。
- 立ち位置は左。
- 山形県出身。身長182cm。血液型O型。
- 趣味は音楽鑑賞、パスタ、物作り、酒。
- 特技はラテアート、パスタ、物作り、チョコペンアート、いつでもどこでもドロップキックを受けれる事。
- 普通自動車の免許を持っている。
- 結成前は「グランパショップ」(プロダクション人力舎所属)、「クレイジーマッシュポテト」(プロデューサーハウスあ・うん所属)というコンビで活動。
- 2020年11月20日、手術と療養のために活動休止する事を発表し、後日にステージ3の直腸がんであった事を公表[2][3]。手術は成功し、以降も療養を挟みながらの不定期な活動となっていたが[4]、2022年10月14日より再び治療に専念するため活動を休止していた[5][6]。
- 2023年2月9日、大腸がんのため都内の病院で逝去[7]。36歳没。生涯独身であった。
略歴
共にスクールJCA14期生。2014年1月1日[8]にコンビ「パシフィックオーシャンパーク」を結成し、程なくして現在の「ザ・ギンギンマル」に改名(名付け親はモグライダーであり、メンバーのともしげは14期生としての同期に当たる)。また、デビュー当時は共にプロダクション人力舎に所属し、それぞれ別のコンビで活動していた。
コンビ結成後しばらくフリーで活動していたが、2019年7月にラフィーネプロモーションに預かり所属となり[9]、2020年よりジェントルマン・前島・むかしテレビと共に正式所属[10]。
2020年11月20日、オガタ。の療養に伴いコンビでの活動を休止[2][3]。2021年6月25日、新宿バティオスにて開催されたライブ『ザ・ギンギンマル復活祭』をもって活動を再開。以降も療養を挟みながらの不定期な活動となっていたが、2022年10月14日よりオガタ。の治療専念に伴い活動は再び休止状態となる[5][6]。
2023年2月9日、オガタ。が大腸がんのため都内の病院で逝去[7][11]。36歳没。同月12日の時点で葬儀・告別式はすでに執り行われ、長谷川はオガタ。の没後に「彼はお笑いが好きで芸人が大好きでした。今年の1月に二人でお笑いを辞めようと話し『お笑いは辞めても、ザ・ギンギンマルは辞めない』という結論で電話を切りました。『ザ・ギンギンマルのオガタ。』のまま人生を終えました。最高の相方でした。最高の友人でした。これまでザ・ギンギンマルを応援、見てくださった方々、携わってくれた方々にコンビを代表して感謝申し上げます」といった言葉を残している[1]。
芸風
出演
テレビ
- 勇者ああああ〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜(テレビ東京)
- 「RIFUJIN FIGHTING FEDERATION 〜ロケの陣〜」(2018年2月9日)※長谷川のみ
- 生きるを伝える(テレビ東京、2022年1月15日)※オガタ。のみ
ライブ
- ラフいいね!Live(事務所ライブ、関交協ハーモニックホール)
- ザ・ギンギンマル復活祭(2021年6月25日、新宿バティオス)
脚注
外部リンク
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