ブラジルグランプリ(ブラジルGP, : Brazilian Grand Prix, : Grande Prêmio do Brasil)は、ブラジル1973年以降行われているF1世界選手権のレースのひとつ。2021年から名称が変更されたサンパウログランプリ(サンパウロGP, : São Paulo Grand Prix, : Grande Prêmio do São Paulo)についても本項目で記述する。

概要 レース情報, 周回 ...
Brazilian Grand Prix
São Paulo Grand Prix
インテルラゴス・サーキット
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レース情報
周回 71
コース長 4.309 km (2.677 mi)
レース長 305.909 km (190.067 mi)
開催回数 51[注 1]
初回 1972年
最多勝利
(ドライバー)
フランスの旗 アラン・プロスト (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イギリスの旗 マクラーレン (12)
最新開催(2024年):
ポールポジション イギリスの旗 ランド・ノリス
マクラーレン-メルセデス
1:23.405
決勝順位 1. オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
2:06:54.430
2. フランスの旗 エステバン・オコン
アルピーヌ-ルノー
+19.477s
3. フランスの旗 ピエール・ガスリー
アルピーヌ-ルノー
+22.532s
ファステストラップ オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
1:20.472
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インテルラゴス

概要

1978年及び1981年から1989年はリオデジャネイロの郊外にあるジャカレパグアで実施された。それ以外の年はサンパウロ郊外にあるインテルラゴスで行われている。

以前は序盤に開催されており、そのうち10回が開幕戦として実施されてきた。2004年から開始したバーレーンGPイスラム教の断食月ラマダーンと重なることを避けてシーズン序盤開催となったことを受け、一転して最終戦に実施された。以後、シーズン終盤での開催が定着し、2005年から2009年まで5年連続でワールドチャンピオン決定戦の舞台となった。

終盤戦に開催されるようになってからは、ブラジルグランプリのみの「お約束」として、表彰式後のシャンパンファイトで通常の曲ではなく、サンバのリズムが流れ、それとともに大量の紙ふぶきが飛び出すようになった。

多くのグランプリにおいて、最多勝記録は1990年代から2000年代にかけて活躍したミハエル・シューマッハによって塗り替えられたが、ブラジルGPでは1980年代から1990年にかけ6勝を挙げたアラン・プロストが最多勝記録を保持している(シューマッハは4勝を挙げた)。チームとしては、マクラーレンが強く通算で12勝を挙げており、フェラーリ(11勝)、レッドブル(7勝)、ウィリアムズメルセデス(ともに6勝)がそれに続いている(2024年現在[注 1])。

2007年までのブラジル人のF1チャンピオンは、いずれもブラジルGPを制している。エマーソン・フィッティパルディは初の公式戦として開催された1973年ネルソン・ピケは5度目の挑戦となる1983年アイルトン・セナは8度目の挑戦となる1991年に、初の母国GP制覇を果たした。なお、ブラジル人によるブラジルGP制覇は2008年フェリペ・マッサが最後で、そのマッサが2017年をもって引退して以来、ブラジル人F1ドライバーが不在となっている[1][注 2]

2017年以降の開催については、スポンサーを失った主催者とFOMが開催権料を巡って折り合いがついておらず、不透明な状況となっていた。理由としてブラジル国内の景気がリオデジャネイロオリンピック以降急激に悪化していることと、サンパウロ市の市長交代によるもので、ジョアン・ドリア新市長は当選直後に「インテルラゴス・サーキットの民営化を積極的に進めたい」と語っている[2]。このため、2016年9月28日に出された2017年の暫定カレンダーでは「暫定扱い」とされていた。しかし、11月30日の正式カレンダーでは開催が確定している[3]

2019年5月、ジャイール・ボルソナーロ大統領が、翌2020年からはリオデジャネイロに建設される新サーキットで開催する意向を明らかにした[4]が、インテルラゴスは2020年まで開催契約を結んでおり、サーキットの民営化がサンパウロ市議会で否決されたため、同地での開催継続に意欲を見せ[5]、ボルソナーロ大統領もインテルラゴスとの契約が切れる2021年からリオでの開催要望を繰り返し述べていたが[6]、地元の環境団体の反対によって計画が中止に追い込まれ、最終的にインテルラゴスと2025年までの開催契約を締結した。なお、2017年からF1を経営するリバティメディアはリオでの開催を支持していた[7]。インテルラゴスとの契約が延長されるとともに主催者がブラジル・モータースポーツに変更され、グランプリの名称も「サンパウログランプリ」に変更されることになった[8]。2023年に開催契約が2030年まで延長された[9]

過去の主な出来事

1972年
第1回のブラジルGPは非選手権戦として行われた。
1973年
地元出身で前年ワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディが優勝を飾った。なお、フィッティパルディは翌年も優勝したほか、自ら立ち上げたチーム・フィッティパルディで1978年に2位に入賞している。
1975年
カルロス・パーチェが地元サンパウロインテルラゴスでF1初優勝を達成。1977年に飛行機事故で他界したのち、インテルラゴスは「アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ」と改称された。
1981年
ウィリアムズカルロス・ロイテマンチームオーダーを破り、エースのアラン・ジョーンズにポジションを譲らず優勝。これを発端にチームメイト同士のライバル関係が激化し、結果的にブラバムネルソン・ピケにチャンピオンを奪われた。
1983年
ピケが地元リオジャカレパグア・サーキットで優勝し、母国GP3人目のウィナーとなる。1988年にはジャカレパグアが「ネルソン・ピケ・サーキット」と改称される。
1991年
母国GP優勝を逃し続けてきたアイルトン・セナが、地元インテルラゴスで悲願を達成。終盤ギアボックストラブルを抱えながら6速のみで逃げ切り、チェッカー後は悲鳴のような雄叫びを上げた。
1995年
使用燃料違反により、1位のミハエル・シューマッハと2位のデビッド・クルサードに対して表彰式の後に失格との裁定が下され、一旦は3位のゲルハルト・ベルガーの繰上り優勝が発表されたが、その後再度下された裁定により当初のリザルトが復活し、シューマッハの優勝とクルサードの2位、両名へのドライバーズポイントの授与は認められた上で、所属チームのベネトン、ウィリアムズに対するコンストラクターズポイントのみが剥奪されるという裁定が下った。両チームともエルフ社の燃料を使用していた。
2002年
元サッカー選手のペレがゲストに招かれ、チェッカーフラッグを振る役を任されたが、最終ラップでスタッフと打ち合わせしている間に1位のミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、2位のラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)が通過してしまい、3位のデビッド・クルサード(マクラーレン・メルセデス)でようやくチェッカーを振るという珍事になった。
2003年
大雨で混乱したレースとなり、最後は赤旗によりレース終了。一旦はキミ・ライコネンの優勝として表彰式も執り行われたが、その後の裁定によりジョーダンフォードコスワース)のジャンカルロ・フィジケラの優勝が発表されることとなった(優勝カップ授与は翌戦のサンマリノGPで行われた)。この優勝は、フィジケラにとってのF1初優勝となったほか、フォード-コスワースエンジンにとっては1999年のヨーロッパGPでのジョニー・ハーバート以来の優勝となり、フォードとコスワースにとって最後のF1優勝となっている。
2005年
3位に入賞したフェルナンド・アロンソがドライバーズチャンピオンを確定させた。これはエマーソン・フィッティパルディの持つ史上最年少チャンピオン記録を実に33年ぶりに塗り替えるものであった。また、ブラジルGPでタイトルが決まった初の例となった。また、当時デビューからの連続完走を続けていたティアゴ・モンテイロが初リタイアした(記録は16でストップ)
2006年
ミハエルの最初の引退レース。わずかながらにタイトルの可能性を残したが、マシントラブルに見舞われ、予選を10位で終えた。決勝では、ジャンカルロ・フィジケラとの接触でパンクし、最後尾に後退した。最終的に4位に終わり、チャンピオンはフェルナンド・アロンソのものになった。シューマッハのチームメートであるフェリペ・マッサが優勝し、ブラジル人による母国GP優勝は1993年のアイルトン・セナ以来13年ぶりとなった。
2007年
新人チャンピオンを狙うルイス・ハミルトンと3年連続チャンピオンを狙うアロンソ、そして初めてのタイトルを目指すライコネンがタイトルを懸けて争う、F1では21年ぶりとなる三つ巴の最終決戦の舞台となった。ポイントリーダーとして迎えたハミルトンはアロンソとは4ポイント差、ライコネンに対しては7ポイント差をつけており、優位な立場にいたものの、スタートでのミスとギヤボックストラブルにより後退。その後挽回するも7位に終わる。アロンソもフェラーリに追いつくことが出来ず、3位。レースはライコネンが優勝し、逆転で初のワールドタイトルを獲得することとなった。
2008年
ルイス・ハミルトンフェリペ・マッサのタイトル争いは最終戦で雌雄を決することとなり、突発的な雨によってスタートが10分遅れるという波乱の幕開けとなった。スタート直後、今季で引退を表明していたクルサードが第一コーナーでクラッシュに巻き込まれ、開始直後にリタイアという結果に終わった。レースは終始マッサが首位を独走し、逆転でのタイトル獲得の望みが出てくるなか、ハミルトンはペースが安定せず、タイトル獲得の最低ラインとなる5位を維持し続けている状況であった。しかし、レース終盤再び降り出した雨により、残り3周目のラップで6位走行中のセバスチャン・ベッテルにかわされ、その順位のままレースが続き、先にチェッカーを受けたマッサは首位で完走。ハミルトン6位でレースが終わった場合、マッサのタイトルが確定するはずであった。しかし、ドライタイヤで4位を走行していたティモ・グロックが失速。ファイナルラップの最終コーナーで(前にいた5位ベッテルと共に)ハミルトンがグロックをかわして5位に返り咲き、大逆転で史上最年少タイトルを獲得した。
2012年
ベッテル(レッドブル)とアロンソ(フェラーリ)のタイトル争い最終決戦。ベッテルはオープニングラップにスピンして最後尾まで転落するが6位まで挽回し、アロンソに3ポイント差で3年連続チャンピオンを決めた。雨とセーフティカーに翻弄される難コンディションで伏兵ニコ・ヒュルケンベルグフォース・インディア)がトップを快走するも、ハミルトンと接触してペナルティを科され、初優勝の可能性を逃す。
2019年
マックス・フェルスタッペン(レッドブル)がポール・トゥ・ウィンを達成し、ピエール・ガスリートロ・ロッソ)は初表彰台となる2位を獲得し、ホンダ製パワーユニットを使用するドライバーによって1-2フィニッシュを達成。ホンダは1991年のセナ以来のブラジルGP勝利と、同年の日本GP以来の1-2フィニッシュを、創業者本田宗一郎の誕生日に成し遂げた[10]
2020年
新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため開催中止[11]
2022年
雨絡みとなった予選はハースケビン・マグヌッセンが自身及び同チーム初のポールポジションを獲得[12]。スプリントはメルセデスジョージ・ラッセルが制し、チームメイトのハミルトンとともに決勝のフロントローを独占[13]。決勝もこの年苦戦続きだったメルセデス勢が優位に立ち、ラッセルがF1初優勝を挙げ、ハミルトンとともにこの年の初勝利を2020年エミリア・ロマーニャグランプリ以来2年ぶりのワンツーフィニッシュで飾った[14]

過去の結果と開催サーキット

ブラジルグランプリ (1972年 - 2020年)

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決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター結果
1972 03月30日非選手権インテルラゴスアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンブラバム-フォード詳細
1973 02月11日2インテルラゴスブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディロータス-フォード詳細
1974 01月27日2インテルラゴスブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディマクラーレン-フォード詳細
1975 01月26日2インテルラゴスブラジルの旗 カルロス・パーチェブラバム-フォード詳細
1976 01月25日1インテルラゴスオーストリアの旗 ニキ・ラウダフェラーリ詳細
1977 01月23日2インテルラゴスアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンフェラーリ詳細
1978 01月29日2ジャカレパグアアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンフェラーリ詳細
1979 02月04日2インテルラゴスフランスの旗 ジャック・ラフィットリジェ-フォード詳細
1980 01月27日2インテルラゴスフランスの旗 ルネ・アルヌールノー詳細
1981 03月29日2ジャカレパグアアルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマンウィリアムズ-フォード詳細
1982 03月21日2ジャカレパグアフランスの旗 アラン・プロストルノー詳細
1983 03月13日1ジャカレパグアブラジルの旗 ネルソン・ピケブラバム-BMW詳細
1984 03月25日1ジャカレパグアフランスの旗 アラン・プロストマクラーレン-TAG詳細
1985 04月07日1ジャカレパグアフランスの旗 アラン・プロストマクラーレン-TAG詳細
1986 03月23日1ジャカレパグアブラジルの旗 ネルソン・ピケウィリアムズ-ホンダ詳細
1987 04月12日1ジャカレパグアフランスの旗 アラン・プロストマクラーレン-TAG詳細
1988 04月03日1ジャカレパグアフランスの旗 アラン・プロストマクラーレン-ホンダ詳細
1989 03月26日1ジャカレパグアイギリスの旗 ナイジェル・マンセルフェラーリ詳細
1990 03月25日2インテルラゴスフランスの旗 アラン・プロストフェラーリ詳細
1991 03月24日2インテルラゴスブラジルの旗 アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
1992 04月05日3インテルラゴスイギリスの旗 ナイジェル・マンセルウィリアムズ-ルノー詳細
1993 03月28日2インテルラゴスブラジルの旗 アイルトン・セナマクラーレン-フォード詳細
1994 03月27日1インテルラゴスドイツの旗 ミハエル・シューマッハベネトン-フォード詳細
1995 03月26日1インテルラゴスドイツの旗 ミハエル・シューマッハベネトン-ルノー詳細
1996 03月31日2インテルラゴスイギリスの旗 デイモン・ヒルウィリアムズ-ルノー詳細
1997 03月30日2インテルラゴスカナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴウィリアムズ-ルノー詳細
1998 03月29日2インテルラゴスフィンランドの旗 ミカ・ハッキネンマクラーレン-メルセデス詳細
1999 04月11日2インテルラゴスフィンランドの旗 ミカ・ハッキネンマクラーレン-メルセデス詳細
2000 03月26日2インテルラゴスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2001 04月01日3インテルラゴスイギリスの旗 デビッド・クルサードマクラーレン-メルセデス詳細
2002 03月31日3インテルラゴスドイツの旗 ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2003 04月06日3インテルラゴスイタリアの旗 ジャンカルロ・フィジケラジョーダン-フォード詳細
2004 10月24日18インテルラゴスコロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤウィリアムズ-BMW詳細
2005 09月25日17インテルラゴスコロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤマクラーレン-メルセデス詳細
2006 10月22日18インテルラゴスブラジルの旗 フェリペ・マッサフェラーリ詳細
2007 10月21日17インテルラゴスフィンランドの旗 キミ・ライコネンフェラーリ詳細
2008 11月02日18インテルラゴスブラジルの旗 フェリペ・マッサフェラーリ詳細
2009 10月18日16インテルラゴスオーストラリアの旗 マーク・ウェバーレッドブル-ルノー詳細
2010 11月07日18インテルラゴスドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2011 11月27日19インテルラゴスオーストラリアの旗 マーク・ウェバーレッドブル-ルノー詳細
2012 11月25日20インテルラゴスイギリスの旗 ジェンソン・バトンマクラーレン-メルセデス詳細
2013 11月24日19インテルラゴスドイツの旗 セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
2014 11月09日18インテルラゴスドイツの旗 ニコ・ロズベルグメルセデス詳細
2015 11月15日18インテルラゴスドイツの旗 ニコ・ロズベルグメルセデス詳細
2016 11月13日20インテルラゴスイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2017 11月12日19インテルラゴスドイツの旗 セバスチャン・ベッテルフェラーリ詳細
2018 11月11日20インテルラゴスイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2019 11月17日20インテルラゴスオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ詳細
2020 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止
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サンパウログランプリ (2021年 -)

さらに見る 年, 決勝日 ...
決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター結果
2021 11月14日19インテルラゴスイギリスの旗 ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
2022 11月13日21インテルラゴスイギリスの旗 ジョージ・ラッセルメルセデス詳細
2023 11月05日21インテルラゴスオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダRBPT詳細
2024 11月03日21インテルラゴスオランダの旗 マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ・RBPT詳細
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開催されたサーキット

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ブラジルGP及びサンパウロGPの開催地

優勝回数

回数はブラジルGPとサンパウロGPの合算。

ドライバー

(2勝以上)

コンストラクター

(2勝以上)

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  • 太字2024年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
  • * 1986-1995年はイギリス国籍、1996-2001年はイタリア国籍。

エンジン

(2勝以上)

さらに見る 回数, メーカー ...
回数 メーカー 優勝年
11 イタリアの旗 フェラーリ 1976, 1977, 1978, 1989, 1990, 2000, 2002, 2006, 2007, 2008, 2017
10 フランスの旗 ルノー 1980, 1982, 1992, 1995, 1996, 1997, 2009, 2010, 2011, 2013
ドイツの旗 メルセデス * 1998, 1999, 2005, 2012, 2014, 2015, 2016, 2018, 2021, 2022
9 アメリカ合衆国の旗 フォード ** 1972, 1973, 1974, 1975, 1979, 1981, 1993, 1994, 2003
4 日本の旗 ホンダ *** 1986, 1988, 1991, 2019
3 ルクセンブルクの旗 TAG **** 1984, 1985, 1987
2 ドイツの旗 BMW 1983, 2004
イギリスの旗 ホンダRBPT *** 2023, 2024
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脚注

関連項目

外部リンク

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