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キルギスの男子サッカーナショナルチーム ウィキペディアから
サッカーキルギス代表(サッカーキルギスだいひょう)は、キルギスサッカー連盟(FFKR)によって組織される、キルギスのサッカーのナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都ビシュケクにあるドレン・オムルザコフ・スタジアム。
1991年のソビエト連邦の崩壊まではキルギスの選手はソビエト連邦代表としてプレーしていた。同年8月31日、キルギスが独立を果たすと、ナショナルチームが結成された。初の国際試合は1992年8月23日のウズベキスタン戦で、0-3での敗戦であった。
1994年、キルギスサッカー連盟はアジアサッカー連盟(AFC)及び国際サッカー連盟(FIFA)に正会員として認められた。1996年にはAFCアジアカップ UAE1996の予選に初めて参加したが、出場権獲得には至らなかった。翌年の1998年フランスW杯・アジア1次予選では4か国中イランに次ぐ2位となり、惜しくも最終予選進出はならなかった。
その後もAFCアジアカップ レバノン2000・予選は最下位で敗退、 2002年日韓W杯・アジア予選は1次予選敗退、AFCアジアカップ 中国2004・予選も敗退と早期敗退が続いた。
2006年ドイツW杯・アジア予選では予備予選から出場し、パキスタンを下して1次予選へ進出した。1次予選ではバーレーン、シリア、タジキスタンと同組になったが、1勝1分4敗のグループ最下位で終えた。
AFCアジアカップ UAE2019・3次予選において、キルギス、インド、ミャンマー、マカオのグループを4勝1分1敗で突破し、念願のAFCアジアカップ初出場を決めた。本大会では、強豪韓国、中国、フィリピンと共にグループCに入った。中国、韓国に連敗し後が無くなったフィリピン戦でヴィタリ・ルクスがハットトリックを決め、これに3-1で勝利。史上初となるベスト16入りを決めた。
ラウンドオブ16ではUAEと対戦。2-1でリードされた後半アディショナルタイム、トュルスナリ・ラスタモフがコーナーキックからヘディングで同点ゴールを決め、土壇場で追いついた。延長戦に突入したがPKを与えてしまい、これを決められ3-2で敗れた。この年、FIFAランキングで過去最高の75位を記録した。
連続出場を果たしたAFCアジアカップ カタール2023では、グループリーグ最終戦でのオマーンとの引き分けによる勝ち点1に留まり、2大会連続ベスト16とはならなかった[1]。2026年北中米W杯・アジア2次予選ではマレーシアに勝ち点差1で上回って初めて最終予選に進んだ[2]。
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 3位 | 5 | 2 | 1 | 2 | 11 | 8 |
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