日本のテレビ番組 ウィキペディアから
『サタ☆スマ』は、1999年4月17日から2002年3月23日にかけてフジテレビ系列で放送されたバラエティ番組。放送時間は毎週土曜日19:00 - 19:57(2001年3月までは19:00 - 19:53)で、出演は当時SMAPの中居正広と香取慎吾。番組名はサタデースマップの略からきている。
テレビ欄の表記上は「サタ・スマ」。1998年10月から1999年3月まで放送された前身番組『サタスマ』に、「『サタスマ』だと画数的に悪い」という理由で一画☆を付け足し、1999年4月から番組内容を一掃し『サタ☆スマ』としてスタートした。
「人生応援番組」として出会いをモットーとし、オープニングでは初回から最終回まで、必ず「サタ☆スマは、人生を応援します」という山下達郎のナレーションが流れた。番組宣伝の最後の部分でも流れていた。
オープニングは中居のテンションが低すぎるほどの声で「えー今週もサタ☆スマの時間がやってまいりました」の言葉で始まっていた。テーブルと椅子のみのシンプルな移動式セットで、編集された自分たちのVTRを見ていく形式で進行された。2001年10月20日から最終回までのセットは移動式のこたつとなった。
1999年の『27時間テレビ』内では「よる☆スマ」として放送された。
初回視聴率は11.1%で、あまり良い数字とはいえなかったが、「慎吾ママ」や「怒られ侍」、「赤ちゃんあずかります」や「グチ電鉄(→人生相談鉄道)」などといった人気コーナーが定着し、番組認知度と共に視聴率も上昇。2000年には土7枠ながら20%を越すこともあった。中でも香取による「慎吾ママ」は人気を博し、このコーナーで使われた挨拶「おっはー」は、2000年の流行語大賞にも選ばれ、CDやグッズも発売された。一方、企画の性質上早朝の収録で、本人の過密なスケジュールも相まって、香取に負担を強いた。放送の中で香取は「慎吾ママは楽しかった。でも、怒られ侍は辛かった…」と振り返っている。
しかし、2001年に入ると慎吾ママブームも落ちつき、10%台前半の視聴率が続くなど一時期の勢いはなくなった。また、中居・香取それぞれに2001年からレギュラー番組が増え(中居は4月に『ザ!世界仰天ニュース』、10月に『中居正広の金曜日のスマたちへ』の2本が、香取は10月に『SmaSTATION!!』がスタート)、ロケのスケジュールを確保しづらくなり、番組の方向転換を余儀なくされた。結果、2002年2月16日に番組終了を発表。同年3月23日の『サタ☆スマ最終回スペシャル』をもって『デリバリー・スマップ デリ!スマ』へ発展的終了となった。この際、番組を制作していたリーライダーすが制作から撤退した。番組終了時に、公式本発売並びに握手会が行われた。
番組終了から7年後の2009年5月18日には『SMAP×SMAP特別編』にて『サタ☆スマ』が特別に復活、放送された(詳細は後述)。
文中にある「逆転企画」とは、2回行われた、中居と香取の企画を交換する特別企画の事。
毎年改編期(春、夏、秋、年末年始)には、☆なし『サタスマ』時代の「中居正広のボク生きII」を引き継いで、『サタ☆スマスペシャル中居正広のボク生き!境界線超特大号』と題したスペシャルが放送された。このスペシャルは『サタ☆スマ』の終了と共に消滅した。番組本編のスペシャルとしては1999年11月12日の『金曜エンタテイメント・今夜だけフライデースマップ!サタ☆スマが金曜日にやってきた』(フラ☆スマ)[注釈 1]と2002年3月23日の番組最終回『サタ☆スマ中居&香取大家族スペシャル!!』の2回しか放送されなかった。
番組内で香取が扮するキャラクター「慎吾ママ」は、「おっは〜」のフレーズとともに人気キャラクターとなり、CDが発売された。
『サタスマ』は、1998年10月31日から1999年3月20日まで、フジテレビ系列で放送されたバラエティ番組。「中居正広のボク生きII」と「少年頭脳カトリ」による2部構成のコンプレックス番組だった。各コーナーは、当該項目を参照。
放送順は逆になることにもあったが、基本的に「ボク生き」が約30分、「カトリ」が約20分の放送時間だった。レギュラー放送終了後も、「ボク生き」は『サタ☆スマ』のスペシャル番組として、「カトリ」は『少年頭脳カトリ1999』として深夜枠で放送され、継続されることとなる。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.