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カーター・スチュワート

アメリカのプロ野球選手 (1999-) ウィキペディアから

カーター・スチュワート
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スコット・カーター・スチュワート・ジュニアScott Carter Stewart Jr.[1]1999年11月2日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州メルボルン出身のプロ野球選手投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

概要 福岡ソフトバンクホークス #2, 基本情報 ...

NPBでの登録名は「C.スチュワート・ジュニア」だが、スコアボード等で「スチュワートJr.」の表記が用いられることもある。

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経歴

要約
視点

プロ入り前

4歳のときに野球を始めた[2]

オー・ガリー高校英語版3年時(2017年)に11勝2敗・防御率0.81、69回2/3を投げて104奪三振を記録し、ペトコ・パークで開催されたパーフェクトゲームオールアメリカンクラシックにも参加した[3]

4年時(2018年)は6勝2敗・防御率0.91、61回2/3を投げて128奪三振を記録し、フロリダ州の『Gatorade Baseball Player of the Year』に選出[4]。また、球速が平均92〜94mph・最速98mphまで向上したこともあり[5]、トップ・プロスペクト(有望株)としてMLBのスカウトからも注目を集めた[6][7]

高校卒業時(同年6月)に開催されたMLBドラフト会議にて、アトランタ・ブレーブスから1巡目(全体8位)で指名されたが[8]、指名後の身体検査で右手首の懸念が判明[9]。498万ドルとされていたブレーブスとの契約金は200万ドルに減額提示となり[10]、契約期限[注 1]の7月6日までに入団へ合意しなかった[5]。破談の要因となった右手首[12]は9歳のとき、スケートボード中に負傷したことがあり[13]、本人は「長年、気にしていなかった。ゴルフのスイングに影響した時期があったけど、野球ではそんなことなかったから」と話した[10]

その後は東フロリダ州立短期大学英語版へ進学し、NJCAAに所属する『EFSCタイタンズ』で公式戦13試合に先発登板。2勝2敗・防御率1.70[14]、74回1/3を投げて108奪三振を記録した[13]

ソフトバンク時代

2019年5月25日、NPB福岡ソフトバンクホークスへの入団に合意した[15][注 2]。6月1日に来日し、同3日に入団会見が行われた[9]背番号2[16]、背ネームは「STEWART JR.」。

7月9日の三軍戦(九州三菱自動車硬式野球部とのプロアマ交流戦)で実戦デビュー[17]。来日1年目は三軍が主戦場となり[18]、主に先発として10試合に登板したが、4勝3敗・防御率4.36、43回1/3を投げて被安打41・与四死球28・奪三振48という成績であった[19]。特に4回6失点と炎上した8月17日の三軍戦[20]亜細亜大学とのプロアマ交流戦)を入来祐作三軍投手コーチは「いわゆる日本の野球にやられました。しっかり四球を選んで、走ってきたり」「狙い球や走塁面の作戦をチームとしてあれほど徹底する野球というのは、彼は初めて経験したんじゃないですかね」と振り返った[18]。キャッチボールではクイックモーションの動作を懸命に繰り返していたが、ファーム施設でリハビリ組を指導していた斉藤学(後の一軍投手コーチ)は「1年目から十分に通用する力は持っていたと思います。でも、日本の野球に適応させようとし過ぎて全てを狂わせてしまった」と話した[21]。秋にはフェニックスリーグで2試合に登板し、10月27日に帰国した[22]

2020年は1月29日に来日し[23]、3月には一軍の練習試合にも先発登板したが[24]、新型コロナウイルスの影響で一軍二軍ともに公式戦開幕が6月19日へ延期となった。5月30日の紅白戦に2イニング予定で登板したが、打球が右足に直撃し、1イニングで降板[25]。6月13日のファーム練習試合で実戦復帰し[26]、同20日の二軍戦でリリーフとしてNPB公式戦初登板を果たした[27]。続く6月24日の二軍戦では5回1失点と好投し、NPB公式戦初先発初勝利[28]。その後もファームで実戦登板を重ね、この年はウエスタン・リーグ(二軍)で15試合に登板し、3勝7敗・防御率4.16を記録[29]。また、三軍では7試合に登板し、2勝0敗・防御率1.95を記録した[30]

2021年は二軍で好投を続けると、4月16日にリリーフとして出場選手登録[31]。翌17日の埼玉西武ライオンズ戦で6点リードの9回裏からプロ初登板を果たし、1回1四球2奪三振無失点に抑えた[32][33]。この試合を含めて4試合にリリーフ登板したが、計5回1/3で9四球を与えるなど、制球に苦しみ[34]、0勝0敗・防御率10.13という成績で5月13日に出場選手登録を抹消された[35]。7月15日に開催されたフレッシュオールスターに選出されるなど[36][37]、ウエスタン・リーグでは主に先発として10試合に登板し、防御率1.47を記録すると、一軍では和田毅の離脱があり[38]、8月15日の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ初先発。勝敗こそ付かなかったが、5回無安打1死球9奪三振無失点の快投を見せた[39][40]。その後は同22日の千葉ロッテマリーンズ戦に先発[41]→3試合にリリーフ登板[42][注 3]→9月15日のロッテ戦に先発[44]。同18日に出場選手登録を抹消され[45]、10月2日のオリックス・バファローズ戦に先発したが、打者8人に対して2安打4四球、2/3回を4失点(自責点3)で敗戦投手[46]。翌3日の登録抹消[47]以降の一軍登板はなく、この年は11試合(4先発[48])の登板で0勝2敗1ホールド・防御率6.08という成績であった[49]

2022年は春季キャンプ中に腹直筋を痛め[50]、5月14日の三軍戦で実戦復帰[51]。ウエスタン・リーグでは14試合に登板して3勝5敗1セーブ・防御率3.19、53回2/3を投げて42四球[52]と制球に苦しみ、この年の一軍登板は無かった。シーズン終了後にはプエルトリコのウィンターリーグに参加したが[48]、体調不良により途中帰国した[53]

2023年も腹直筋を痛めてリハビリした時期があり[54]出遅れたが、二軍で4試合に登板して防御率1.17を記録すると[55]、一軍先発陣に離脱や不振が相次いだチーム事情もあり[56]、6月18日の阪神タイガース戦でシーズン初登板初先発。624日ぶりの一軍登板となり[55]、勝敗こそ付かなかったが、5回1/3を無失点と好投した[57]。その後は、7人で先発ローテーションを回すチーム構想[58]で登録抹消された期間もありながら[59][60]、4先発で防御率1.99と好投を続けたが、打線の援護がなく、0勝2敗と白星に恵まれなかった[61]。7月26日のオリックス戦でも6回6安打1四球6奪三振1失点(自責点0)と好投し、来日5年目でプロ初勝利を挙げた[62]。その後も、前述のチーム構想[63]で登録抹消された期間がありながら[64][65]、先発ローテーションを守り[66]、この年は14試合の先発登板で3勝6敗・防御率3.38を記録[67]。ポストシーズンでは、ロッテとのCSファーストステージ初戦の先発を任されたが[68]、2回1/3を2安打3四球4失点(自責点3)で敗戦投手となった[69]

2024年1月8日、球団との契約期間を2025年シーズンより2年間延長することに合意した[70][注 4]。レギュラーシーズンでは自身初の開幕ローテーション入りを果たし[72]、チームの投手運用[73]で4度の登録抹消がありながら[74][75][76][77]、交流戦終了時点では7試合に先発登板し、1勝2敗・防御率2.09を記録[78]。リーグ戦再開初戦となる6月21日のロッテ戦に先発[79]して以降は自身6連勝を記録するなど[80]、登録抹消されることなく先発ローテーションを守った。この年は規定投球回未到達ながら、20試合の先発登板で9勝4敗・防御率1.95と好成績を残し、チーム4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献[81]。ポストシーズンでは、日本ハムとのCSファイナルステージ第3戦に先発し、5回2失点で勝利投手となった[82]横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズ第3戦にも先発し、4回1失点で降板[83]。さらに中4日で第6戦にリリーフ登板したが[84]、打者6人に対して3安打2四球の乱調で、1/3回を5失点であった[85]

2025年、前年のシーズン終了後に小久保裕紀監督から開幕ローテーション当確が明言されていたものの[86]、春季キャンプ中に左腹直筋を痛め、2月12日からリハビリ組に移った[87]

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選手としての特徴

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投球フォームはオーバースロー[89]。最速160km/h[90]、最高回転数は2700rpmを超えることもある力強いストレートが武器[91][92]。変化球はカーブカットボールスプリットなどを投じる[93]

コントロール[94]と走者を置いた場面での投球に課題を抱えている[95]

人物

愛称は「ジュニア[90]

スポーツ万能であり、野球以外にもバスケットボールやサッカー、ボウリングも得意[2]。特に3歳から始めたゴルフはベストスコア65を誇り、ドライバーでは360ヤードを飛ばし、ゴルフ選手として大学から勧誘されたこともあった[16]

代理人はスコット・ボラス。ソフトバンク入団時の担当スカウトは元投手のマット・スクルメタで、自宅の近くに住むスチュワート一家と親交があることから、スチュワートを13歳の頃から指導していたという[11]

来日当初は、田之上慶三郎二軍投手コーチ(当時)が「入ってきた時は自信満々。『俺はいつでも一軍で投げられるぞ』という感じだった」と振り返り、登板後に話しかけた際、スチュワートは両肘を後ろに掛け、座りながら話を聞き、自分を否定する言葉には耳を貸さなかったという[96]。また、初のキャンプ参加となった2020年春季キャンプでは、12分間走で多くの選手が3000m近くを走る中、スチュワートは1000m付近で足を止めるなど[97]、後に本人も「自分が日本に来た時は、精神的にも肉体的にも、まだいろんな意味でも幼かったと思う」と振り返った[98]

ただ、当時の同僚で長年NPBで活躍したデニス・サファテから「日本でプレーするなら、日本の環境に慣れた方がいい」とアドバイスされたなど[99]、同僚になった外国人選手との出会いが転機となり[96]、苦手なランニングメニューも黙々とこなすようになった[97]。また、食生活も元々シーフードが苦手な上[10]、ラーメンやうどんも口に合わず[100]、来日当初は日本食を受け入れられなかったものの、魚介類を除いた様々な日本食に挑戦するようになった[97]。さらに2021年頃からは、日本語を自分から話すようになり[99]、2023年にプロ初勝利を挙げてヒーローインタビューを受けた際には「皆さんありがとうございます。ガチで頑張ります!」と流暢になった日本語で喜びを表現した[101][102]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2024年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時

記録

初記録
投手記録
打撃記録

背番号

  • 2(2019年 - )

登場曲

[104]

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脚注

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関連項目

外部リンク

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