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カルロス・メイ
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カルロス・メイ(Carlos May, 1948年5月17日 - )は、アメリカ合衆国・アラバマ州バーミングハム出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。実兄のリー・メイはMLB選手。
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概要・人物
1966年にシカゴ・ホワイトソックスからドラフト1巡目で指名され入団。1969年、1972年にはMLBオールスターゲームに選出されている。1969年オフに兵役に従事した際、事故により右手親指の第一関節から先を欠損する。しかしこの怪我を克服すべく独自に編み出した打法で通算1127安打を記録するなどメジャーの中心選手となった。1976年5月にニューヨーク・ヤンキース、1977年9月にカリフォルニア・エンゼルスにそれぞれ移籍。ヤンキース時代にはワールドシリーズに出場したが9打数無安打に終わっている。
1977年オフ野村克也選手兼任監督の退団と柏原純一放出のため、打線強化を急務とする南海ホークスに入団。1979年にはアキレス腱断裂で戦線離脱した門田博光に代わり打線の中心を担った。入団より3年連続打率3割をマークし、低迷が続いたチームの4番打者として活躍したが、4年目の1981年に大腿後側筋挫傷と靭帯損傷により成績が低迷。9月29日に解雇通告を受け翌9月30日に退団、その日のうちに帰国した。門田は「久しぶりに迫力のある外国人やった。本人に聞いたらバズーカ砲で指を落としたらしい。指がなくてもうまいこと放るんよ。それにクローズドスタンスでよお打った。一度は大リーグへの道を諦めかけたらしいが、努力でたどり着いた。勇気づけられた。入院生活をするうちに、もう一度ホームランを打つまでやめないぞ、という気になった。」と語っている[1]。
ホワイトソックス時代、背番号17を着用したことによって、背ネームと合わせると「May 17」になり、歴代メジャーリーグ選手でただ一人の誕生日を背負った選手となった。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 17(1968年 - 1976年途中、1978年 - 1981年)
- 38(1976年途中 - 1977年途中)
- 44(1977年途中 - 同年終了)
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脚注
関連項目
外部リンク
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