オマー・インファンテ

ベネズエラの野球選手 (1981 - ) ウィキペディアから

オマー・インファンテ

オマー・ラファエル・インファンテOmar Rafael Infante, 1981年12月26日 - )は、ベネズエラアンソアテギ州プエルト・ラ・クルーズ英語版出身の元プロ野球選手二塁手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...
オマー・インファンテ
Omar Infante
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カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(2014年6月16日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地 アンソアテギ州プエルト・ラ・クルーズ英語版
生年月日 (1981-12-26) 1981年12月26日(43歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1999年 アマチュア・フリーエージェントとしてデトロイト・タイガースと契約
初出場 2002年9月7日 ニューヨーク・ヤンキース
最終出場 2016年6月6日 ボルチモア・オリオールズ
年俸 $7,750,000(2016年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラ代表
WBC 2013年
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経歴

要約
視点

プロ入りとタイガース時代

1999年デトロイト・タイガースと契約。

2002年9月7日にフランシスコ・ロドリゲスに次ぐリーグ2番目の若さでメジャーデビューを果たした[2]。この年18試合に出場し、打率.333を記録した。

2003年ラモン・サンティアゴと出場機会を分け合いながら主に遊撃手としてプレーし、69試合に出場した。

2004年1月8日に遊撃手のカルロス・ギーエントレードで加入したため、この年は二塁手コンバートされることとなった。

2004年は前年オフに獲得したベテランのフェルナンド・ビーニャとのポジション争いを制し、打撃部門で自己ベストとなる142試合に出場し、16本塁打、55打点を記録した。二塁手以外にも、遊撃手・三塁手外野手も守り、ギーエンと同じく、前年オフに加入したイバン・ロドリゲスら共に、チームの最下位脱出に大いに貢献した。

2005年は開幕当初は二塁手としてプレーしていたが、ギーエンが怪我で長期離脱を余儀なくされてしまった。そのため、タイガースはインファンテを遊撃手に移し、チェイス・アトリーが台頭し始めていたフィラデルフィア・フィリーズから、好守の二塁手であるプラシド・ポランコをトレードで獲得することで、ギーエンの穴を埋めた。結局、遊撃手と二塁手をほぼ半分ずつ守りながら121試合に出場。

2006年はユーティリティープレイヤーとして、チームのワールドシリーズ進出に大いに貢献した。

2007年は出場機会こそ少なかったものの、得点圏打率.413をマークし、持ち前の勝負強さを発揮した。

ブレーブス時代

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アトランタ・ブレーブス時代
(2008年4月22日)

2007年11月12日、ジャック・ジョーンズ外野手とのトレードでシカゴ・カブスへ移籍し、同年12月4日にトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍した。

2008年は150打数以上記録したシーズンとしては自己最高の打率.293をマーク。得点圏打率も.341と、2年連続で.340以上の数字を残し、93安打で40打点をたたき出した。一方で2004年には13個も記録していた盗塁は1つも出来なかった(盗塁死が1つある)。

2009年1月12日に2年340万ドルの契約をアトランタ・ブレーブスと結んだ。

2010年オールスターに初選出された。

マーリンズ時代

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マイアミ・マーリンズ時代
(2012年4月24日)

2010年11月16日にダン・アグラとの1対2のトレードで、マイク・ダンと共にフロリダ・マーリンズに移籍した。

2011年9月27日にマーリンズと2年800万ドルで契約延長したことが発表された。

タイガース時代(第2期)

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デトロイト・タイガース時代
(2013年8月24日)

2012年7月23日にジェイコブ・ターナーら若手3選手とのトレードで、アニバル・サンチェスと共に古巣・タイガースへと移籍した。タイガースには5シーズンぶりの復帰となった[3]

2013年開幕前の3月に第3回WBCベネズエラ代表に選出された[4]。オフの10月31日にFAとなった。

ロイヤルズ時代

2013年12月13日にカンザスシティ・ロイヤルズと4年総額3000万ドルで契約に合意したことを報道され[5]、12月16日に球団が発表した[6]

2014年は、腰痛で故障者リスト入りした期間があったものの、満塁の場面でよく打って、自己最多の66打点を記録した[7]。打率は.252だった。守備成績は、134試合で二塁手を守って11失策守備率.978・DRS + 1という内容だった。

2015年は124試合の出場に留まり、規定打席到達を逃した。この年は打撃面で不振に陥り、打率.220・2本塁打・44打点という成績に終わった。また、選んだ四球が僅かに9個であり、出塁率は.234という低さだった。一方、二塁手の守備では調子を維持し、前年比マイナス1となる10失策・DRS + 3という成績を残した。

2016年6月15日にDFAとなり[8]、23日に自由契約となった[9]

ブレーブス復帰

2016年6月30日にブレーブスとマイナー契約を結んだ[10]。傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスでプレーしていたが、8月16日に自由契約となった[11]

タイガース時代(第3期)

2016年12月9日に古巣タイガースとマイナー契約を結んだ[12]

2017年12月6日にFAとなった。

選手としての特徴

もともと、遊撃手だったが、2003年オフにカルロス・ギーエンが加入後に二塁手に転向。ギーエンが長期離脱すると遊撃手に再転向したが、ギーエン復帰以降は、バッテリーと一塁手以外をすべて守るユーティリティ性の高い選手となった。しかし、2011年にマーリンズに移籍してからは、レギュラー二塁手として一本化された。それ以降も二塁専門としてプレーし、2011年から2016年シーズン終了時点までの間で二塁出場は705試合。それ以外のポジションでは三塁がわずかに6試合だけだった。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2002 DET 1875724243013060100300100.333.360.417.777
2003 69244221244961057863321800371.222.278.258.536
2004 1425565036913327916226551377540311124.264.317.449.766
2005 121434406369028291494380821602735.222.254.367.621
2006 7824522435621144932532221403455.277.325.415.740
2007 66178166244561259174121900294.271.307.355.662
2008 ATL 96348317459324331324001252222444.293.338.416.755
2009 702292032462912792720241901285.305.361.389.750
2010 13450647165151153819647764229106214.321.359.416.775
2011 FLA
MIA
148640579551602487221494217834126712.276.315.382.696
2012 853473284294232814533101421201427.287.312.442.754
DET 64241226275875487207242900232.257.283.385.668
'12計 149588554691523071223253173842101659.274.300.419.719
2013 118476453541442431020451520320104411.318.345.450.795
2014 KC 1355755285013321361786693573332687.252.295.337.632
2015 12445544039972372140442224900698.220.234.318.552
2016 39149134163291043110024900230.239.279.321.600
MLB:15年 15075698527160914272605382203954280336453296111477689.271.308.387.695
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  • FLA(フロリダ・マーリンズ)は、2012年にMIA(マイアミ・マーリンズ)に球団名を変更

年度別守備成績

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二塁(2B)三塁(3B)遊撃(SS)中堅(CF)左翼(LF)右翼(RF)








































































2002 DET 259041.000-161854510.935---
2003 233021.00041811.900631172111353.962---
2004 1052042811273.9761028021.000232867411.9605100001.000--
2005 69153186452.988-5082149635.975---
2006 3765108430.977738001.0001071615.958410001.000--
2007 20303818.986962211.96614151725.94112190001.00010000----640001.000
2008 ATL 101419061.00032135546.944202745512.935340001.0003444010.978-
2009 304262212.9811011410.938101121031.000870001.0007110001.000360001.000
2010 65110195743.9782973031.925192969513.951-1511110.9236120001.000
2011 FLA
MIA
146260466875.989-----
2012 83149278871.982-----
DET 6184174927.96660110.500----
'12計 1442334521798.97660110.500----
2013 1181573421073.983-----
2014 KC 1341873041167.978-----
2015 1241933201067.981-----
2016 3966102417.977-----
MLB 10451722288790627.981107331461111.94222533464941147.96032410001.0005766120.97115220001.000
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記録

背番号

  • 20 (2002年 - 2007年)
  • 4 (2008年 - 2010年、2012年途中 - 2013年)
  • 13 (2011年)
  • 12 (2012年 - 同年途中)
  • 14 (2014年 - 2016年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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