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フェルナンド・ビーニャ
キューバ系アメリカ人の野球選手 (1969 - ) ウィキペディアから
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フェルナンド・ビーニャ(Fernando Viña , 1969年4月16日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サクラメント出身の元プロ野球選手(二塁手)。右投左打。
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来歴
1988年のドラフト会議でニューヨーク・ヤンキースに51巡目で指名されたが、契約せず。その後、アリゾナ州立大学に進学して1990年のドラフト会議でニューヨーク・メッツに9巡目で指名され入団。
1992年12月7日、ルール5ドラフトでシアトル・マリナーズに移籍。1993年4月10日にデビュー。しかしマイナー降格となったため、6月15日にメッツへ返還された。
ブルワーズ時代
1994年12月22日、交換トレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。1995年は故障者の穴埋め等で多く出場。1996年は主に1番打者で活躍。5月のクリーブランド・インディアンス戦で、一塁走者のアルバート・ベルに殴り倒されたこともあった。しかし1997年は故障で75試合の出場に留まった。
ブルワーズが球団拡張でナ・リーグに移動した1998年、ビーニャは打率.311、101得点と自己最高の成績を残す。初めてのオールスターゲームにも出場、オフの日米野球のMLB選抜としても訪日した。しかし1999年は再び故障で37試合の出場に留まり、不本意なシーズンを送った。12月20日、交換トレードで新たな核弾頭と二塁手を探していたセントルイス・カージナルスに移籍。
カージナルス時代
2000年はリーグ最多の28死球の影響で故障者リスト入りするも、打率3割でカージナルスの地区優勝に貢献。2001年は打率.303と2年連続3割、初のゴールドグラブ賞を受賞。2002年も2年連続ゴールドグラブ賞を受賞した。しかし、2003年は故障で61試合の出場に留まった。11月3日にFA。12月19日、デトロイト・タイガースと2年契約。
タイガース時代 - 引退
2004年はアレックス・サンチェスがいたため、2番の打順で開幕を迎えた。しかし、5月11日の出場を最後に故障者リスト入り。2005年も故障者リスト入りで出場せず。2006年はマリナーズのスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、引退した。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
記録
- MLBオールスターゲーム選出:1回(1998年)
背番号
- 6(1993年)
- 1(1994年 - 1999年)
- 4(2000年 - 2003年)
- 10(2004年)
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外部リンク
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