エンリケ・トーレス
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エンリケ・トーレス(Enrique Torres、1922年7月25日 - 2007年9月10日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンタアナ出身のメキシコ系アメリカ人(出身地はメキシコのソノラ州ともされる)。
かつて日本の誌上などでは「エンリキ・トーレス」と紹介されていた。
来歴
トーレス3兄弟の長男で、次男にアルベルト・トーレス、三男にラモン・トーレスがいる[2]。ボクサーを経て[2]、1946年6月にプロレスデビュー[3]。
1946年12月11日、ロサンゼルスにてジョージ・ベッカーを破り世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版)を獲得[4]、以降このベルトは1950年11月22日にバロン・ミシェル・レオンに敗れるまで保持していた。
1952年2月28日、カンザス地区でボブ・オートンからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[5]。同年、サンフランシスコにてNWA太平洋岸ヘビー級王座を獲得[6]。9月には同タッグ王座にもジノ・ガリバルディと組んで戴冠した[7]。
1955年7月29日、ジョニー・バレンドとのコンビでジン・キニスキー&ロード・ブレアースを破りNWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版)を獲得[8]。1958年2月27日には弟のアルベルトと組んでNWAテキサス・タッグ王座を奪取[9]。1959年11月23日にはジョージ・ベッカーと組んでラリー・ハミルトン&グレート・ボロを破りNWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版)を獲得した[10]。
1960年代に入ると、ロサンゼルスにて1962年5月2日にビリー・バルガからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取[11]。1964年4月13日にはカナダのバンクーバーにて、ベアキャット・ライトをパートナーにNWAカナディアン・タッグ王座を獲得[12]。1964年にはハワイにも進出し、12月12日にキング・イヤウケアからハワイ版のNWA USヘビー級王座を奪取[13]。また、アルベルトと組んでハワイ・タッグ王座も獲得した[14]。アルベルトとの兄弟タッグでは、ジョージアにて1966年5月6日にNWA南部タッグ王座を[15]、6月17日にはNWA世界タッグ王座(ジョージア版)も奪取している[16]。
日本には1959年5月、日本プロレスに来日し『ワールド大リーグ戦』の第1回大会に出場。準決勝でジェス・オルテガに引き分けるも、その後のコイントスで敗れ決勝進出には至らなかった[17]。残留参戦した『夏の国際選抜戦』では、7月21日に力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦している[18]。
得意技
獲得タイトル
- NWA南部タッグ王座(ジョージア版):10回(w / アルベルト・トーレス×6、ラモン・トーレス×4)[15]
- NWA世界タッグ王座(ジョージア版) :5回(w / アルベルト・トーレス×2、ラモン・トーレス×3)[16]
- NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ジョージ・ベッカー)[10]
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / ベアキャット・ライト)[12]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回[11]
- NWA太平洋岸ヘビー級王座(サンフランシスコ版):4回[6]
- NWA太平洋岸タッグ王座(サンフランシスコ版):10回(w / ジノ・ガリバルディ、レオ・ノメリーニ、ラモン・トーレス、ロニー・エチソン×4、ジェス・オルテガ、ロッキー・ブラウン、シャーンドル・コバックス)[7]
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):8回(w / レオ・ノメリーニ×2、ジョニー・バレンド、ボボ・ブラジル×2、ロニー・エチソン、リップ・ミラー、レジー・パークス)[8]
- NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / ラモン・トーレス)[9]
- その他
- 世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版):2回[4]
脚注
外部リンク
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