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ウィリー・ヘルナンデス
プエルトリコの野球選手 (1954-2023) ウィキペディアから
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ギレルモ・ヘルナンデス・ビジャヌエバ(Guillermo Hernandez Villanueva、1954年11月14日 - 2023年11月20日)は、プエルトリコ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。
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経歴
シカゴ・カブスに入団し、1977年4月9日にメジャー初登板。この年いきなり67試合に登板して8勝7敗4セーブ、防御率3.03の好成績をあげて、まずは中継ぎ投手(セットアッパー)として活躍。
1980年は先発に転向するが、7試合の先発で散々な結果に終わり再び中継ぎに転向。1981年は故障のため12試合の登板に終わるが、1982年に75試合登板と復活し、この時点で最多の10セーブをあげる。
1983年途中にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。移籍後は63試合登板で8勝4敗7セーブ、防御率3.29という内容を残した。チームはワールドシリーズ(対ボルチモア・オリオールズ)に進出し、シリーズでも7戦中5試合に登板した。
そして1984年にデトロイト・タイガースに移籍し、抑え投手(クローザー)として起用され、飛躍的な活躍を見せ、初のオールスター登板も果たす。
それまでの8シーズンで通算27セーブだった投手が見違えるように急成長し、80試合に登板して9勝3敗32セーブ、防御率1.92の大活躍。33のセーブ機会で32セーブをあげる。わずか1回の失敗は、チームが地区優勝を決めた後のいわゆる消化試合でのものだった。この活躍でア・リーグMVP、サイ・ヤング賞に選出された。救援投手のMVP獲得はジム・コンスタンティー、ローリー・フィンガーズ、に次ぐ史上3人目であった(のちにデニス・エカーズリーが4人目となった)。
チームは開幕から40試合で35勝をあげ(メジャー記録)、ぶっちぎりで地区優勝。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(当時は3回戦制)でもカンザスシティ・ロイヤルズに3連勝し、ワールドシリーズでもサンディエゴ・パドレスを4勝1敗で下し、ワールドチャンピオンに輝いた。
翌1985年も8勝31セーブ、1986年も8勝24セーブをあげて、ここまで3年連続でオールスター出場を果たす。1986年秋には日米野球に(メジャーリーグオールスターの一員として)出場。しかし活躍もここまでで、1987年は8セーブに終わる。
1988年には登録名を「ギレルモ・ヘルナンデス(Guillermo Hernandez)」に変更して心機一転を図るが以前のような好成績はあげられず、1989年8月18日にタイガースを解雇され、そのまま現役を引退した。その後1989年にはトロント・ブルージェイズ傘下のAAA級シラキュースで現役復帰に挑み、1994年から1995年のMLBストライキの際には40歳にして代替選手として1995年のスプリングトレーニングやオープン戦に参加し、シーズン開幕後はニューヨーク・ヤンキース傘下のAAA級コロンバスでプレーしたがメジャー昇格は果たせなかった。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰・記録
- サイ・ヤング賞:1回(1984年)
- シーズンMVP:1回(1984年)
- MLBオールスターゲーム出場:3回(1984年 - 1986年)
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回(1984年7月)
背番号
- 38(1977年 - 1983年)
- 48(1983年)
- 21(1984年 - 1989年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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