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日本の奇術師 ウィキペディアから
アダチ 龍光(アダチ りゅうこう、本名:中川 一[1][2]、1896年7月20日 - 1982年10月13日[1][2])は、日本の奇術師。生前は落語協会所属。日本奇術協会第4代・第6代会長、東京演芸協会第3代会長を歴任。
新潟県蒲原郡両鹿瀬村の曹洞宗の寺院に生まれた[1]。18歳で上京[1]し、岩倉鉄道学校中退[2]後、新派の役者修業[1][3]をしていたが、映画の活動弁士を志し、1920年(大正9年)、大阪へ渡って木村紅葉(本名:木村荘六。木村荘平の六男)に入門し、アダチ荘一を名乗った。ところが紅葉が奇術師に転向し、木村マリニー(木村マリーニ)と改名したため、マリニー、マリニーの妻、荘一の3人で一座を組み、奇術の巡業を開始することとなった[3]。
1922年(大正11年)、アダチ龍光に改名した。東京・大阪の寄席に出つつ、初代江戸家猫八の一座に帯同し、声帯模写を学ぶ[3]。この時期に「擬声漫談」と称する一人話芸も行なっており、SPレコードを2枚録音している[4]。1930年代に吉本興業の専属になる。
戦後は故郷の新潟に戻っていたが、営業でやって来た芸人仲間と再会して復帰を誘われ、みたび上京。落語協会に所属する。1966年(昭和41年)に芸術祭奨励賞受賞[1]。同年から日本奇術協会会長を務めた[1]。1971年(昭和46年)には昭和天皇の古希祝いとして、皇居で奇術を披露している[1][3]。
1979年(昭和54年)、脳内出血で倒れるが、1年後には復帰。『花王名人劇場』(関西テレビ)に出演した。1982年(昭和57年)10月13日[1][2]に急性心不全のため86歳で没した。戒名は龍光一道信士[3]。
タキシード姿で、新潟訛り[1]ながら活弁、声帯模写、漫談をバックボーンとした軽妙な語り口を交えつつマジックを披露し、人気を博した。初代猫八譲りのウグイスなどの動物の鳴き真似でも知られた。
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