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日本の雑誌 ウィキペディアから
1985年11月に第一弾を刊行。当初は隔月刊の刊行だったが、1986年5月号から月刊化。1989年1月号で休刊。
『月刊コロコロコミック』などと同様、小学生が主対象の読者年齢層だった。『ゼルダの伝説』、『スーパーマリオブラザーズ』など当時人気のあったファミリーコンピュータ(ファミコン)ゲームを題材にした漫画が多く掲載された。任天堂やサンソフトといったソフトメーカーと直にタイアップを行い、キャラクターデザイナー自身によるコミカライズや、発売前のゲーム作品を連載の際、同時に開発スタッフのインタビューを同時掲載するなど、ゲームを軸にしたメディアミックスを本格的に行ったほぼ最初の漫画雑誌である。
ファミコン以外にも、ラジコンを扱った作品や、ラジコンの組み立てを講座形式で解説する作品も掲載されていた。後期には吉沢やすみによる『スーパーど根性ガエル』をはじめとした非ファミコン系漫画も連載された。タレントの車だん吉が執筆していた時期もある。
当初はファミコンゲームの攻略およびゲーム作品のストーリーを中心とした構成だったが、徐々にオリジナル作品が掲載されるようになり、1988年1月号より当時流行の『ビックリマン』ブームにあやかる形でカバヤ食品から発売されていた『ハリマ王の伝説』を初めとしたおまけシールを題材としたコミカライズ作品を取り入れポスト『コロコロコミック』を目指した。しかし、この方針変更は読者の多くが、ファミコン関係の漫画および記事を目当てにしていたのとは全くの逆行であり、また、また取り上げられたシールが今日では「マイナーシール」と呼ばれるほど知名度が低く、『コミックボンボン』とも違い子供への売込みを行うような玩具企業のバックボーンも無かったため、発行部数・売り上げが低迷するようになった。最終的には梃入れとして、『ど根性ガエル』を招聘しアニメ化へと進めた。しかし、当時の主要読者層と合致せず、牽引力ともならなかった。
最終的にファミコンゲーム漫画誌という形を捨てたが、他誌に移って連載が続いたのは『スーパーマリオくん』としてライバルであった『コロコロコミック』で連載が再開された『スーパーマリオブラザーズ2』および『3』(沢田ユキオ)のみだった。
脱ファミコンゲーム漫画雑誌計画のために中途半端な形となって自滅してしまった格好で休刊したが、ゲームソフトのバックボーンとなっている物語を漫画化するという手法を確立したという意味では、漫画業界的にもゲーム業界的にも一定の歴史的意義があった存在と言える。
また、結果的に雑誌としての寿命を縮める事になった「マイナーシール」であったが、同誌以外では取り上げられなかったシリーズもあり、それらを特集したムック本等は収集家や研究者とって資料的価値が高く、希少性もあり古書市場では高額で取引されている。
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