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ラジオディレクターおよびパーソナリティー ウィキペディアから
おたっきぃ佐々木(おたっきぃささき、本名:佐々木 伸(ささき しん)、1969年(昭和44年)10月10日 - )はラジオディレクターおよびパーソナリティー。ライトニングスカーレット(解散)の元・代表取締役。[要出典]愛称は「おたささ」。
東京都目黒区出身。攻玉社高等学校、法政大学文学部英文学科卒業。実家は自由が丘で焼鳥屋を営んでいる[2]。
大学在学中にセガに内定を受けるが、留年により内定を辞退。その後、1991年(平成3年)に文化放送系列の番組制作会社セントラルミュージック (JCM) に入社。当初は一般の番組でADとして下積みをしていたが、上司の「佐々木、アニメとか好きなんだって?」という一言をきっかけとして、1993年春より『MADARA転生編』のADを担当。同年10月、國府田マリ子パーソナリティの『ツインビーPARADISE』でディレクターデビューを果たし、その後多数のアニメ系ラジオ番組(文化放送A&Gゾーン)のディレクターを手がける[3]。
『ツインビーPARADISE』中期からは「おたっきい佐々木ファンクラブ」のコーナーで番組内にも登場、そこから各種メディアにも登場するようになる。
1997年10月には、文化放送のアニラジ『超機動放送アニゲマスター』のパーソナリティに抜擢される。彼にとってラジオパーソナリティとしてのデビュー作となったこの番組は、2004年3月に終了するまで6年半にわたり続いた長寿番組となった。
1998年にテレビ東京の番組「渋谷でチュッ!」を一般人に交じって観覧している様子が未公開集で流された。奇抜な格好をしていたからか「こう見えても偉い人」のテロップが入っていた。
キッズステーションで放送されていたアニメ情報番組『アニメぱらだいす!』の司会を野川さくらと一緒に担当していたことがある。
2005年以降、ラジオ業界の一線からは退き、家業を継ぐ傍ら、地元である自由が丘のクラブ「ACID PANDA CAFE」(その後渋谷に移転後、閉店[4])の月例イベント「聖子changの昭和ボンクララウンジ」で、昭和アニソンDJ「撲殺先輩」として活動している[5]。なお2011年8月よりラジオ大阪の『がちヨミ!デコよみ!?』で、ラジオDJとしても復帰した[6]。2017年1月から、株式会社MFSに所属し、ラジオディレクターとして活動することを自身のFacebookで発表した。
※ 全曲、作詞も担当
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