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旧ソ連が開発した主力戦車 ウィキペディアから
T-62(ロシア語: Т-62テー・シヂスャート・ドヴァー)は、ソビエト連邦で開発された主力戦車である。
T-62 | |
性能諸元 | |
---|---|
全長 | 9.3 m |
車体長 | 6.63 m |
全幅 | 3.52 m |
全高 | 2.4 m |
重量 | 41.5 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 50 km/h |
行動距離 |
450 km 650 km(外部タンク搭載時) |
主砲 |
55口径115 mm U-5TS(2A20) 滑腔砲(搭載砲弾40発) |
副武装 |
12.7 mm 対空機関銃 DShKM (後期型以降) 7.62 mm 機関銃 PKMT |
装甲 |
|
エンジン |
V-55 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル 580馬力(463kW) |
乗員 | 4名 |
1950年代に入ると、ソ連軍の戦車開発を管轄するGABTU(装甲車輌総局)は、新世代の戦車砲と対戦車砲弾である、滑腔砲とAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)の開発に着手、これを搭載する次期新型戦車「オブイェークト432」(後のT-64)の開発を、ハリコフ機械製造設計局に発注した。新型戦車砲及び徹甲弾の開発は順調に進んだが、新機軸を盛り込んだ「オブイェークト432」が失敗した場合の保険として、やや性能は劣っても新機軸を盛り込まない、安全確実な従来技術による「オブイェークト140」の開発を、ウラル車輌工場に発注し、量産中のT-55にこの砲システムを組み込んだ改良型の開発計画が立てられた。これが後のT-62へと発展する。
この計画はT-55を設計したレオニード・カルツェフ技師の設計チームが担当、1957年には最初の試作車「オブイェークト165」が完成した。T-55の流れを汲むがより真円に近く平たい形態の全周旋回式砲塔に、第9工場(火砲)設計局開発の100 mmライフル砲 D-54TSを搭載した。D-54TSには発砲後空薬莢を砲塔後上面ハッチより自動排出する機構が備えられていた。
1961年からは当初の計画通り115 mm滑腔砲 U-5TS搭載の試作車が完成、これを「オブイェークト166」、制式名称 T-62 として量産が決定された。正式な量産/配備車両は1965年5月9日、モスクワ赤の広場で行われた「対ドイツ戦勝20周年祝典パレード」で初めて公式に公表された。
T-62は、T-54/55とは違い広く供与はされなかったが、ソ連の同盟諸国でも装備された。第四次中東戦争時にイスラエル国防軍によって鹵獲されたシリア軍の車両は、アメリカに運ばれアメリカ軍によって徹底的なテストを受け、当時としては貴重なソ連製戦車の詳細なデータを西側諸国にもたらしている。
1970年代末の生産終了までに19,019輌が生産された。現在では多くの国で後継のT-72に主力戦車の座を譲っているが、ロシアやウクライナなど一部の国では近代化改修型を主力戦車として運用している。
T-62は、基本的にT-55を発展させた型である。車体が若干大きくなり、重量の配分が変わったため転輪のピッチが異なる。T-54/55は第1転輪と第2転輪の間が広いが、T-62は第3・第4転輪の間と第4・第5転輪の間が広く取られている。砲塔はT-54/55のものをさらに洗練した鋳造製で、傾斜の小さい下部ほど厚みがあり、上にいくに従って薄くなる構造である。T-54/55とは異なり、上面も含めた一体鋳造になっている。
最大の特徴は主砲にAPFSDSの運用に適した滑腔砲(ライフリングを施していない砲)を採用した事である。この砲の装甲貫徹力は大きかったが、ソ連陸軍の第二次世界大戦における戦車戦の分析に従い、長距離での戦闘を重視しなかった。このような設計思想であったため、単純な距離計測能力しか持たない(照準器の接眼レンズ内に距離測定用の目盛りを持つのみ)照準器により、射程1,500メートルを越えると命中率が急激に低下するのが弱点であった。これはのちにレーザー測遠器を搭載するなどして改善された。主砲は「メテオール」砲安定装置によって2軸で安定化されおり、照準器も砲安定装置との機械的なリンクにより安定化されている。米軍が実施したテストでは、時速20kmで行進間射撃を行う場合、T-62は1000メートルの移動目標に対して70%の初弾命中率を示した。これにより、この戦車は動的な戦場や突破作戦、特に戦車戦のほとんどが1,500メートル以内で行われる中央ヨーロッパで大きな利点を得ることができた。
敵による発見を防ぎ、また、被弾率を低くするため全高を低くするというソ連戦車の設計思想がよく現れている。それによって乗員の居住性が犠牲となり、砲身の俯角がほとんど取れないという欠点が生じている。(俯仰角は-6°から+16°)
砲弾の装填は装填手が手動で行い、射撃後の空薬莢を邪魔にならないよう砲塔後部の小ハッチから自動的に排出する機構(自動排莢装置)を持つ。発射後には仰角3.5度に砲が固定される。これには装填速度向上だけでなく、排莢時の有害な燃焼ガスの車内への充満を防ぐ効果もあった。NBC兵器による汚染が警戒される場合などでは、任意に自動排莢を停止することも可能である。砲塔内部にはT-55と同様にNBC防御用PAZシステムを装備し、設置場所はT-55の砲塔右前方から、砲塔後部の排莢ハッチ下へ変更された。
なお、T-62は標準で潜水渡渉能力を持ち、シュノーケルを装備すると共に機関室上面の開口部を塞ぐための水密扉が装備されている。自動排莢機構が投棄する薬莢により、機関室上面の水密扉が損傷することを防ぐため、格納状態の水密扉にはこれを覆う形で防護板が備えられている。
1983年以降、対戦車ミサイルに対するアクティブ式防御装置を搭載したり、主砲からミサイルを発射できるように近代改修された車両も多く存在している。
T-14 | T-90 | T-80U | T-80 | |
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画像 | ||||
世代 | 第3.5世代 | 第3世代 | ||
全長 | 10.8 m | 9.53 m | 9.55 m | |
全幅 | 3.5 m | 3.78 m | 3.6 m | |
全高 | 3.3 m | 2.23 m | 2.2 m | |
重量 | 55 t | 46.5 t | 46 t | 42.5 t |
主砲 | 2A82-1M 125mm滑腔砲 |
2A46M/2A46M-5 51口径125mm滑腔砲 |
2A46M-1/2A46M-4 51口径125mm滑腔砲 | |
装甲 | 複合+爆発反応+ケージ (外装式モジュール) |
複合+爆発反応 (外装式モジュール) | ||
エンジン | 液冷4ストローク X型12気筒ディーゼル |
液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル |
ガスタービン or 液冷2ストローク 対向ピストン6気筒ディーゼル |
ガスタービン |
最大出力 | 1,350 - 2,000 hp | 840 - 1,130 hp | 1,000 - 1,250 hp | 1,000 - 1,250 hp |
最高速度 | 80 – 90 km/h | 65 km/h | 70 km/h | 70 km/h |
懸架方式 | 不明 | トーションバー | ||
乗員数 | 3名 | |||
装填方式 | 自動 |
T-72 | T-64 | T-62 | T-55 | T-54 | |
---|---|---|---|---|---|
画像 | |||||
世代 | 第2.5世代 (B型以降第3世代) |
第2.5世代 | 第2世代 | 第1世代 | |
全長 | 9.53 m | 9.2 m | 9.3 m | 9.2 m | 9 m |
全幅 | 3.59 m | 3.4 m | 3.52 m | 3.27 m | |
全高 | 2.19 m | 2.2 m | 2.4 m | 2.35 m | 2.4 m |
重量 | 41.5 t | 36~42 t | 41.5 t | 36 t | 35.5 t |
主砲 | 2A46M/2A46M-5 51口径125mm滑腔砲 |
2A21 55口径115mm滑腔砲 2A46M 51口径125mm滑腔砲 (A型以降) |
U-5TS(2A20) 55口径115mm滑腔砲 |
D-10T 56口径100mmライフル砲 | |
装甲 | 複合 (B型以降爆発反応装甲追加) |
通常 | |||
エンジン | 液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル |
液冷2ストローク 対向ピストン5気筒ディーゼル |
液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル | ||
最大出力 | 780 - 1,130 hp/2,000 rpm | 700 hp/2,000 rpm | 580 hp/2,000 rpm | 520 hp/2,000 rpm | |
最高速度 | 60 km/h | 65 km/h | 50 km/h | ||
懸架方式 | トーションバー | ||||
乗員数 | 3名 | 4名 | |||
装填方式 | 自動 | 手動 |
初実戦は1968年のドナウ作戦であり、T-55やT-10重戦車等と共にチェコスロバキア軍やプラハ市民の制圧に従事した[1]。その翌年に発生した中ソ国境紛争で3両のT-62が投入されたが、中国軍側が設置した対戦車地雷や56式火箭筒による対戦車攻撃等で全車両が行動不能となり、その場で放棄された[1]。その内の1輌が中国側に鹵獲され、69式戦車の開発に役立てられたほか[2]、プロパガンダのために北京で展示された。
T-62は、ワルシャワ条約機構内ではブルガリアを除いたほとんどの国家で採用されず、チェコスロバキアやポーランドでのライセンス生産も行われなかった[3]。一方でエジプトやシリア等の中東・アフリカ諸国や親ソ国家で採用され、第四次中東戦争などで用いられたが、本来の想定戦場であるヨーロッパの大平原と異なり、中東の複雑な地形では前述の遠距離射撃性能の悪さや俯角の取れない点などで戦果は芳しくなかった。戦争を通じイスラエル国防軍に多数が鹵獲されTiran-6として戦力化されているが、中距離までなら威力と精度が必要充分として、同様に鹵獲されたT-55で行われた主砲換装などの凝った改造までは施されていない。
また、共産主義時代のアフガニスタン政府軍にソ連軍撤収時に170輌が譲渡、後の内戦時には各勢力により使用された。後のアメリカ軍のターリバーン攻撃時にも、北部同盟に対しロシアからT-55と共に新たに供与されている。ロシアでも運用は続き、チェチェン紛争に投入されたロシア国内軍のT-62Mは映像にしばしば登場している。T-62は自動装填装置を搭載したT-64以降のソ連戦車と異なり、砲塔直下の床下に弾薬庫がないため地雷などに対し砲弾の誘爆が起きにくく、意外なタフさを見せた。
北朝鮮では「天馬号/天馬虎」の名でライセンス生産されており、「暴風号/暴風虎」および「先軍号」の基にもなっている。
イラクでは共和国防衛隊で運用されていたが、湾岸戦争でアメリカ軍のM1A1に敗北した。
本来、T-54/55を代換すべきT-64の開発・実用化と量産がはかどらなかったため、T-62は予定以上に生産、T-72が開発・配備された後も近代化改修が施され長らく使用されたが、冷戦終結後の軍縮により退役しスクラップになった車両も相当な数に上っている。たとえば南オセチア紛争で使用された際には、敵に撃破されるものよりはるかに多くの故障による損失を出しロシア兵を悩ませたという。
その後もロシア軍には2011年段階で約900輌、うち稼働150輌が残っていたが、2013年に全車退役が決定され、分解整備の後、輸出に回されることとなったとの報道もあった[4]。しかし2018年には保管されているT-62を復帰させ輸送する訓練が行われている[5]。
2021年には、代替となる予定であったアップグレード版T-90Mの開発とT-14の量産遅延と価格高騰が影響し、T-62の退役・代替は一向に進んでおらず、2018年以降も度々演習に参加。2021年9月には、第103装甲修理工場がアップグレード版T-62を発表。赤外線カメラ、レーザー距離計など新しい電子光学・照準システムが搭載され視界が2000 mに拡大、メタロポリマー混合装甲、コンタークト1爆発反応装甲やスラット装甲の追加など防護やエンジンもアップグレードされた。開発から半世紀以上経つT-62はまだしばらくロシア軍内で運用されることになる。
2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻の際には、開戦から間もなくしてロシア軍で運用する戦車の消耗が激化したため、3月末の時点で予備兵器として保管されていたT-62Mの再導入が試みられた[6][7]。T-62Mは1ヶ月ほど掛けて整備が行われ、5月末頃には復帰したT-62Mから編成される大隊戦術群がロシア領内に配置されたとみられている[7]。また、光学サイトの代わりに新しいサーマルサイトを装備した近代化モデルも目撃されている。 一方で、あまりにも旧式であるためウクライナ軍陣地への突撃を行う運用は避け、自走式の榴弾砲として後方で運用する事例も見られた[8]。
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