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SNCASO SO.9000 トリダン(SNCASO SO.9000 Trident)は、1950年代のフランスの複合動力プロトタイプ要撃機。超音速で飛行する能力を有していたが、1957年7月、試作機12機が製造された時点で計画は中止された。
SO.9000/SO.9050 トリダン
ル・ブルジェ航空宇宙博物館に展示されているトリダン I
フランス空軍は、シュド・ウエストに拠点防衛要撃機の開発を命じ、研究は1948年10月から開始された[1]。提案された機体は、主動力をSEPR社のロケットエンジンとする肩翼機で、増強のために翼端にターボジェットエンジンを装備した。初飛行は1953年3月2日に、テストパイロットのJacques Guignardによって実施されたが、ターボジェットのみを使用したために、離陸には滑走路一杯を使う必要があった[1]。1955年3月から、ダッソーが製造した合計推力7.34 kN(1,654 lbf)のアームストロング・シドレー ヴァイパーターボジェットエンジンを装備したトリダン Iが飛行試験を開始した。このエンジンのおかげで、ロケットエンジンを使用しない場合でも、緩降下時にマッハ1を超えることが出来た[2]。
トリダンの試験飛行は、ノンフィクションライターのBill Gunstonによると、1954年9月にロケットエンジンが装備されるまでは「身の毛がよだつ」ようなものだったと描かれている。18ヶ月間に100回以上の試験飛行が実施され、最高速度はマッハ1.8、到達高度は20,000メートル(65,000 ft)に達した[1]。
トリダン IIのうち1機は、1957年5月21日に、事故のため失われた[3]。
計画は1957年7月に中止された。これは有人航空機ではなくミサイルに重点を置くという、英国の1957年度国防白書の影響を受けたものであった[1]。また、トリダンよりさらに高性能で実用性の高いミラージュIIIの開発が成功(1956年11月17日に試作機が初飛行)したことも影響している。
2機製造。初号機は1952年の後半に完成した。2号機は1953年9月の初飛行時に墜落した。3チャンバーのSEPR 481 ロケットエンジンを装備し、2,755 lbf(12.25 N)の推力を発生した。
先行量産機として1953年に10機が発注された。より高出力(推力2,645 lbf)のチュルボメカ社製のGabizoターボジェットエンジンと、2チャンバーのSEPR 631ロケットエンジン(より微細に制御できるよう、それぞれのチャンバーが独自に着火できた)。初飛行は1955年12月21日であった。
トリダン初号機は、パリ郊外のル・ブルジェ航空宇宙博物館に1956年から展示されている。
出典: Gunston[4]
乗員: 1名
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