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日本の北海道深川市に存在した駅 ウィキペディアから
鷹泊駅(たかどまりえき)は、北海道(空知支庁)深川市鷹泊にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はタマ。事務管理コードは▲121404[2]。
開業当時の所在地名「雨竜郡多度志村鷹泊[6]」より。
地名は、市街の少し下流の対岸にある巨岩(現在の鷹泊岩)に鷹がよくとまっていたことからとされるが[7][8]、国鉄北海道総局発行の『駅名の起源』は1954年(昭和29年)版からアイヌ語の「チカㇷ゚オッナイ(chikap-ot-nay:鳥・多くいる・川)」に由来するという説を掲載しており[8][9]、不明である[10]。
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(名寄方面に向かって左手側)に存在した[11]。そのほか本線の名寄方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線有していた[11]。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であり、ここを終着とする深川からの区間列車も運転されていた[12]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[12]。駅舎側(西側)が下りの1番線、対向側(東側)が上りの2番線となっていた[12]。また島式ホームの外側1線が側線として残っていた[12]。この側線からは名寄方に伸びる行き止まりの短い側線を1線有した[12]。交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[11]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接していた[11]。昔ながらの古びた木造で、入口の上には「たかどまり」と記載された大きな駅銘板が設置されていた[11]。有人駅時代には待合室に水仙とバラの造花が飾られていた[12]。
駅前広場には30m近い大椴松が数本そびえていた。
乗車人員の推移は以下のとおり。なお、1967年度(昭和42年度)については当駅単体の値が判明していないため参考値を記す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1967年(昭和42年) | (367,906) | (1,005) | [13] | 同年の上多度志 - 鷹泊間各駅(仮乗降場除)の合算値 |
1968年(昭和43年) | 74,825 | 205 | ||
1969年(昭和44年) | 60,886 | 166 | ||
1970年(昭和45年) | 51,972 | 142 | ||
1971年(昭和46年) | 49,166 | 135 | ||
1972年(昭和47年) | 53,872 | 148 | ||
1973年(昭和48年) | 39,876 | 109 | ||
1974年(昭和49年) | 36,842 | 101 | ||
1975年(昭和50年) | 34,749 | 95 | ||
1981年(昭和56年) | 86 | [12] | ||
1992年(平成4年) | 50 | [11] |
2000年(平成12年)時点では、駅舎、ホーム、別棟のトイレが残存していた[16]。駅舎は窓や扉の開口部は板で打ち付けられて塞がれていた[16]。また駅前広場にあった大椴松の木はなくなっていた[16]。2010年(平成22年)時点でも同様で、駅舎は倉庫として再利用されている模様であった[17]。2011年(平成23年)時点でも同様であったが、トイレの劣化は激しく、傾いていた[18]。
また、当駅と沼牛駅との間にあった幌加内峠を抜ける幌加内トンネルは、2000年(平成12年)時点では草木に阻まれ調査不能状態であったが[16]、2010年(平成22年)時点では国道275号線の工事が進行中で立ち入ることができない状態であった[17]。
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