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日本の衆議院選挙区の一つ ウィキペディアから
青森県第3区(あおもりけんだい3く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。
自由民主党の公認候補以外の候補者が一度も小選挙区で当選したことがない選挙区である。
2017年(平成29年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。2017年の区割変更で4区が廃止されたことに伴い、旧4区に五所川原市と北津軽郡を加えた区域となっている。一方、旧3区の区域は2区へ編入された。
2013年(平成25年)公職選挙法改正から2017年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3]。(区割り変更で五戸町は2区へ ※旧区域2)
1994年(平成6年)公職選挙法改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[4]。(※旧区域1)
中選挙区時代の旧1区は、現1区うちの東青地区、現2区の上北・下北地区、現3区の三八地区(八戸市・三戸郡)が選挙区域で、そこから4人が選ばれていた。東青では津島雄二、竹中修一、革新系候補、三八上北では田名部匡省と大島理森らが立候補していた。そのうち、八戸地区は、田名部と大島が、地区を二分する選挙戦を行っていた(通称・八戸戦争)。政治改革が焦点となった1993年に、田名部が自由民主党を離脱(その後新生党入党・県民協会設立)。
小選挙区制の導入後も、互いに立候補者の空白地帯の2区への鞍替えをせず、一騎討ちをおこなうことになる。1996年、小選挙区制での初選挙で、大島が勝利し落選した田名部は、参議院(青森県選挙区)へ鞍替えする。しかし、その後、田名部の次女匡代が、父の後継として衆議院選挙に出馬しており、八戸を二分する状況が続いていた。
この対立構図は、単純な政党間の構図にとどまらず、八戸市長選挙など、八戸市に関わる選挙でも、事実上市を二分する状況に持ち込まれており、いわば当選挙区候補者の代理戦争の様相を呈していた。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹く中、大島が367票の僅差で田名部を下し、9選(田名部も比例復活)。一部メディアが開票終了前に大島の選挙区落選を伝え、大島は支持者に向けてお詫び会見を開いたが、後にこれは誤報と判明した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では一転して大島が2万8千票以上の大差をつけて10選、田名部は比例復活もできずに落選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙でも大島が田名部を再び下し11選、田名部はまたしても比例復活できず落選した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙からは区割りが変更、4区の大部分が3区として実施されることとなった。結果、4区前職(選挙直前に死去)の木村太郎の弟である次郎が大差で当選、2021年の第49回衆議院議員総選挙も次郎が大勝した。
選挙名 | 年 | 当選者 | 党派 | 区域 |
---|---|---|---|---|
第41回衆議院議員総選挙 | 1996年(平成8年) | 大島理森 | 自由民主党 | 旧区域1 |
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年(平成12年) | |||
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年(平成15年) | |||
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年(平成17年) | |||
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年(平成21年) | |||
第46回衆議院議員総選挙 | 2012年(平成24年) | |||
第47回衆議院議員総選挙 | 2014年(平成26年) | 旧区域2 | ||
第48回衆議院議員総選挙 | 2017年(平成29年) | 木村次郎 | ||
第49回衆議院議員総選挙 | 2021年(令和3年) |
時の内閣:第1次岸田内閣 解散日:2021年10月14日 公示日:2021年10月19日
当日有権者数:34万7625人 最終投票率:53.29%(前回比:2.73%) (全国投票率:55.93%(2.25%))
時の内閣:第3次安倍第3次改造内閣 解散日:2017年9月28日 公示日:2017年10月10日
当日有権者数:36万4978人 最終投票率:56.02%(前回比:7.15%) (全国投票率:53.68%(1.02%))
時の内閣:第2次安倍改造内閣 解散日:2014年11月21日 公示日:2014年12月2日
当日有権者数:24万1145人 最終投票率:48.87%(前回比:6.01%) (全国投票率:52.66%(6.66%))
時の内閣:野田第3次改造内閣 解散日:2012年11月16日 公示日:2012年12月4日
当日有権者数:25万9111人 最終投票率:54.88%(前回比:15.51%) (全国投票率:59.32%(9.96%))
時の内閣:麻生内閣 解散日:2009年7月21日 公示日:2009年8月18日
当日有権者数:26万2246人 最終投票率:70.39%(前回比:5.15%) (全国投票率:69.28%(1.77%))
時の内閣:第2次小泉改造内閣 解散日:2005年8月8日 公示日:2005年8月30日
当日有権者数:26万6082人 最終投票率:65.24%(前回比:3.32%) (全国投票率:67.51%(7.65%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 大島理森 | 59 | 自由民主党 | 前 | 90,925票 | 53.10% | ―― | ○ | |
比当 | 田名部匡代 | 36 | 民主党 | 元 | 73,846票 | 43.13% | 81.22% | ○ | |
松橋三夫 | 56 | 日本共産党 | 新 | 6,450票 | 3.77% | 7.09% |
時の内閣:第1次小泉第2次改造内閣 解散日:2003年10月10日 公示日:2003年10月28日
当日有権者数:26万6344人 最終投票率:61.92%(前回比:1.81%) (全国投票率:59.86%(2.63%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 大島理森 | 57 | 自由民主党 | 前 | 86,909票 | 53.49% | ―― | ||
田名部匡代 | 34 | 民主党 | 前 | 70,275票 | 43.25% | 80.86% | ○ | ||
松橋三夫 | 54 | 日本共産党 | 新 | 5,284票 | 3.25% | 6.08% |
時の内閣:第1次森内閣 解散日:2000年6月2日 公示日:2000年6月13日
当日有権者数:26万3867人 最終投票率:63.73%(前回比:8.09%) (全国投票率:62.49%(2.84%))
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票数 | 得票率 | 惜敗率 | 推薦・支持 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 大島理森 | 53 | 自由民主党 | 前 | 93,602票 | 56.61% | ―― | ||
田名部匡代 | 30 | 民主党 | 新 | 64,203票 | 38.83% | 68.59% | ○ | ||
松橋三夫 | 50 | 日本共産党 | 新 | 7,540票 | 4.56% | 8.06% |
時の内閣:第1次橋本内閣 解散日:1996年9月27日 公示日:1996年10月8日
当日有権者数:25万9186人 最終投票率:71.82% (全国投票率:59.65%(8.11%))
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