新潟県南蒲原郡庭月村(後に四ツ沢村→森町村→下田村、現在の三条市庭月)に生まれた[1]。1908年に東京高等師範学校を卒業[2]後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代には中国に留学したが、このときに満足できる辞書がなかったことが、後の『大漢和辞典』の製作に繋がっていった[注釈 3]。
1925年、大修館の鈴木一平が諸橋のもとを訪れ、全漢字を網羅した「漢和辞典」の構想を持ちかけられる。この『大漢和辞典』の本格的な製作は1929年から始まった。
1929年1月に文学博士を授与される[3]。博士論文の題は「儒学の目的と宋儒(慶暦至慶元百六十年間)の活動」[4]。1930年、東京文理科大学教授[1]となる。 1943年、『大漢和辞典』第1巻が完成し、これにより翌年に朝日賞を受賞した。しかし1945年、東京大空襲で大修館が罹災し、組み上がっていた印刷用の版が全て溶けてしまったため、太平洋戦争後、完成していた巻と校正刷りをもとに再スタートを切った。
1946年、諸橋は長年の無理が祟って右目を失明、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化し、1955年に右目の開眼手術を受けた。
1948年、國學院大學文学部教授となるも翌年退任した。1957年、都留文科短期大学学長に就任し、2年後に退任した。1960年、短期大学の四年制大学への移行と同時に初代学長として就任、同職を1964年まで務めた。
1960年、『大漢和辞典』全13巻が完成した[1]。この功績により1965年、文化勲章を受章した[1]。『大漢和辞典』は数十年にわたり修訂し刊行された[注釈 4]。
1972年に『中国古典名言事典』(講談社、のち講談社学術文庫、各・多数重版)、1975年-1977年に『著作集』(全10巻 大修館書店)が刊行された。
1982年11月、大漢和の縮小版『広漢和辞典』を刊行し、同年の12月8日に99歳で大往生した。
1962年、下田村名誉村民[1]。1992年、三条市は諸橋轍次記念館を開設したほか、三条市名誉市民として顕彰している[1]。2018年9月30日には第1回の「諸橋轍次記念漢字文化理解力検定」実施を公表している[5]。
単著
- 『詩経研究』目黒書店、1912年11月。
- 『儒学の目的と宋儒慶暦至慶元百六十年間の活動』大修館書店、1929年10月。
- 『名及び名実論』東京文理科大学〈東京文理科大学文科紀要 第4巻〉、1931年9月。
- 『経史八論』関書院、1933年1月。
- 『新論語講話』章華社、1934年6月。
- 『経学研究序説』目黒書店、1936年10月。
- 『論語人物考』春陽堂書店〈論語講座 研究篇〉、1937年5月。
- 『本を努めよ』目黒書店、1938年10月。
- 『游支雑筆』目黒書店、1938年10月。
- 『支那の家族制』大修館書店、1940年5月。
- 『儒教講話』目黒書店、1941年7月。
- 『支那の文化と現代』皇国青年教育協会、1942年12月。
- 『経史論考』清水書店、1945年5月。
- 『儒教の諸問題』不昧堂書店、1948年9月。
- 『孔子と老子』清水書店、1952年。
- 『掌中論語の講義』大修館書店、1956年2月。
- 『漢字漢語談義』大修館書店、1961年9月。
- 『荘子物語』大法輪閣、1964年5月。
- 『中国人の知恵 乱世に生きる』講談社現代新書 55、1965年9月。ISBN 978-4061154551。
- 『古典のかがみ 論語三十三章』広池学園出版部〈れいろうブックス〉、1965年12月。
- 『続・古典のかがみ』広池学園出版部〈れいろうブックス〉、1969年1月。
- 『十二支物語』大修館書店、1968年11月。
- 『如是我聞孔子伝』大法輪閣、1969年7月。
- 『現代に生きる「大学」』広池学園事業部、1971年10月。
- 『老子の講義』大修館書店、1973年9月。
- 『論語の講義』大修館書店、1973年9月。
- 『孟子の話』広池学園出版部、1975年3月。
- 『孟子の話 王道の学を現代に生かす』(新装版)廣池学園出版部、1981年12月。
- モラロジー研究所編集部 編『誠は天の道』廣池学園出版部、1979年5月。
- 『古典の叡知』講談社学術文庫 545、1981年6月。
- 『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』講談社学術文庫 574、1982年9月。ISBN 978-4061585744。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150184。
編著
- 『春秋左氏伝人名索引』諸橋轍次編纂・白橋康秀校正、1928年5月。
作品集等
著作集
- 編者代表は鎌田正、米山寅太郎
- 『第1巻 儒学の目的と宋儒慶暦至慶元百六十年間の活動』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年6月。
- 『第2巻 経学研究序説、詩経研究』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年9月。
- 『第3巻 経史論考』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年12月。
- 『第4巻 支那の家族制、儒教講話』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年3月。
- 『第5巻 論語の講義、現代に生きる『大学』』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年3月。
- 『第6巻 如是我聞孔子伝、如是我聞孔子伝拾遺、論語と私、論語心講』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年12月。
- 『第7巻 論語人物考、論語に関する故事逸話、孔子と老子』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年6月。
- 『第8巻 老子の講義、荘子物語、孟子の話』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1976年6月。
- 『第9巻 遊支雑筆、十二支物語、漢字漢語談義』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1975年9月。
- 『第10巻 古典のかがみ、続・古典のかがみ、止軒詩艸、回顧、教育・随想、対談・挨拶、序・跋等』大修館書店〈諸橋轍次著作集〉、1977年9月。
辞書類
大漢和辞典
- 『大漢和辞典』全13巻、大修館書店、1955年11月-1959年12月。
- 「縮写版」全13巻、大修館書店、1966年5月-1968年5月。
- 「修訂版」全13巻、大修館書店、1984年4月-1986年4月。
- 「修訂第2版」全14巻、大修館書店、1989年4月-1990年4月。
- 「補巻」鎌田正、米山寅太郎編、大修館書店、2000年4月。
- 「デジタル版」大修館書店、2018年11月。
新漢和辞典
- 『新漢和辞典』大修館書店、1963年2月。
- 『新漢和辞典』(改訂版)大修館書店、1967年1月。
- 『新漢和辞典』(3訂版)大修館書店、1973年3月。
- 『新漢和辞典』(4訂版)大修館書店、1975年12月。
広漢和辞典
- 『広漢和辞典』全4巻、大修館書店、1981年11月-1982年10月。
関連書籍
- 『諸橋博士古稀祝賀記念論文集』諸橋轍次先生古稀祝賀記念会、1953年10月。
注釈
止軒の止は、『荘子』の徳充符篇にある、「仲尼曰:人莫鑑於流水而鑑於止水,…」(仲尼曰く、人は流水に鑑みること莫(な)くして、止水に鑑みる)からの引用(莊子/德充符)。「止水に鑑みる」とは、静止した水を鏡としてそこに姿をうつすことで、雑念のない虚静の心に物をうつして、その真実をとらえるという意味である。原田種成(はらだ たねしげ、1911年 - 1995年)は、「この止軒という号に先生の生き方をうかがうことができる。」と述べている(原田種成 p.109)。
「中国では康熙字典はあるが熟字はなく、佩文韻府は成語は多いが解釈はない。では一つ自分がやってみようかと、おぼろげに感じた」(「私の履歴書」より)
但し門下生の原田種成の回想[要文献特定詳細情報]では「高等師範の出身者は漢文の読解力が不足していたから『大漢和』の原稿作成に関与することはとうていできない」ため原田ら大東文化學院(現・大東文化大学)の出身者が実際の執筆に携わり、かつ諸橋轍次は大漢和辞典を一字も書いていないばかりか校正刷りすら見ていないという。
出典
『官報』第5651号「叙任及辞令」1945年11月12日。
『官報』第4456号「叙任及辞令」1941年11月14日。
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