Loading AI tools
ウィキペディアから
秋田市の東部、手形山の南端に位置する。東西100〜150m、南北250m程度の狭い範囲で、山麓と台地上が古くからの住宅地になっている。東は広面字推子、南東は広面字昼寝、南は手形字十七流、西は手形字蛇野に接する。
地名の由来は、太平山を大蛇峰(おろちね)としその麓を蛇野とする説(菅江真澄「久保田能落穂」)、同様に大蛇峰から手形山を蛇尾(へびお)とする説、野原であることから来るとする説(秋田の今と昔)がある[3]。
地区内に小字は設定されていない。
江戸時代には鉄砲足軽の居住地であり、米屋・庭師も住んだことから、現在も室咲き桜が伝統として受け継がれている[3]。手潟・赤沼などと呼ばれた沼沢地に面し、それら沼沢地に突出した農村集落は野崎(蛇野野崎)と呼ばれた[3]。現在の地名としては小字にも残っていないが、「野崎」バス停がある。
1613年(慶長18年)に久保田藩初代藩主佐竹義宣が父佐竹義重の菩提寺として建立した闐信寺は手形村字大沢に含まれていた(現所在地は手形字蛇野)など、行政単位体としては明治まで名前が現れないが、1813年(文化10年)頃の菅江真澄による「勝地臨毫」には蛇野村と記載され集落も描かれていた[3]。
地区内で住居表示実施やその他に伴う字名の変更は行われていない。
地区内を通るバス路線は無い。最寄りのバス停は手形字十七流の秋田県道28号秋田岩見船岡線上にある「野崎」(秋田中央交通太平線、松崎団地線、赤沼線、土崎東口線)。
この節の加筆が望まれています。 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.