般若寺
奈良県奈良市にある寺院 ウィキペディアから
奈良県奈良市にある寺院 ウィキペディアから
般若寺(はんにゃじ)は、奈良県奈良市般若寺町にある真言律宗の寺院。山号は法性山。本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。
般若寺 | |
---|---|
コスモスと本堂 | |
所在地 | 奈良県奈良市般若寺町221 |
位置 | 北緯34度42分0.22秒 東経135度50分10.38秒 |
山号 | 法性山 |
宗派 | 真言律宗 |
寺格 |
定額寺 関東祈祷所 |
本尊 | 文殊菩薩(重要文化財) |
創建年 | 伝・舒明天皇元年(629年) |
開山 | 伝・慧灌 |
正式名 |
法性山般若寺 法性山般若律寺 |
別称 | コスモス寺 |
札所等 |
関西花の寺二十五霊場第17番 西国薬師四十九霊場第3番 大和北部八十八ヶ所霊場第15番 |
文化財 |
楼門(国宝) 十三重石塔、経蔵、銅造薬師如来立像ほか(重要文化財) |
公式サイト | 般若寺 |
法人番号 | 6150005000363 |
般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登りきった地点に位置する。般若寺楼門前を南北に通る道は「京街道」と呼ばれ、大和国(奈良県)と山城国(京都府)を結ぶ、古代以来重要な道であった。この道はまた、平城京の東端を南北に通っていた東七坊大路(東大寺と興福寺の境をなす)の延長でもある。
般若寺の創建事情や時期については正史に記載がなく、創立者についても諸説あり、正確なところは不明である。ただし、般若寺の境内からは奈良時代の古瓦が出土しており、奈良時代からこの地に寺院が存在していたことは確かである。
寺伝では舒明天皇元年(629年)、高句麗の僧・慧灌の創建とされ、天平7年(735年)、聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てて天皇自筆の大般若経を安置したというが、これらを裏付ける史料はない。
別の伝承では白雉5年(654年)、蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のため創建したともいう(『上宮聖徳法王帝説』裏書)。
鎌倉時代の文永4年(1267年)、当時の本尊・文殊菩薩像を開眼供養した際の願文(がんもん)では、「般若寺は聖武天皇が創建し、平安時代に僧観賢によって再興された」とする説を採用している。しかし、観賢(854年 – 925年)が関与した「般若寺」は山城国(現・京都市右京区鳴滝般若寺町)にあった寺であり、上記の説は同名別寺院を混同したものである。この、観賢再興説が誤りであるという点は、すでに江戸時代・享保20年(1735年)刊の『奈良坊目拙解』(村井古道著)で指摘されている。
信頼できる史料における「般若寺」の初出は、天平14年(742年)10月3日付の「金光明寺写経所牒」(正倉院文書)であるとされている。ただし、これについても、今の奈良県香芝市にあった片岡寺(別名般若寺)を指すとみる説もある(なお、同市の般若院を片岡寺の尼寺を引き継いだ寺とする説もある。また、蘇我日向が建てた般若寺を片岡寺に充てる東野治之の説もある[1])。この事例を外した場合には、『日本三代実録』貞観5年(863年)9月26日条に登場する「添上郡般若寺」が初出ということになる[2]。
その後平安時代末頃までの歴史はあまり明らかでない。治承4年(1180年)、平重衡による南都焼討の際には、東大寺、興福寺などとともに般若寺も焼け落ち、その後しばらくは廃寺同然となっていたようである。
廃寺同然となっていた般若寺は、鎌倉時代に入って再興が進められた。寺のシンボルとも言える十三重石塔は僧・良恵(りょうえ)らによって建立され、建長5年(1253年)頃までに完成した。その後、西大寺の僧・叡尊によって本尊や伽藍の復興が行われた。叡尊は、西大寺を本山とする真言律宗の宗祖で、日本仏教における戒律の復興に努め、貧者・病者救済などの社会事業を行ったことで知られる。般若寺の位置する奈良市街北方地域は、中世には当時「非人」と呼ばれて差別された病者・貧者などの住む地域であり、般若寺の近くには「北山十八間戸」(国の史跡)というハンセン病などの不治の病の人を収容する施設もあった。叡尊は建長7年(1255年)から般若寺本尊文殊菩薩像の造立を始め、文永4年(1267年)に開眼供養が行われた。この文殊像は獅子の上に乗った巨像で、完成までに実に12年を要した[3]。
その後、延徳2年(1490年)の火災、永禄10年(1567年)東大寺大仏殿の戦いでの兵火によって主要伽藍を焼失した。延徳の火災では前述の叡尊によって供養された文殊菩薩像も焼失している。
明治初期の廃仏毀釈でも甚大な被害を受けた。近代に入ってからは寺は荒れ果て、無住となって、本山の西大寺が管理していた時代もあったが、第二次世界大戦後になって諸堂の修理が行われ、境内が整備されている。なお、般若寺の客殿は実業家畠山一清によって東京都港区白金台に移築され、第二次世界大戦後は料亭「般若苑」として営業していた(現在は廃業)。
(以上第一重)
(以上第四重)
(以上第五重)
(以上第八重)
(附指定)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.