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東京都目黒区の町名 ウィキペディアから
南端部で大田区と品川区に接する地区である。環七通りと東急目黒線が立体交差する付近に洗足駅がある。周囲は原町が北東~北~西にかぶさり、西側の一部は南が隣接する。東側は品川区小山および旗の台と、南西側は大田区北千束と接する。二丁目は田園都市株式会社(現在の東急)が分譲した洗足田園都市(現在の目黒区洗足二丁目、品川区小山七丁目)の一部で、戦前からの高級住宅地。また、皇后(旧姓・小和田)雅子の出身地としても知られる。一方、一丁目は隣接する原町一丁目とともに住宅密集地でもあり、東京都の木密地域不燃化10年プロジェクトにおいて、不燃化特区の指定を受けてまちづくりが進められている[5]。
住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、洗足2-14-20の地点で77.1万円/m2となっている[6]。
旧:荏原郡碑文谷村(のち碑衾村を経て碑衾町)。1924年(大正13年)に目黒蒲田電鉄洗足駅が開通したことから「洗足」の地名が誕生した。
1924年(大正13年)に現在の品川区戸越に設立された平塚裁縫女学校が、1926年に洗足高等女学校(のちの洗足学園第一高等学校、廃校)として移転。学校法人の説明によれば、これは地名に基づくものではなく、敬虔なクリスチャンである設立者の前田若尾が、イエス・キリストが弟子の足を洗ったことに因んで命名したものとされている。
児童合唱で有名なひばり児童合唱団の本拠地も洗足である。一帯は大正時代末期に「洗足田園都市」として開発・分譲が始まった落ち着いた住宅地である。駅前にはかつて桜並木があったが、昭和の初期に銀杏並木に植え替えられている。
洗足という地名は隣接する大田区の北千束・南千束の「千束」と同く中世期の「荏原郡千束郷」に由来している。その地名は千束分の稲が貢祖から免ぜられていたところから付けられたというのが定説とされ、その免祖の理由としては、この地にある大池(現在の洗足池)が水源地として灌漑に利用されていたから、あるいは、千人の僧を招いて供養を営む「千僧供養」の費用に当てる免田であったからという説がある[7]。また他説として、池の水を利用してつくった稲を税金として千束納めていたから、取れる稲の総量が千束であったからとする説もある[8]。「洗足」と書き換えられるようになったのは、日蓮が池上に向かう途中にここの「大池」で足を洗ったという伝説によるもので、のち「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになった[7]。洗足の地名が定着したのは専ら「洗足田園都市」と名付けられた開発によるものであった。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
洗足一丁目 | 1968年1月1日 | 洗足、原町、富士見台 |
洗足二丁目 | 洗足、原町、富士見台 |
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
区道のみ。上記路線バスが通る「円融寺通り」が洗足駅から域内を南北に通る。一丁目と原町一丁目の境目では、東京都により都市計画道路・補助46号の整備が進められている[5]。
目黒区洗足、品川区小山七丁目を除く
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