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水のエネルギーを機械的エネルギーに変える回転機械 ウィキペディアから
水車(すいしゃ、みずぐるま、英: water wheel)は、水のエネルギーを機械的エネルギーに変える回転機械。人類が開発した最も古い原動機と言え、古代から世界のいくつかの地域で利用されており、中世にはヨーロッパで非常に普及した。たとえばヨーロッパでは揚水、脱穀、製粉(小麦の実をひいて粉にする)など農業分野で大いに用いられ、鉱物の採掘用の機械動力にも使われた。西アジアや中国でも製粉や精米用など様々な用途に用いられた。日本でも平安時代にはすでに使われていたことが判っている。
18世紀後半~19世紀前半に蒸気機関が普及してゆくにつれ水車の数の増加に歯止めがかかり、さらに19世紀末ごろから20世紀冒頭ごろにかけて電動機も普及すると、水車の利用は減っていった。
しかし、現在でも水力発電において使用されているほか、少数ながら世界各地の水流が豊富な地域では現役の機械として利用されている。電力供給の無い場所でも動力を確保できる点がメリットとなる。
揚水用の水車を水汲み水車(ノーリア)と言う。様々なタイプがあるが、水車の横に付けた容器(バケツ状の容器)で水をくみ上げるタイプのものが比較的多い。
水力発電に使うwater turbineウォーター・タービンのことも日本語では「発電用水車」と呼ぶ。近年では温暖化対策の面も持つマイクロ水力発電に多く使われるようになり、水車の利用価値は高まっている。
なお、トルクを与えて水流に変えるタイプの機械装置も「水車」と呼ばれる。電動機などで水車を回転させるものが揚水発電などに使われる。
日本では『日本書紀』において推古18年(610年)高句麗から来た僧曇徴(どんちょう)が、碾磑(てんがい)という水車で動く臼を造ったといわれ、平安時代の天長6年(829年)良峯安世が諸国に灌漑用水車を作らせたとある。鎌倉時代の『徒然草』には宇治川沿いの住民が水車を造る話がある。
室町時代、15世紀に日本へ来た朝鮮通信使の朴瑞生は日本の農村に水揚水車がある事に驚き、製造法を調査し本国に報告したことが『朝鮮王朝実録』に記述されており、江戸時代の11回朝鮮通信使においても、同様に日本の水車の普及に驚いた事が記述されている。
動力水車の本格的な使用は江戸時代になってからといわれている。白米を食する習慣の広がりとともに、精米・穀物製粉のために使用されたが、江戸時代後期には工業的原動力としても部分的に使用された。水車を利用した製粉業は「水車稼ぎ」と呼ばれ、水車稼ぎに利用される用水は主に農業用水であった。
これらの水車は、水車を覆う外装部品がないため効率が低いものであった。そのため第二次世界大戦後には電動機や内燃機関の普及により日本国内では衰退したが、観光資源もしくは農業目的にて利用されている。逆に、水車を覆う外装部品がある水車は効率が90%前後と高い。このため発電用水車として独自に発展していった。
古典的な水車の英語での分類は以下の通り
「反動水車」と「衝動水車」に大分類できる
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