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日本の俳優・歌手 ウィキペディアから
水木 襄(みずき じょう、1938年〈昭和13年〉3月11日[1][2] - 1991年〈平成3年〉[3])は、日本の元俳優。本名、石川 良昭(いしかわ よしあき)[1][2][4]。
大学時代の友人が女優の木暮実千代の親戚である関係から、木暮と知り合いとなり[4][5]、1958年に木暮の推薦で東映ニューフェイス4期生として東映へ入社[6][4]。同期には佐久間良子・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいた。
同年、本名のまま、中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)主演、マキノ雅弘監督による『不敵なる反抗』に、チンピラ・ゴンチャン役でデビュー[5]。以後、中村主演の一連の社会派不良少年物に助演した後、芸名を「水木 襄」と改め、山村聰監督の『母子草』に田中絹代の息子役で出演。純真で気性のしっかりした少年を演じる。また、『スピード狂時代 命を賭けて』で、木暮実千代の息子に扮し、オートバイにとりつかれた高校生の役で主演、1959年度エランドール賞 新人賞を受賞[2]。
その後はアクション映画に愚連隊やチンピラ役で主演する一方、佐久間良子とのコンビで純愛映画に主演[2]。60年代半ばからはスクリーンから遠ざかり、1964年テレビ映画『忍者部隊月光』に主演、同年に東映を退社する[4]。
『月光』以降は、テレビを中心に活動し、特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』『魔人ハンター ミツルギ』や、長寿ドラマ『特別機動捜査隊』に水木刑事役(主に三船班)としてレギュラー出演した後、第一線から姿を消す。また、歌手として数枚のシングルをリリースしていた。
引退後は、八戸市内の高級クラブ『貴族院』の支配人[6]、東映が経営するホテルの支配人、不動産会社の営業部長、スナック経営をしていたが、1991年に自殺を図り、53歳で死去。遺体の発見された自宅には、自身の出演した作品のポスター等が所狭しと飾られていたという[3][6]。
デビュー当時の紹介記事では「親戚が日活に所属していたことがあるので、大変であることは知っていました。こんなに早くデビューできるとは思ってませんでした」と述べている[5]。
『月光』出演当時のプロフィールでは、「子供の夢を壊さないことを心がけており、普段のマナーに気を付けています」と述べている[4]。
『月光』に第111話よりレギュラー出演した山本正明とは、行きつけのとんかつ店が一緒だったことから『月光』で共演する前から親交があった。山本は、水木について「スターだったけど、すごく人柄もよくてスタッフから慕われていた。その一方で俳優としての努力も怠らなかった」と述懐している[7]。
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