武本康弘

日本のアニメーター、アニメ演出家、監督 (1972-2019) ウィキペディアから

武本 康弘(たけもと やすひろ、1972年昭和47年〉4月5日 - 2019年令和元年〉7月18日)は、日本男性アニメーターアニメ演出家アニメ監督[1]。株式会社京都アニメーション取締役[2]兵庫県赤穂市出身[3]代々木アニメーション学院大阪校卒業。既婚、1女の父。

概要 たけもと やすひろ武本 康弘, プロフィール ...
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来歴

中華料理店を営む両親の長男として生まれる。多忙な両親と過ごす時間は少なく、幼い頃から絵を描いて過ごしてきた[4][5]

兵庫県立赤穂高等学校在学中は文芸部に所属し、テーブルトークRPGに熱中していた[6]。当時から絵が上手であり[7]、当人も「絵を描くことが好き」であったことから高校時代にアニメーターを志した[8][9]。高校卒業後、代々木アニメーション学院大阪校アニメーター科に入学。

代々木アニメーション学院を卒業後、1992年に20歳で京都アニメーションに入社[6][10]。アニメーターとして入社したが、演出の仕事を任されるようになり[11]、2002年にはOVA『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』で監督を務め[12]、2003年、京都アニメーションが初めて元請けとなって制作したテレビアニメ『フルメタル・パニック? ふもっふ』にて監督を務めた[13]。以降、京都アニメーション制作の多くの作品で監督・絵コンテ・演出などを務めた。

2019年7月18日に京都アニメーション放火殺人事件が発生してから数日後、安否不明となっていたことを両親が公表した[14][15]後、7月26日に日本経済新聞が訃報を伝え[16]、8月2日に遺族が了解したうえで京都府警察によって正式に死亡が公表された[4]。第1スタジオの3階で事件に巻き込まれていた[17]47歳没

2021年2月24日には、2017年に監督を務めたテレビアニメ『小林さんちのメイドラゴン』の続編『小林さんちのメイドラゴンS』の監督を武本に代わって務めることとなった石原立也が引き継ぐにあたっての思いや、武本の名が「シリーズ監督」としてクレジットされることが公表された[18]

2023年11月22日に賀東招二による小説『MOON FIGHTERS』が発売され、この作品が賀東と再びタッグを組み、武本初のオリジナルアニメとして放送予定であったが、事件の影響で中止になった『FIRE FIGHTERS!(仮題)』のリライト作品であることが明かされた[19]

参加作品

テレビアニメ

1992年
1995年
1996年
1997年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2005年
2006年
2007年
  • らき☆すた監督(第5話より)・絵コンテ・演出/後期EDディレクター(第16話除く)
  • CLANNAD(2007年 - 2008年、絵コンテ・演出・原画/ED原画)
2008年
2009年
2010年
2011年
  • 日常(絵コンテ・演出/演出補佐・原画)
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2021年

劇場アニメ

1994年
1995年
1996年
1997年
1999年
2001年
2002年
2010年
2011年
2015年
2016年
2018年
2025年

OVA

1995年
1996年
1997年
2002年
2003年
  • ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL(2003年 - 2004年、絵コンテ・演出)
2005年
  • MUNTO 時の壁を越えて(原画)
2006年
  • フルメタルパニック! The Second Raid 特別版 OVA わりとヒマな戦隊長の一日(監督・絵コンテ・演出)
2008年
  • らき☆すたOVA(監督・脚本・絵コンテ・演出・エンディングディレクター)

その他

1998年
1999年
2009年
2010年
  • 京都アニメーションCM「花編」・「空編」(絵コンテ・演出)
2011年
  • 京都アニメーションCM「あじさい編」(原画)

逸話

  • 石原立也からは「京都アニメーションのスタッフの中でも最も信頼できる仲間の一人」と評された[29]など、他のスタッフから全幅の信頼を寄せられ慕われる人物であった[8]
  • ラジオ『新らっきー☆ちゃんねる』の最終回では、神戸ジーベックホールにて行われた公開録音「やったぜい!ファイナル!だぜい!」にゲスト出演し、白石稔の真似をしてみたりと芸を見せた。また、最後には「武本監督役の武本です」で締め、観客を沸かせた[30]
  • 赤穂市の実家に帰省する際は、高校時代の同級生と旧友と再会していた[10]。多忙故に、実家にも仕事を持ち込んで絵を描く事があった[31][5]
  • 2015年に受けた取材では「作品は作った瞬間、作った人間の手を離れてしまう。それは見た人、それぞれ個々のものになる」「魂であっても、信念であっても、何でもいいんですが、作品には何かがこもっていないとだめ」と語っていた[32][33]
  • 死後、遺体は白い布で覆われた状態で遺族に引き渡された。遺族は「顔は見ない方が良い」と判断して、そのまま荼毘に付された[34][35]。武本の妻は、死亡が公表された8月2日に取材に応じ「今まで作ってきた作品が夫の全てです。それを見ていただいたファンの方が評価していただいていることが、全てだと思います」との声明を発表した[33]

脚注

関連項目

外部リンク

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