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日本の漫画家 ウィキペディアから
槇村 さとる(まきむら さとる、1956年〈昭和31年〉10月3日[2] - )は、日本の漫画家[5]。東京都[2]葛飾区西亀有町出身、血液型はB型[注 1]。東京都立工芸高等学校工芸デザイン科卒業。女性[5]。
ペンネームの由来は、漫画家デビュー当時に好きだった人の名前から[1]。
まきむら さとる 槇村 さとる | |
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本名 | 新井 恵子[1] |
生誕 |
1956年10月3日(67歳)[2] 日本・東京都 |
活動期間 | 1973年 - |
ジャンル | 少女漫画、女性漫画 |
受賞 | 2008年度第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞(『Real Clothes』に対して[3][4]) |
公式サイト | 槇村さとる公式ページ 人生の穴 |
思春期に父親から性的虐待を受け、そのトラウマから逃れるために漫画を描き始める[6]。漫画家を志し最初に投稿し続けたのは『りぼん』だったが、浮気心から投稿先を変更し送付したら忽ち採用となり[1]、1973年、高校1年で『別冊マーガレット』4月号(集英社)に掲載された「白い追憶」でデビュー[2][6]。
1978年に同誌でフィギュアスケートを題材にした『愛のアランフェス』を連載。1980年代には、ジャズダンスを題材にした『ダンシング・ゼネレーション』、アイスダンスを題材にした『白のファルーカ』などを発表して活躍。
高校卒業後、メーカーに就職したが、漫画の原稿料が給料を上回ったので退職し専業作家になる[6]。1990年代には『ヤングユー』(集英社)など、大人の女性向け漫画誌に活動の舞台を移す。他に代表作として、テレビドラマ化された『イマジン』『おいしい関係』『Real Clothes』など。
父親から受けた虐待のトラウマを35歳で克服し、その経験を綴った自伝的エッセイ『イマジンノート』を2002年に出版[6]。選択的夫婦別姓制度導入がなされないため、42歳で性人類学者のキム・ミョンガンと事実婚。愛知淑徳大学にて非常勤講師として年1回教鞭をとっている。
2024年春に画業50周年を迎え、東京・弥生美術館にて2024年1月より3月31日まで『デビュー50周年記念 槇村さとる展』を開催[7]。
編集委員会の委員長を石ノ森章太郎が務めた「日本漫画家名鑑500」にて、『白のファルーカ』・『ダンシング・ゼネレーション』・『まみあな四重奏団』・『愛のアランフェス』の4作品の書影を代表作として掲載している(1992年時点[1])。
マーガレットコミックスから刊行されたものより、集英社にて順次漫画文庫化が進んでいる。
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