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東 龍子(東 竜子、あずま りゅうこ、1917年1月10日 - 2004年頃)は、日本の女優である[1]。本名は出生名は今出 りう子(いまで りゅうこ)、俳優の阿部九洲男と結婚して伊東 りう子(いとう りゅうこ)となる[1]。
1917年(大正6年)1月10日(水曜日)、 東京府南葛飾郡吾嬬町に今出 りう子として生まれる[1][2]。
1931年(昭和6年)、満14歳のときに東京・巣鴨の河合映画製作社に入社する[1]。同年、『夜明け』に出演し[3]、映画界にデビューした[4]。最初の主演作は、1933年(昭和8年)の『マラソン令嬢』[3] であった[1]。同年、河合と配給提携を行っている市川百々之助プロダクションが製作した市川百々之助主演映画に3作出演[3]、『開化異聞 落花の曲』では百々之助の相手役を務めた[1]。同年、河合が大都映画に改組され、東は『恩讐変化賽』を最後に大都映画所属となる[3]。大都映画での第1作は根岸東一郎監督の『真夏の夜の夢』であった[3]。1938年(昭和13年)に阿部九洲男が妻の木下双葉と死別[5]、その後、東は阿部と結婚した[1]。
1942年(昭和17年)、第二次世界大戦開戦による戦時統合で、大都映画が他の2社と合併して大日本映画製作を設立、東は大映京都撮影所の所属となる。11年の間に河合映画、大都映画あわせて215作に出演した[3]。
戦後は、1951年(昭和26年)、宝プロダクションが製作した『剣難女難 女心伝心の巻』、『剣難女難 剣光流星の巻』に夫の阿部とともに出演している[3]。1955年(昭和30年)からは東映京都撮影所作品に多く出演した[3]。1965年(昭和40年)11月2日、夫の阿部と死別した[6]。
1998年のドラマ『大岡越前 第15部』を最後に女優業を引退。長らく消息が知られなかったが、唐沢俊一のブログによると、活動弁士・坂本頼光が東の出演する無声映画の上映会において、作品解説の為に彼女の消息を東映に問い合わせたところ、すでに故人であり、2004年頃に亡くなったことがわかったという[7]。
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