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日本のピアニスト ウィキペディアから
山田 秀俊(やまだ ひでとし、1952年3月20日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、シンガーソングライター。大分県津久見市出身[2]。血液型はB型[3]。
1952年、大分県津久見市に生まれる。小学生の頃から音楽に興味を持ち始め、中学校に進むと両親に頼んでピアノを買ってもらい、独学で弾き始める[4]。初めて鍵盤に触れた時、思うままに手を動かすと即興で曲を弾くことが出来、加山雄三やグループ・サウンズの曲なども1~2回聴くとピアノで再現出来たという[2]。
地元の高校を卒業した後、慶応義塾大学文学部に進学しフランス文学を学ぶが、二十才になった頃、学生生活に魅力を感じなくなりキャンパスから足が遠のくようになる。その頃、同じ大分県出身で地元でも知り合いだった南こうせつに「かぐや姫のライブでピアノを弾いてくれないか」と誘われ、迷わず音楽活動を開始する[2]。
1974年、“吉川忠英とHome made” のメンバーにキーボーディストとして加入し、ライブ活動を始める。当時の心境について山田は、「大勢の観客が集まる会場での演奏は初めてだったが、楽しい気持ちが大きかった」と振り返っている[4]。その後ビリーバンバン、五輪真弓、南こうせつ、原田真二、吉田拓郎、水谷豊等の全国ツアーサポートを務め、次第にスタジオでのレコーディングの仕事が増えて行く。
1980年代から90年代は松田聖子、中森明菜、小泉今日子、中山美穂などの女性アイドルや、ジャニーズ系の男性アイドル、ほか長渕剛、浜田省吾、中西圭三、SING LIKE TALKING、杉山清貴、さだまさしといった数多のミュージシャンのレコーディングに参加するほか、CM音楽の制作にも携わっており、「ディノス」「日本たばこ」「ミサワホーム」等の企業CMで作曲、ボーカル、コーラスを担当している[3]。
2000年以降はライブでの演奏活動がメインとなり、2004年まで森山良子、谷村新司らのコンサートツアーに参加、2007年からは鈴木トオルのライブに参加する[2]。
還暦を迎える2012年ごろ体調に異変を感じるようになり、翌年にはパーキンソン病を患っていることが判明、3年ほど病と闘うことになる。これを機に、「今まではずっと人のために弾いてきたが、これからは自分のために弾く」と意識に変化が表れる[4]。
その後体調を伺いながら復帰を目指し、2016年3月には、自身初となるオリジナル・アルバム『HOW DO YOU DO?』をリリース[5]。2017年6月に行われた大村雅朗メモリアル・ライブで福岡市を中心に活動するシンガー、宮崎のりこと出会い、翌2018年7月には宮崎と山田のコラボレーションアルバム『Memorial』がリリースされる[6]。以降、かねてからの夢であった弾き語りライブを全国各地で開催する[2]。
影響を受けたアーティストとして、ジェイ・グレイドン、デイヴィッド・フォスター、エルトンジョン、カーペンターズ、キャロルキング、TAKE 6、シンガーズ・アンリミテッド等を挙げている[7]。
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