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日本の女子プロゴルファー (1947-) ウィキペディアから
山崎 小夜子(やまざき さよこ、1947年1月30日 - )は、徳島県勝浦郡出身の日本の女子プロゴルファー。一鍬ゴルフクラブ所属。
勝浦町立生比奈中学校出身。18歳でゴルフを始める。
1968年にプロテストに合格し、入会。日本女子オープンゴルフ選手権競技で4位タイ。
1969年、日本女子プロゴルフ選手権大会で4位タイ。賞金ランク6位。
1970年、伊豆スカイライン女子プロ (1日大会) で2位・中村悦子に3打差で初優勝。賞金ランク5位。
1971年、美津濃ゴルフトーナメント (1日大会でパー111) で樋口久子、石井美和子に1打差で優勝。賞金ランクは自己最高の2位。
1972年、JGP女子オープンで樋口とのプレーオフに敗れる等、2位を4度記録するも優勝なし。賞金ランク3位。
1973年、広島女子オープンゴルフでは通算3オーバー、樋口に1打差で優勝。オールスターでは5オーバーで並んだ中村、佐々木マサ子との3人プレーオフを制した。賞金ランクは自己最高タイの2位。
1974年、大雪山女子オープン (1日大会でパー111) で2アンダー、2位・樋口に1打差で優勝。次大会の諏訪湖女子オープンでも2位・則竹徳江、清元登子に1打差で2大会連続優勝を飾る。さらにトヨトミレディスでも2位・大迫たつ子、呉明月に6打の大差をつけて優勝。以上は全て9月であり、同一月の3大会優勝という快挙だった。松島国際女子オープンでは鳥山由紀子、二瓶綾子との3人プレーオフで鳥山に凱歌。同年は2位を7回記録しており、これは涂阿玉 (1984年, 89年)に次ぐ歴代3位タイの多さである[1]。賞金獲得額は1,042万円で自己最高。賞金ランクも自己最高タイの2位 (3度目)。
1975年、創設以来、樋口の8連覇が懸かった日本女子プロでは初日に樋口、清元、藩玉華と首位に並ぶも2日目をイーブンパーでまとめ、単独首位に立つ。最終日に大迫の猛追を受け、14番でボギーを叩いた時点で首位から陥落するも15番でバーディーを奪い、16番で大迫がボギーを叩いて再逆転。この1打差を守り通算1オーバー、初の公式戦優勝となった[2]。日本女子オープンでは二瓶に1打差で敗れ2位。最終戦のオールスターでは鳥山に1打及ばず2位タイ。賞金獲得額は837万円余で賞金女王・樋口の842万円余にわずか5万円差の2位 (4度目) だった。
No. | 日程 | 大会名 | スコア | 2位との差 | 2位(タイ) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1970年6月19日 | 伊豆スカイライン女子プロ | +1 (73) | 3打差 | 中村悦子 |
2 | 1971年11月16日 | 美津濃ゴルフトーナメント | +7 (118) | 1打差 | 樋口久子 石井美和子 |
3 | 1973年3月31日-4月1日 | 広島女子オープンゴルフ | +3 (70-77=147) | 1打差 | 樋口久子 |
4 | 1973年10月30日 | オールスター | +5 (75) | プレーオフ | 中村悦子 佐々木マサ子 |
5 | 1974年9月1日 | 大雪山女子オープン | -2 (109) | 1打差 | 樋口久子 |
6 | 1974年9月10日 | 諏訪湖女子オープン | +2 (77) | 1打差 | 則竹徳江 清元登子 |
7 | 1974年9月21-23日 | トヨトミレディス | -2 (74-72-74=220) | 6打差 | 大迫たつ子 呉明月 |
8 | 1975年7月12-14日 | 日本女子プロゴルフ選手権大会 | +1 (74-74-75=223) | 1打差 | 大迫たつ子 |
※太字は公式戦
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