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落語の演目の一つ ウィキペディアから
『寿限無』(じゅげむ)は、落語の代表的な前座噺。長い名前を言い立てる早口言葉で知られる。上方落語では古くは別題を『
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」物がいいということでとんでもない名前をつけた、という笑い話[2]。縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部つけてしまった、という筋の場合もある[2]。
名前を付けられた子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供と喧嘩をし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、時間がたってこぶが引っ込んでしまった、というのが一般的なサゲ[F 1]。
長い名前の言い立ては早口言葉の一種とされることもあり[3]、これを繰り返すことに滑稽さがある[4]。落語家の口慣らしの稽古用として、前座が最初に習う噺(前座噺)のひとつである[5]。
演者によって語句、読み方、意味説明は異なる[6]。
— NHK教育テレビ おはなしのくにクラシック[F 1]
寿限無 、寿限無 、五劫 のすりきれ、海砂利 水魚 の、水行末 ・雲来末 ・風来末 、
食う寝るところに住むところ、
やぶらこうじのぶらこうじ、
パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命 の長助
話の中での架空の意味説明:
長い名前や縁起のいい名前をモチーフにした話は他にもある。
江戸時代の噺家である初代 米沢彦八が著した噺本『軽口御前男』(元禄16年(1703年)刊行[13]:33)に、「
「三百[文]を捨てる」(わずかの出費のこと)[13]とかけた、この名前特有の駄洒落である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている[13]。
噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「
寛政4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』[18]は
嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」
つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」
嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」
(紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)—『黄表紙十種』(1935年)[20]:202(常用漢字化、現代仮名遣い化。一部漢字化。表記揺れ統一。句読点調整)
話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、小倉百人一首のうちの一首の詠み人藤原忠通の俗称。実在した人物である[21]。小倉百人一首の中で一番長い名で、官名とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する[21]。
『鼻下長物語』は好評で[20]:10、さまざまな派生作品が登場した[3]:52。初代林屋正蔵も『御加増』という小咄を1833年に刊行した[22][23][24]。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。
落語本『無事志有意』(寛政10年(1798年)刊行[25])中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:
「三浦の大助百六つ」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の厄払い祈祷の決まり文句[27][28]。ここでの「非人」とは、厄払いをして回る(門付)物乞い芸人のことである[29]。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で[30]、長寿とは無関係である。
文化2年(1805年)刊行[31]:696の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である東随舎)の中に「
敵々 仁 敵 須留 御坊 蒼臨坊 惣 高入道 播磨 之 別当 茶碗 茶臼 之 挽木 之 飛与小助 —『聞書雨夜友』[32](常用漢字、現代仮名遣いに書き換え)
儒学者の提案した名は、四書五経について朱熹が書いた注釈書『四書集注』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」[33]。「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」は、回文になっている和歌[34]。本書に「てきてきに…」の由来や意味の説明はない。
野口復堂[35](1864年頃生[36])という講演家が1927年に回想録の中で、書生時代に京都の寄席で落語家「梅香」の長名噺を聞いた、と述べている[37][38]。
復堂自身も後年1888年にインドへ出張した際に余興として、聞き覚えたこの長名噺を英語で披露した[37]。つまりこの落語は1888年以前から存在したことになる。なお、この回想録はずっと後の1927年に出されたものである[37]。
1966年刊の『上方落語の歴史 改訂増補版』(著者 前田勇)は『長名の伜』・『長名』という演題を、狭義には「あにまにままに しゅりしゃびて[…]」の噺、広義には『寿限無』も含める、という二つの意味で使っている[43]。「アダブダブダブと溺れる」というサゲは言及されていない。
桂米朝 (3代目)によれば、『上方落語の歴史』に掲載された長い名前は米朝が提供したとのこと。また、同書は誤植が多いとして自著に訂正版を掲載した[44]。そこでの子供の名前は
あにまにままに
しゅりしゃびて
たいへんれ
もくれもくたび
あいしゃび
しょみしゃび
しゃみだらに
あるきゃはしゃばしゃ
びしゃねびて
あななねびて
あたんだ
あれしゅれ
ふくれふくれ
はられはられ
そがさあさまさ
ぶったい びりき ちゅうて
だるまはれしゅて
しょきゃ ねぐしゃ
ねばしゃ ばしゃ
しゅうたい
万太郎
前田勇(1908年生[45])[43]:241および桂米朝(1925年生[46])は「あにまにままに…」が陀羅尼品であることを当初は知らなかった[47]。一方三代目三遊亭金馬(1894年生[48])は、大阪の噺は名前の出典が『陀羅尼品』という設定で、子供が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬサゲがあることは知っていたが、子供の名前は「寿限無寿限無」と書いている[8]。
『長名』という演題の古い出現例は1917年の桂萬光公演の新聞記事[49]だが、話の内容は不記載。
二代目立花家花橘が1910-1920年代[50]:90に出したレコードは題名が『長名』だが、子供の名は「寿限無寿限無…」、サゲは「瘤がひっこんでしまいよった」である[F 7]。
『寿限無』が「あにまにままに[…]」の噺と違う点は、『寿限無』では名前の個々の言葉の意味を丁寧に説明する場面が設けられていることである[44]:187。「あにまにままに[…]」の上演は20世紀後半に廃れた[44]:187。
『寿限無』の噺は1884年以前に成立しており、さらに昔の19世紀中旬まで
1884年に雑誌『東京経済雑誌』の記事でフルネーム「ジゲムジゲム」が引用されている[51]。記事自体は、経済学者田口卯吉による学術論説である[52]。
1901年に再び東京経済雑誌にフルネームと意味が掲載された[53]。筆者伴直之助は、『寿限無』の作者は風来山人すなわち平賀源内だと推測しているが[53]具体的な証拠は挙げていない。
1912年の新聞に、当時89歳だった林家正童(五代目林家正蔵、1824年生[54])の伝記が掲載された[55]。正童が18歳で二代目林家正蔵(通称「托善正蔵」、一説に1858年没[55]:(第4回))に入門して芸名「正橋」だった時代に、「
興行の古い記録としては、1901年の新聞の興行予定欄に「落語
全文の古い記録としては、1910年代の録音および本が数点ある。
蝶花楼馬楽 (3代目)(1914年没[57])は『寿限無』のSPレコードを2種類出しているが、サゲが別々である。1911年頃発売のアメリカ・ビクター版[58]は、サゲが「あんまり名前が長いもんだからこぶが治っちまったよ」で終わる[F 8]。他方、1912年以前に発売されたアメリカン(日米蓄音器商会)版[59][57][50]は、「こぶが治っちまった」の後に寿限無が井戸へ落ちるエピソードが続く[F 9]。
馬楽は噺の中で、名前の出典は『神仏穴探し』という本だと説明していたという[60](レコードにはそのような文言はない)。三代目三遊亭金馬(1894年生[48])も、先輩落語家が『寿限無』で『神仏穴探し』という本を取り出したと記している[8]:94。「穴探し」とは粗探しのことである[61]。この本の実在を疑う者もあるが[60][8]:94、少なくとも同題名の講釈は存在した形跡がある。ひとつは1824年頃の、講釈師 為永正助(為永春水の別名[62])と初代林屋正藏の連名による『神仏俗書穴さがし』の広告である[62][63]。もうひとつは、1850年代の石川齋萬丸という噺家の滑稽談議『神仏穴さがし』[64]が人気を博したという記録である[65]。
書面での『寿限無』の全文記録としては、1912年発行の三遊亭福圓遊の口演筆記『滑稽百面相』[F 2]、1916年の五代目[F 10]麗々亭柳橋の口演筆記[F 11]など[F 9][F 12]がある。
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じゅげむじゅげむ |
—三遊亭福円遊(1912年)[F 2](現代仮名遣い・新字体化) |
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じげむじげむ |
—麗々亭柳橋(1916年)[F 11](現代仮名遣い・新字体化) |
『寿限無』は「めでたい話」である[F 8][F 2]:57[8]:85。また内容が無難なので正月のめでたい席や子供向けにも適した[66]。たとえば1906年に保育所への正月慰問の演題に選ばれた[67]。のちにラジオ放送でもめでたい演目として演じられた[68]。
古い類話の子供たち「あのくたら…」や「てきてきに…」は川や井戸で溺れてしまうが、対照的に『寿限無』では溺れる場面はない。1914年時点でも「(寿限無に殴られた子供の)こぶが引っ込んでしまった」というサゲが主流だった[69]:215。しかし1914年刊『落語の落』によれば、子供が井戸に転落するバージョンもあった。子供が救出されて、父親が「おお、寿限無寿限無…」と呼びかけると医者が「コレコレまだお経には早うござる」と諫める、というサゲだったという[10]。
いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬというサゲだと記している。「先日亡くなった三語楼」もこのサゲで演じていたという。[8]:85。こちらのサゲは、「あにまにまにままね…」の野口復堂による描写と一致する。
寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは」だけで、結末もサゲもなく終わってしまう[F 9]。
「めでたい話」である『寿限無』で人が溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる[8]:85。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという[69]。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の如来寿量品第十六の中の一節である[70]。「あにまにまにままね…」と同じく、法華経から引用している。
寿限無の名は無量寿経が起源だとする説がある[71]。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の柳家つばめ版にある[F 4]。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった[F 2]。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い[72]。
『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である[1]。
日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで[73]、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。
寿限無の出典は昔話集『聴耳草紙』かも知れないという説があった[74]。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている[75]。そのうちの一話は著者佐々木喜善(1886年生[76])自身が幼少期の回想から復元したものだが[75]、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。
公共放送では内容に関する制約が厳しく、放送可能な落語の演目は限られていたが、『寿限無』は公共放送でも放送可能であった。[77]。
1925年に日本の公共ラジオ放送が始まると[78]:110、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は春風亭華柳である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ[…]」・あらすじ・落ち「こぶがひっこんでしまった」が掲載されている[68]。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。
ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『少年倶楽部』も「落語 寿限無」を掲載した[F 14]。
1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた[78]。同1932年に『子供の時間』枠で柳家権太楼による「寿限無」が放送され[78]、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された[79]。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した[F 15]。
『寿限無』は、寄席以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵(林家彦六、1895年 - 1982年)はホール落語でも演じた[80]。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった[81]。広辞苑(初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している[4][82]。
早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった言葉遊びを言語教育の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた[83]。
テレビ放送は、教育番組でも『寿限無』を採り上げている[84]。なかでも2003年から、『にほんごであそぼ』で寿限無のフルネーム部分[85]を放映して好評を得ている[86]。この頃、全生徒に寿限無の名を暗唱させる小学校もあった[87][88]。
2005年度(平成17年度)から小学校国語教科書2種が『寿限無』を掲載した[89]。一部の教科書で紹介されている図書[90]『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無の方が友達に殴られてこぶができる内容だった[F 3]。
「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた[F 5]。六代目三遊亭圓窓は、自分がこのサゲを考案したとしている。人の死や喧嘩の描写を避けたかったからだという[91]。
2005年度版小学校国語教科書の一つ[F 6]や、NHKが2006年に放映した趣味講座[92][F 16]で「夏休みになっちゃった」が採用されている。
『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。三笑亭夢之助の『寿限無』『たらちね』を混ぜた『
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