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多田羅 迪夫(たたら みちお、1947年(昭和22年)2月1日[1] - )は、日本の声楽家(バリトン、バスバリトン)・オペラ歌手・公演監督・指揮者・音楽教育者。
香川県坂出市に生まれる[2][3]。香川県立坂出高等学校卒業[2]。1969年(昭和44年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、1971年(昭和46年)同大学院修士課程音楽研究科(オペラ専攻)修了。同年、日本人による日本語の創作オペラを掲げた「こんにゃく座」の結成に加わり、1972年(昭和47年)まで所属。しかし「もっと発声の技術を磨きたい」との思いを募らせ、中山悌一の下で「一から勉強し直しました」という[2]。1972年(昭和47年) - 1973年(昭和48年)尚美高等音楽院非常勤講師[1]。
中山の推薦[2]で、1973年(昭和48年)イタリアに留学後、2年半後に西ドイツに移り、1975年(昭和50年) - 1977年(昭和52年)ハイデルベルク市立劇場専属歌手[1]。1977年(昭和52年) - 1981年(昭和56年)ゲルゼンキルヒェン市立劇場専属歌手[1][2]。ブリテン『夏の夜の夢』シーシアス、ワーグナー『タンホイザー』ビーテロルフ、プッチーニ『ラ・ボエーム』ショナール他を歌って活躍し、欧州の国際的歌手(ミレッラ・フレーニ、ジャネット・ピルー、フランコ・ボニゾッリ、ロランド・パネライ他)と共演する等の経験を積む[3]。
伊藤亘行、中山悌一(日本)、エットレ・カンポガリアーニ(ミレッラ・フレーニ、ルチアーノ・パヴァロッティの師でもある[4])、R・ベリッツォーニ(イタリア留学時代)、A・ブリューマー、E・グリュンマー(ドイツ時代)に師事[1]。
1983年(昭和58年)青島広志『黄金の国』(初演)フェレイラ、二期会 若杉弘 ワーグナー『ジークフリート』アルベリッヒ、新日本フィルハーモニー交響楽団と小澤征爾 ベルク『ヴォツェック』タイトルロール、リヒャルト・シュトラウス『エレクトラ』オレスト、朝比奈隆 ワーグナー『ラインの黄金』アルベリッヒ『神々の黄昏』ハーゲン等を歌った。その後も1988年(昭和63年)サン=サーンス『サムソンとデリラ』大祭司、ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』ゴロー、モーツアルト『フィガロの結婚』フィガロ、Bunkamuraモーツアルト『魔法の笛』パパゲーノ、二期会プッチーニ『蝶々夫人』シャープレス等に出演。フィンランドのサヴォンリンナ音楽祭でも『蝶々夫人』シャープレスを務めた。1991年(平成3年)NHK・民音主催ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮『魔笛』弁者では、男性歌手唯一の日本人歌手として出演した。その後も、ヴェルディ『リゴレット』、1992年(平成4年)モーツアルト『ドン・ジョヴァンニ』小澤征爾 ワーグナー『さまよえるオランダ人』でいずれもタイトルロールを務め、1996年(平成8年)二期会 ワーグナー『ワルキューレ』ヴォータン、2002年(平成14年)モーツアルト『フィガロの結婚』伯爵、ベルギー王立モネ劇場との共同制作ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ハンス・ザックス等を好演した。2004年(平成16年)リヒャルト・シュトラウス『インテルメッツォ』シュトルツ、2005年(平成17年)ツェムリンスキー『フィレンツェの悲劇』シモーネを演じた[3]。日本オペラにおいても石井歓『袈裟と盛遠』、清水脩『俊寛』『修禅寺物語』など当り役は多い。2012年(平成24年)西安と北京にて『ドン・ジョヴァンニ』レポレッロ、同年7月、英国にてブリテン『カーリュー・リヴァー』旅人[5]、2016年(平成28年)東京二期会ライプツィヒ歌劇場との提携公演リヒャルト・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』執事長[6]など、活躍をつづけている。
コンサート歌手としても、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団をはじめ国内主要オーケストラと宗教的声楽作品のソリストとしてたびたび共演。朝比奈隆、小澤征爾、若杉弘、飯守泰次郎、大野和士などと共演してきた[5]。特にバッハ『ヨハネ受難曲』(鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン、サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団)『マタイ受難曲』イエスの演奏では第一人者と評されている[5]。他にもヘンデル『メサイア』、ハイドン『四季』『天地創造』、モーツァルト『レクイエム』、ベートーヴェン『第九』(スヴェトラーノフ指揮・N響、ロストロポーヴィチ指揮・新日フィル)、ブラームス『ドイツ・レクイエム』、ヴェルディ『レクイエム』(ジェルメッティ指揮・N響)、フォーレ『レクイエム』、マーラー『千人の交響曲』、メンデルスゾーンのオラトリオ『聖パウルス』パウルス等のソリストを務めている。また、2007年(平成19年)には東京藝術大学奏楽堂で「ドイツ歌曲の夕べ」のリサイタル(ライヴがCD化されている)を行うなど、歌曲もレパートリーとしている[3]。
2003年(平成15年)からは歌手としての枠組みを超え、海外で培った経験と語学力を駆使し、公演監督としてギュンター・クレーマー、ペーター・コンビチュニーら海外の著名な演出家と組み[2]、同年の二期会リヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』に続き、2007年(平成19年)ハンブルク州立歌劇場との共同制作モーツァルト『皇帝ティトの慈悲』、2008年(平成20年)チャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』でもオペラ公演監督を務めている[3]。2017年(平成29年)二期会創立65周年『ばらの騎士』(リチャード・ジョーンズ演出)[7]、直近では2018年(平成30年)にもハンブルク州立歌劇場との共同制作ウェーバー『魔弾の射手』(ペーター・コンビチュニー演出)の公演監督を務めた[8]。
バッハ、ヴィヴァルディ等のバロック音楽にも深く取り組みを重ねており、2001年(平成13年)秋、佐々木正利等とともに『二期会バッハ・バロック研究会(BB研)』を発足させ、指揮者を務めている。コンサートを隔年で開催しており[9]、2018年(平成30年)には第8回目のコンサートが催された[10]。
音楽教育者としては、1982年(昭和57年) - 1983年(昭和58年)東京音楽大学非常勤講師[1]。東京藝術大学では1982年(昭和57年)より非常勤講師を務め、1990年(平成2年)准教授、2000年(平成12年)教授となり、オペラ科主任、声楽科主任、藝術活動推進委員会委員長、演奏芸術センター長などを歴任。2015年(平成27年)定年退官[5]。定年退官に際し同年3月に退任記念演奏会が開催され、門下生とBB研のメンバーが一堂に会した[11]。多数の門下生を育てており、定年当時の門下生は85名にのぼるという[12]。著名な門下生に、黒川和伸、新見準平、泉良平[13]、などがいる。二期会でも1982年(昭和57年) - 1990年(平成2年)オペラストゥディオ講師を務めている[1]。
他にも、地域文化振興にも取り組んでおり、館林第九合唱団の音楽監督を務めているのをはじめ、2018年(平成30年)12月には『かがわ文化芸術祭2018 - アート県かがわ出身の名歌手たち - 』と題して地元香川県のコンサートへも出演している(出演:林康子、多田羅迪夫、大島洋子、小濱妙美、佐竹由美、若井健司、高橋薫子、山下牧子、谷原めぐみ、岡田昌子、藤谷佳奈枝、菊池彦典指揮 高松交響楽団、四国二期会オペラ合唱団)[9]。これまでの多田羅の地元への貢献については、文化庁から表彰が贈られている[14]。
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