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塩狩駅

北海道上川郡和寒町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

塩狩駅map
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塩狩駅(しおかりえき)は、北海道上川郡和寒町字塩狩にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号シリ[2]事務管理コードは▲121809[3]駅番号W37

概要 塩狩駅, 所在地 ...

歴史

要約
視点

当初は単なる信号場として設置されたが、入植者の増加や塩狩温泉の開業もあり、1924年(大正13年)から旅客駅として営業を開始した[4]

その立地から後述するように周辺他駅と比しても利用が僅少な状況が長らく続いており、2010年代以降のJR北海道による利用僅少駅の旅客扱い見直しにあたっては、2021年(令和3年)4月以降は和寒町が維持管理を受け持つ形で旅客扱いを継続している[新聞 1]

年表

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1977年の塩狩駅と周囲約500m範囲。上が名寄 方面。千鳥式ホーム2面2線であるが、上下線の真ん中に、今は撤去されて無くなった待避線が見える。貨物積卸場は無い。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

天塩国石狩国の国境にあることから[5]

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駅構造

隣の蘭留駅と同じく、相対式ホーム型がずれた形の千鳥式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な地上駅構内踏切で結ばれている[2]和寒町管理の無人駅。木造駅舎がある。

1993年(平成5年時点)では構内の旭川方のみ駅舎側が直進の片開分岐、稚内方は両開き分岐器を採用し、駅舎側が下り本線・反対側が上り本線となっていたが[2]、その後高速化にあわせて駅舎側を本線とした一線スルーになっている。また、かつては上下線の中央に待避線が1本あったが、無人化に伴い撤去された。

のりば

さらに見る 番線, 路線 ...
  • 2番線は一部列車のみ使用

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

さらに見る 年度, 乗車人員 ...

駅周辺

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塩狩峠記念館(2009年7月)

塩狩峠の頂上付近にあり、後述の当駅開業前に発生した鉄道事故、およびそれをモデルとした三浦綾子の小説『塩狩峠』に関連した施設もみられる。

その他

長野政雄の殉職

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長野政雄顕彰碑(2009年7月)

1909年(明治42年)2月28日8100形蒸気機関車牽引の名寄旭川行き最終急行列車塩狩峠の頂上付近(事故当時、当駅は未開業)に差し掛かった時、最後尾の客車連結器が外れ[注釈 2]、逆行・逸走する列車分離事故が発生した。乗り合わせていた鉄道院国鉄の前身)旭川鉄道運輸事務所庶務主任の長野政雄が[注釈 3]、デッキ上のハンドブレーキを操作して暴走する客車の停止を試みている最中、何らかの理由からデッキから線路上に転落した[12]。客車はしばらく走行した後に停止し、乗客にけが人や犠牲者はなかったが、長野は客車の下敷きになり殉職した[6][12](満28歳没)。

後に三浦綾子によって、この事故を基にした小説『塩狩峠』が発表され(1966年〔昭和41年〕連載開始)、1973年(昭和48年)には映画化もされた。前述のように長野の死亡経緯は不明であるが、作中では長野をモデルとした主人公・永野信夫の殉職理由は「列車を止めるべく、自らの意志でデッキから車両の前に飛び込んだため」という解釈がされている[12]

『塩狩峠』連載開始3年後の1969年(昭和44年)には構内に「長野政雄殉職記念碑」が建立され[4][7]、そののちには塩狩峠記念館・文学碑が立てられている。

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隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
普通
蘭留駅 (W36) - 塩狩駅 (W37) - 和寒駅 (W38)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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