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名古屋(なごや、英: Nagoya)は、愛知県西部の地名[1]。濃尾平野の中央部にあり、伊勢湾に臨む[1]。もとは尾張徳川氏の城下町で[2]、尾張国にあった。古くは那古野とも書き、その後名護屋とも書くようになっていた[1][2](表記ゆれがあった)。
この地がどれほど古くから「なごや」という音で呼ばれていたかは定かではないが、旧広橋家本「江家次第」裏書(東洋文庫蔵)にある「建春門院法花堂領尾張国那古野庄領家職相伝系図」に平安時代末期の荘園名として書かれているのが「初見」[3]つまり現在確認されている文書としては最も古いものだとされ、南北朝時代の写本「弘法大使御入定勘決記」(真福寺蔵)の奥書にも「尾張国那古野荘安養寺」と書かれている[3]。蓬左文庫のように、「蓬左」(ほうさ)という別名もあったという[3]。
戦国時代には今川氏がこの地に城を築いた。1532年(天文元年)、織田信秀が今川氏豊からその城を奪取し「那古野城」と改名した。
1610年 徳川家康がその子徳川義直と清洲城に入り、この名古屋の地を城地と定め、加藤清正ら諸大名に分担させて築城した[4]。そして義直が1616年にこの城に移り(尾張藩主となり)、この地は城下町として栄えてゆくことになった[4]。この地名の表記は、徳川氏によって名古屋城下が開かれた頃から「名古屋」と「名護屋」が併用されたが[4]、しだいに前者に定まったという[4]。
江戸時代には、上方と江戸の中間にある商業都市として栄えた[1]。
1870年(明治3年)名古屋藩監察令により、表記を「名古屋」に統一した[1]。
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