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名古屋市にある公共図書館 ウィキペディアから
蓬左文庫(ほうさぶんこ)、名古屋市蓬左文庫(なごやしほうさぶんこ、英称:Hosa Library, City of Nagoya)は、愛知県名古屋市東区徳川町の徳川園にある、尾張徳川家の旧蔵書などの文献資料を所蔵する公開文庫。
1616年(元和元年)に名古屋城(別名「蓬左城」)内に設けられた同家の書物庫「御文庫」を起源とし、1912年(大正元年)頃徳川義親により「蓬左文庫」と命名。1950年(昭和25年)に名称と蔵書の一部が名古屋市に売却譲渡され、1978年(昭和53年)以降は名古屋市博物館の分館として書籍の収集・保管、一般公開を行っている。2016年(平成28年)現在の蔵書数は約11万点。
蓬左文庫は、1616年(元和元年)、徳川家康の死去に際し、家康の九男で尾張徳川家初代の徳川義直に約3,000冊の蔵書(駿河御譲本)が分与されたことを機に、名古屋城内に創設された「御文庫」(尾張藩文庫)を起源としている[1][2]。
この文庫は義直の「決して門外不出とすべからず」との言に基づき、江戸時代から公開されていた。本居宣長が『古事記伝』執筆の際、資料を閲覧するために利用したという話もある[要出典]。
その後、歴代の尾張藩主によって蔵書数が増えていき、幕末期の蔵書数は約5万点と推定されていたが、明治維新後の混乱期に約3分の1が流出した[1]。
1912年(大正元年)頃、尾張徳川家の第19代当主・徳川義親により蓬左文庫と命名される[3]。義親は蓬左文庫の蔵書を整理し[2]、1931年(昭和6年)12月、財団法人尾張徳川黎明会を設立して同財団に尾張徳川家伝来の什宝や美術品とともに文献資料を寄付した[4]。
このうち文献資料約10万点は、1932年(昭和7年)に財団の施設として東京府高田町雑司ヶ谷に改組・新築された蓬左文庫に移され、1935年(昭和10年)から一般公開されることになった[1][5]。しかし開館後10年足らずで戦争のため休館することになり、のちに名古屋市に移管されるまで、蓬左文庫は閉館したままとなっていた[1]。
1950年(昭和25年)に、戦後の社会的混乱、経済的困窮を背景に、蓬左文庫の名称と蔵書・史料のうち約6.4万冊は徳川黎明会から名古屋市に売却譲渡・移管された[6][4]。このとき、藩政に関する文献資料は、同年に蓬左文庫から分離独立した徳川林政史研究所で別途保存・研究・公開されることになった[4]。
1951年(昭和26年)以降、蓬左文庫は名古屋市が管理する徳川園(旧尾張徳川家大曽根邸)の敷地内に設置され、一般公開が開始された[1][6]。
蔵書の大部分は和漢の古典や古文書、古絵図、尾張藩・尾張徳川家関連の資料で[2]、重要文化財の『続日本紀』、『侍中群要』、『斉民要術』、『河内本源氏物語(尾州家本源氏物語)』、『論語集解』などが含まれている[2]。2016年(平成28年)現在の蔵書数は、尾張徳川家伝来の古書など約11万点で、古地図などの絵図2千枚以上が含まれる[1]。
名古屋市所有、蓬左文庫保管の重要文化財は以下のとおり[7]。
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