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加賀野井 秀一(かがのい しゅういち、1950年5月28日 - )は、フランス哲学研究者、言語学者。中央大学理工学部教授を定年退任後は名誉教授。
高知県高知市生まれ。父・朗は高知新聞の記者。幼少期には父の転勤が多く、小学校は東京・高知・大阪と転校をくり返し、デラシネの生活をおくったという。大阪府池田市の北豊島中学校には同級生に、後に社会学者となる坂本ひろ子やコンピューター・グラフィックス専門家の高沖英二がおり、ロッキング・オンの渋谷陽一が一年下のクラスにいた。
高知市の土佐高校に進み、自由闊達な校風を身につけ、高校では二年先輩に英文学の大家・高山宏、劇作家・演出家の笠井賢一がいた。中央大学文学部仏文科に入学し、大学の指導教授はソシュール研究家の丸山圭三郎[1]だが、哲学科の木田元にも学ぶ。同級にはベルクソン研究家の前田英樹、モーパッサン研究家の三上典生、フロベール研究家の太田浩一らが在籍していた。
1974年大学を卒業し大学院に進み1983年博士課程単位取得満期退学。この間、1980年9月から1982年9月まで、ロータリー財団奨学生としてパリ第8大学(ヴァンセンヌ=サン・ドニ校)の博士課程に在籍。ポストモダンの思想家ジャン=フランソワ・リオタールと詩論家アンリ・メショニックの指導を受ける。
1987年中央大理工学部専任講師、1990年助教授、1998年教授。その他、東京学芸大学、白百合女子大学、駿河台大学、成城大学、早稲田大学、青山学院大学、法政大学などでも非常勤講師を勤める。また、1992年から今日に至るまで、朝日カルチャーセンター新宿、横浜、湘南、立川教室で哲学・言語学・日本語論・フランス史などの講座を開いている。現在は、中央大学の社会人向け「クレセント・アカデミー」、文京区主催「文京アカデミア」、八王子市主催「いちょう塾」でも教鞭をとり、中島義道主宰哲学塾カントでもメルロ=ポンティの講座に友情出演した。
モーリス・メルロ=ポンティ、フェルディナン・ド・ソシュールなどを研究著述し、また日本語論の著作を刊行する[2][3]。
研究以外では、1984年から5年間にわたって『朝日ジャーナル』の文化欄で美術評・音楽評を行ない、その後、週刊ポスト、週刊読書人、図書新聞などで多数の書評を手掛ける。2000年ごろからはテレビ関係の仕事も受け、『BS討論』(NHK)から『全国一斉日本人テスト』(フジテレビ)などのバラエティ番組にも出演。CBC中部日本放送では、音楽・美術番組『美音市場』を50本ほど監修した。
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