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京都府京都市にある小学校 ウィキペディアから
京都市立大宮小学校(きょうとしりつ おおみやしょうがっこう)は京都市北区大宮中ノ社町にある公立小学校である。
京都市立大宮小学校 Omiya elementary school | |
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北緯35度3分22秒 東経135度44分47秒 | |
過去の名称 |
大宮尋常小学校 大宮尋常高等小学校 京都市大宮国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1919年(大正8年)4月1月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B126210000046 |
所在地 | 〒603-8837 |
京都市北区大宮中ノ社町37 | |
外部リンク | 公式ホームページ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大正8年(1919年)に開校した小学校である。 学校名は開校当時の村名(大宮村)にちなむ。
通学区域は大宮学区の区域と一致する。なお、西賀茂氷室町については、当校の通学区域であるが、全域が鷹峯小学校(中学校は旭丘中学校)への区域外就学となる[4]。
卒業後は基本的に京都市立西賀茂中学校に進学する[4]。
大宮学区(おおみやがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。大宮小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。
大宮学区・大宮小学校の名称は、明治22年(1889年)から昭和6年(1931年)までの間存在した愛宕郡大宮村に由来する。大宮村は、明治22年に東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した[5]。大正7年(1918年)に大宮村の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区(のち昭和4年(1928年)に待鳳学区[注釈 1])となり、待鳳小学校の通学区域とされた。この大宮村の残余部を通学区域として大正8年(1919年)に大宮尋常小学校(現在の京都市立大宮小学校)が設置された。大宮村は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、同校を通学区域とする大宮学区となった[6]。
昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[7](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[8])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[7]。大宮国民学校の通学区域を単位として大宮町内会連合会が設置され[9]、戦後のポツダム政令[10]による解体ののち、住民自治の単位である大宮学区となった。
大宮学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになり[11]、昭和55年(1980年)には、柊野小学校の開校にあたり大宮学区の一部区域が同校の通学区域に含まれることで、新設の柊野学区の一部となり現在に至る[12]。
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[13]、大宮学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第7国勢統計区[注釈 2])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は16,449人、7,765世帯である。
大宮学区は、北側が雲ヶ畑学区、東側が柊野学区と上賀茂学区、南側が待鳳学区と紫竹学区、西側が中川学区と鷹峯学区に接する[14]。区域は、「大宮」「西賀茂」を冠称する町の一部により構成される。面積は10.09平方キロメートルである[注釈 3]。
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