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ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州レムス=ムル郡の町村 ウィキペディアから
レムスハルデン (ドイツ語: Remshalden, ドイツ語発音: [ˈrɛmshald̩n][2]) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州レムス=ムル郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町は、シュトゥットガルト地方(1992年まではネッカー中流域)およびシュトゥットガルト大都市圏に属す。
紋章 | 地図 (郡の位置) |
---|---|
基本情報 | |
連邦州: | バーデン=ヴュルテンベルク州 |
行政管区: | シュトゥットガルト行政管区 |
郡: | レムス=ムル郡 |
緯度経度: | 北緯48度48分41秒 東経09度26分14秒 |
標高: | 海抜 271 m |
面積: | 15.14 km2 |
人口: |
14,131人(2022年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 933 人/km2 |
郵便番号: | 73630 |
市外局番: | 07151, 07181 |
ナンバープレート: | WN, BK |
自治体コード: |
08 1 19 090 |
行政庁舎の住所: | Marktplatz 1 73630 Remshalden |
ウェブサイト: | www.remshalden.de |
首長: | ラインハルト・モルト (Reinhard Molt) |
郡内の位置 | |
地図 | |
レムスハルデンは、シュトゥットガルトの北東約 20 km、レムスタール内の連邦道 B29号線沿いに位置している。町域は、高度 237 m から 519 m に位置している。
レムスハルデンは以下の市町村に囲まれている(北から時計回り): ブロイニングスヴァイラー(ヴィネンデン市)、ベルグレン、ショルンドルフ、ヴィンターバッハ、ヴァインシュタット、ヴァイブリンゲン市に属す飛び地の森。
自治体レムスハルデンには、かつて同名の独立した町村であったブオホ、ゲラートシュテッテン、グルンバッハ、ヘプザック、ロールブロンの各地区からなる。
土地用途別面積 | 面積 (km2) | 占有率 |
---|---|---|
住宅地 | 1.73 | 11.4 % |
産業用地 | 0.66 | 4.4 % |
レジャー用地 | 0.22 | 1.5 % |
交通用地 | 1.71 | 11.3 % |
農業用地 | 6.89 | 45.5 % |
森林 | 3.16 | 20.9 % |
水域 | 0.14 | 0.9 % |
その他の用地 | 0.63 | 4.2 % |
合計 | 15.14 |
出典: Statistisches Landesamt Baden-Württemberg[3]
以下に示す各地区の面積は、2004年11月22日時点のものである。
地区 | 面積 (ha) |
---|---|
グルンバッハ | 473 |
ゲラートシュテッテン | 631 |
ヘプザック | 110 |
ロールブロン | 141 |
ブオホ | 158 |
合計 | 1,513 |
レムスハルデンの領域は、中世盛期にはシュヴァーベン公領の北部周縁領域にあたる Pagus Ramesdal(レムスガウ)の一部であった。中世後期以降、この地域は時代とともにアルトヴュルテンベルク(旧ヴュルテンベルク)、1806年からヴュルテンベルク王国、1918年からヴュルテンベルク自由人民州に属した。1938年、ナチ時代のヴュルテンベルクの地域再編に伴い、それまでオーバーアムト・ショルンドルフおよびヴァイブリンゲン(1934年からは「郡」)に属していた集落(具体的には、前者はグルンバッハ、ゲラートシュテッテン、ヘプザック、およびロールブロン、後者はブオホ)がヴァイブリンゲン郡に編入された。ヴァイブリンゲン郡は、1945年にアメリカ占領地区となり、新たに創設されたヴュルテンベルク=バーデン州に属した。そして1952年に現在のバーデン=ヴュルテンベルク州の一部となった。1973年の郡再編により、レムスハルデンの町域は新たに創設されたレムス=ムル郡に属すこととなった。
ブオホは、海抜 519 m に位置する、町内で最も高い場所にある地区であり、約700人が暮らしている。ブオホは1270年に初めて文献に記録されている。この集落はかつて、ヴィネンデン家の所領で、ノイフェン家を経由してロルヒ修道院領となり、宗教改革に伴ってヴュルテンベルクに属した。この領内では、アムト・ヴィネンデン(後のオーバーアムト・ヴィネンデン)、1808年からオーバーアムト・ヴァイプリンゲン、1938年からヴィプリンゲン郡に属した。後期ゴシック様式の聖ゼバスティアン教区教会は、塔内の内陣にロマネスク様式の部分が見られる。かつては広く知られていたブオホの旅館「ヒルシュ」の建物内に、1987年4月にヒルシュ博物館が設けられた。ここには12世紀から14世紀のブオホの陶磁器や19世紀初めから20世紀初めのブオホの詩人や画家の作品が展示されている。
ゲラートシュテッテンは、人口約4,700人で、海抜 225 m に位置している。ゲラートシュテッテン集落は、町内で最も早い時代、おそらく9世紀に建設された。最初の文献記録は、1291年1月8日に作成された文書に現れる。この文書には、Rufoni de Gerhartstetin という名が記されている。多くの貴族家がこの集落の一部をヴュルテンベルクからのレーエンとして統治した。1687年にこの集落全体が再びヴュルテンベルク領となり、初めはアムト・ショルンドルフ(後にオーバーアムト・ショルンドルフ)、1938年からはヴァイブリンゲン郡に編入された。ゲラートシュテッテンのコンラーツ教会は14世紀に礼拝堂として建設され、1491年に後期ゴシック様式に改築された。独自の教会区は1414年に設けられた。
グルンバッハは1142年に初めて文献に記録されている、この町で最も古い集落で、約6,000人が住む最も大きな地区でもある。ここには1328年にはすでにブドウ絞り器があったことが証明されており、ワイン造りの伝統については数多くの文書で証明されている。これらはシラー通りの3基の古いブドウ絞り器からも察知することができる。グルンバッハの象徴的建造物は1481年に完成した福音主義教区教会である。この教会はかつて聖ディオニシウスとフェラヌウスに献堂された防衛教会で会った。
ヘプザックの人口は約1,500人である。この集落は1299年に初めて文献に記録されている。後期ゴシック様式のヴェンデリンス教会は、1938年から1939年の道路工事のために取り壊された。1512年/1513年に制作されたマリア祭壇、洗礼盤と説教壇は、1957年に建設された十字架教会に納められた。1920年にはすでにここでは、シャツ工場が大きな重要性を担っており、年間約1,000着の青い運送業者用シャツを製造していた。
レムスハルデンで最も小さな地区であるロールブロンには約700人が住んでいる。ロールブロンは、1400年におそらくヴィンターバッハとともにシュタウフェン家の所領からヴュルテンベルク領に移管された際に初めて記録されている。当時は、わずか7戸が存在するだけであった。ロールブロンはシュタープスアムト・ヴィンターバッハに属し、1809年にヘプザックの一地区となった。その後短期間ヴィンターバッハに合併した後、1928年にオーバーアムト・ショルンドルフ内の独立した町村となった。1938年にショルンドルフ郡が形成される際、ヴァイブリンゲン郡に移管された。主力産業は何世紀もの間、ブドウと果実の栽培で、特にサクランボ栽培が盛んであった。これは集落の紋章に表れている。ロールブロンの福音主義クリストゥス教会は1965年に完成した。
レムスハルデンは、以下に示すバーデン=ヴュルテンベルク州の市町村再編によって成立した。
以下の表は、現在の町域における人口の推移を示している[6]。
地区別の人口は、毎年6月30日にレムスハルデン町の行政機関によって確定される。数値は州統計局の公的な数値とは異なっている。1961年と1970年の数値は人口調査結果によるものである。
年 | ブオホ | ゲラートシュテッテン | グルンバッハ | ヘプザック | ロールブロン | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
1961 | 432 | 3,127 | 3,232 | 768 | 353 | 7,912 |
1970 | 512 | 4,461 | 4,715 | 1,282 | 503 | 11,473 |
1980 | 620 | 4,374 | 5,310 | 1,573 | 668 | 12,545 |
1985 | 665 | 4,298 | 5,422 | 1,625 | 613 | 12,623 |
1997 | 686 | 4,697 | 5,808 | 1,607 | 709 | 13,507 |
2000 | 713 | 4,751 | 5,843 | 1,578 | 708 | 13,593 |
2005 | 673 | 4,739 | 5,966 | 1,564 | 686 | 13,628 |
2010 | 647 | 4,672 | 6,057 | 1,481 | 658 | 13,483 |
2013 | 647 | 4,697 | 6.154 | 1,443 | 647 | 13,588 |
2014 | 654 | 4,733 | 6,220 | 1,453 | 650 | 13,710 |
レムスタールのキリスト教生活は、フランク人に征服されたことによってアレマン人がキリスト教化された7世紀に徐々に始まった。グルンバッハには、古くからコンスタンツ司教区に属すカトリックの教会区があった。グルンバッハの現在の福音主義ディオニシウス教会は、1481年に先代の教会があった場所に、おそらく12世紀に建設され、パリのディオニュシウスに捧げられた。ゲラーデシュテッテンは中世にはヴィンターバッハの支部であった。ゲラートシュテッテンの現在の福音主義コンラーツ教会は14世紀に、コンスタンツ司教コンラートの栄誉に捧げる礼拝堂として建設され、1491年から後期ゴシック様式に改築された。ヴィンターバッハから独立した独自の教区は、1497年にコンスタンツ司教フーゴによって創設された[7]。
ヴュルテンベルク公ウルリヒは、1534年に公領の宗教改革を行い、それに伴って独自の福音主義領邦教会を創設した。レムスハルデンのそれ以前の教会に属す全住民が16世紀に "Cuius regio, eius religio" の原則[訳注 1]に従って福音主義に改宗した。
ヴュルテンベルク福音主義州教会に属す4つの教会は、2つの教会管区に分けられる。グルンバッハ、ゲラートシュテッテン、ヘプザック=ロールブロンの福音主義教会はショルンドルフ教会管区に属す。ブオホの福音主義教会はヴァイブリンゲン教会管区に属す。
レムスハルデンで活動しているこの他の福音主義組織としては、たとえばヴュルテンベルク・クリストゥスブントやグルンバッハの古敬虔主義協会連盟がある。
レムスハルデンの古い教会の住民は、ヴュルテンベルクに属していたため、1534年にウルリヒ公の下での宗教改革に伴って福音主義に改宗した。カトリック教会は1806年10月15日の宗教勅令の発効以後やっと復興され、ヴュルテンベルク王国ではカトリック教会と福音主義教会が同等となり、旧ヴュルテンベルクの領域に徐々に広まっていった。しかし、第二次世界大戦末までレムスハルデンの町域にカトリックの住民はほとんどいなかった。たとえば、1850年にグルンバッハに住むカトリック信者はわずか2人であった。1945年から1950年の中東欧からのドイツ人追放によって初めて、後のレムスハルデンに含まれる集落に多くのカトリック信者が定住し始めた。早くも1946年にグルンバッハにカトリックの教区責任者が任命された。1948年からバラッケがグルンバッハのカトリック緊急教会として機能した。グルンバッハ教区責任者管区は、1961年にロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区の完全に機能する教会区に昇格した。この教会組織は、1962年にゲラートシュテッテンの南部戦後住宅地に最初の常設の宗教建築を所有した。この新しい教会はテューリンゲンの聖エリーザベトの名の下に献堂された。1964年にグルンバッハに教区の中心となる教会が完成した。その守護聖人は大天使ミカエルで、レムスハルデンのカトリック教区の守護聖人でもある。2000年頃、カトリックの聖ミカエル教会には約 3,200人のカトリック信者が住んでいた。その後信者数は減少し、2015年末には約 2,800人となった[8]。聖ミカエル教区は現在、レムス=ムル首席司祭区のボイテルスバッハ、エンダースバッハ、ケルネンおよびレムスハルデン司牧共同体に属している。
レムスハルデンには新使徒派教会の組織があり、ゲラートシュテッテンに本部がある。
レムスハルデンの町議会は、選挙で選出された22人の名誉職の議員[9]と、議長を務める町長で構成されている。町長は町議会において投票権を有している。
在職年 | 町長 |
---|---|
1974–1975 | ヘルムート・クーンレ(委嘱) |
1975–1990 | ヴィンフリート・キュプラー |
1990–1991 | ベルント・フリートマン(第1副市長) |
1991–1999 | アンドレアス・シュペートゲンス |
1999–2013 | ノルベルト・ツァイトラー |
2013–2018 | シュテファン・ブライター |
2018- | ラインハルト・モルト |
レムスハルデンは以下の町と姉妹自治体関係にある[10]。
レムスハルデンはレムスタール内の連邦道 B29号線(シュトゥットガルト - アーレン)沿い、シュトゥットガルトとショルンドルフとの間に位置している。レムスハルデンは、シュトゥットガルトSバーン S2号線(ショルンドルフ - シュトゥットガルト - 空港 - フィルダーシュタット)によってシュトゥットガルトSバーン網に接続している。町内には、グルンバッハ駅とゲラートシュテッテン駅がある。
レムスハルデンには多くの企業がある。全国的に活動している企業としては以下のものがある:
この他、かつてレムスハルデンにあった企業あるいはレムスハルデンに起源を持つ企業は以下のものがある:
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
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