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イタリアの俳優 ウィキペディアから
マルチェロ・ヴィンチェンツォ・ドメニコ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni, 1924年9月28日 - 1996年12月19日)は、イタリアの映画俳優。第二次世界大戦後のイタリア映画を代表する二枚目スターで、国際的な人気を博した[1]。フェデリコ・フェリーニ監督作品への出演や、ソフィア・ローレンとのコンビで知られる。
Marcello Mastroianni マルチェロ・マストロヤンニ | |||||||||||||||||||||||||||||
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1950年代 | |||||||||||||||||||||||||||||
本名 | Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1924年9月28日 | ||||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 1996年12月19日(72歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | イタリア王国 フォンターナ・リーリ | ||||||||||||||||||||||||||||
死没地 | フランス パリ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イタリア | ||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1945年-1996年 | ||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 | フローラ・カルベッラ(1950年 - 1970年) | ||||||||||||||||||||||||||||
著名な家族 |
キアラ・マストロヤンニ(娘) ルッジェロ・マストロヤンニ(弟) ウンベルト・マストロヤンニ(叔父) | ||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||
『甘い生活』(1960年) 『イタリア式離婚狂想曲』(1962年) 『8 1/2』(1963年) 『ああ結婚』(1964年) 『ひまわり』(1970年) 『最後の晩餐』(1973年) | |||||||||||||||||||||||||||||
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弟ルッジェロ・マストロヤンニは俳優、叔父ウンベルト・マストロヤンニは彫刻家。フランス人女優カトリーヌ・ドヌーヴとの間に生まれた娘キアラ・マストロヤンニは女優。
1924年9月28日にイタリア中部の町フォンターナ・リーリの家具職人の家に生まれたマストロヤンニは、イタリアの首都ローマと北部の工業都市トリノで育ち、その後徴兵されて第二次世界大戦にイタリア軍の兵士として参戦した。
1943年9月8日にイタリアが連合国軍に降伏し、その後、イタリア北部がドイツ軍の占領下に入るとドイツ軍の捕虜収容所に入れられたものの、からくも脱出し、その後1945年までの間イタリア北部のヴェネツィアにいた。
第二次世界大戦が終結した1945年に演劇の世界に入り、ローマで映画の制作スタッフとして働くとともに、ローマ大学の演劇センターで俳優のレッスンを受け始める。その後イタリアを代表する巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督に才能を認められ、1947年にイタリアで公開された『レ・ミゼラブル』(原題: I miserabili)で俳優としてのキャリアをスタートさせる。
その後は『バストで勝負』(1955年)や『女と男』(1957年)、 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『白夜』(1957年)などに出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作『甘い生活』(原題:『La Dolce vita』)で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ、世界的な名声を得た。その後もフェリーニ作品では『8 1/2』(1963年)、『女の都』(1980年)、ローマにある巨大な映画撮影所「チネチッタ」のオープン50周年記念作品『インテルビスタ』(1987年)などに出演した。
また、イタリア女性らしさを演じている女優、ソフィア・ローレンとの共演も多く、前述の『バストで勝負』やヴィットリオ・デ・シーカ監督のコメディ『昨日・今日・明日』(1963年)[2]、『ひまわり』(1970年)、ロバート・アルトマン監督の『プレタポルテ』(1994年)など多くの映画で共演し、名コンビとなった。
『甘い生活』の新聞記者役に代表されるような、典型的な「イタリア人プレイボーイ」的な役を演じたことで知られ、二枚目ながら三枚目的な雰囲気を漂わせた、人間味溢れる演技が特徴的な性格俳優として評価された。『イタリア式離婚狂想曲』(1963年)では初のアカデミー主演男優賞にノミネートされ、その後も『特別な一日』(1978年)で同じく主演男優賞にノミネートされた。『黒い瞳』(1988年)では同賞とカンヌ国際映画祭主演男優賞の両方にノミネートされ、アカデミー賞は逃したものの『ジェラシー』(1970年)に次いで2度目のカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。
晩年の70代に至るまでイタリア映画を中心に出演を続けたが、前述の『プレタポルテ』などのアメリカ映画への出演や、日本化粧品メーカーのテレビコマーシャルなどにも出演している。また、1980年代前半に市川崑監督、市川森一脚本によるオール外国人キャスト、オール欧州ロケによるコメディ日本映画の主演予定が報道されたが、実現には至らなかった[要出典]。
1996年12月19日にフランス、パリの自宅ですい臓ガンで死去した。72歳没。葬儀はローマの教会で国葬扱いで行われ、多くの共演者やファンが世界中から駆けつけた。
遺作は、ポルトガルの巨匠、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の『世界の始まりへの旅』(1997年)。遺著(日本語版)に、アンナ・マリア・タトー聞き書きの『マストロヤンニ自伝 わが映画人生を語る』(押場靖志訳、小学館、2002年)がある。
若い頃からアニタ・エクバーグ、ソフィア・ローレン、フェイ・ダナウェイ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの女優などと浮名を流したが、結婚は生涯で1度、1948年にイタリア人女優のフローラ・カラベッラとのみであった。しかし後年マストロヤンニはマスコミのインタビューで、「本当に自分が心底愛した女はエクバーグとドヌーブの2人だけだった」と語った。
妻のフローラとの間に一女をもうけたほか、長年の愛人でフランス人女優のカトリーヌ・ドヌーヴとの間にも一女(女優のキアラ・マストロヤンニ)をもうけている。なお、『プレタポルテ』(1994年)など複数の作品でキアラと共演を行ったほか、ドヌーヴとキアラの母子は晩年のマストロヤンニの看護も行い、臨終にも立会っている。
生涯で約170作に出演し、その多くがルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ニキータ・ミハルコフ、テオ・アンゲロプロス、エットーレ・スコラ、ジュゼッペ・トルナトーレなどの名監督による作品である。
賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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ナストロ・ダルジェント賞 | 1955年 | 主演男優賞 | 『Giorni d'amore』 | 受賞 |
1957年 | 主演男優賞 | 『La fortuna di essere donna』 | ノミネート | |
1958年 | 主演男優賞 | 『白夜』 | 受賞 | |
1959年 | 助演男優賞 | 『夏物語』 | ノミネート | |
1961年 | 主演男優賞 | 『甘い生活』 | 受賞 | |
1962年 | 主演男優賞 | 『イタリア式離婚狂想曲』 | 受賞 | |
1963年 | 主演男優賞 | 『家族日誌』 | ノミネート | |
1964年 | 主演男優賞 | 『8 1/2』 | ノミネート | |
1965年 | 主演男優賞 | 『ああ結婚』 | ノミネート | |
1966年 | 主演男優賞 | 『華麗なる殺人』 | ノミネート | |
1971年 | 主演男優賞 | 『ジェラシー』 | ノミネート | |
1983年 | 主演男優賞 | 『Il mondo nuovo』 | ノミネート | |
1986年 | 主演男優賞 | 『ジンジャーとフレッド』 | 受賞 | |
1988年 | 主演男優賞 | 『黒い瞳』 | 受賞 | |
1991年 | 主演男優賞 | 『黄昏に瞳やさしく』 | 受賞 | |
1996年 | 主演男優賞 | 『Sostiene Pereira』 | ノミネート | |
1997年 | 特別賞 | - | 受賞 | |
アカデミー賞 | 1962年 | 主演男優賞 | 『イタリア式離婚狂想曲』 | ノミネート |
1977年 | 主演男優賞 | 『特別な一日』 | ノミネート | |
1987年 | 主演男優賞 | 『黒い瞳』 | ノミネート | |
ゴールデングローブ賞 | 1962年 | 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) | 『イタリア式離婚狂想曲』 | 受賞 |
1964年 | ヘンリエッタ賞 | - | 受賞 | |
1964年 | 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門) | 『ああ結婚』 | ノミネート | |
1977年 | 主演男優賞 (ドラマ部門) | 『特別な一日』 | ノミネート | |
1992年 | 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) | 『迷子の大人たち』 | ノミネート | |
英国アカデミー賞 | 1963年 | 外国男優賞 | 『イタリア式離婚狂想曲』 | 受賞 |
1964年 | 外国男優賞 | 『昨日・今日・明日』 | 受賞 | |
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 | 1964年 | 主演男優賞 | 『昨日・今日・明日』 | 受賞 |
1965年 | 主演男優賞 | 『ああ結婚』 | 受賞 | |
1983年 | 主演男優賞 | 『Il mondo nuovo』 | ノミネート | |
1983年 | 功労賞 | - | 受賞 | |
1986年 | 主演男優賞 | 『ジンジャーとフレッド』 | 受賞 | |
1988年 | 主演男優賞 | 『黒い瞳』 | 受賞 | |
1995年 | 主演男優賞 | 『Sostiene Pereira』 | 受賞 | |
1997年 | 功労賞 | - | 受賞 | |
サン・セバスティアン国際映画祭 | 1965年 | 男優賞 | 『カサノヴァ'70』 | 受賞 |
カンヌ国際映画祭 | 1970年 | 男優賞 | 『ジェラシー』 | 受賞 |
1987年 | 男優賞 | 『黒い瞳』 | 受賞 | |
イタリア・ゴールデングローブ賞 | 1976年 | 主演男優賞 | 『La donna della domenica』 『Per le antiche scale』 『Todo modo』 | 受賞 |
1978年 | 主演男優賞 | 『特別な一日』 | 受賞 | |
1984年 | 主演男優賞 | 『エンリコ四世』 | 受賞 | |
1986年 | 主演男優賞 | 『ジンジャーとフレッド』 『マカロニ』 | 受賞 | |
1991年 | 主演男優賞 | 『黄昏に瞳やさしく』 | 受賞 | |
ヴェネツィア国際映画祭 | 1989年 | 男優賞 | 『BARに灯ともる頃』 | 受賞 |
1990年 | 栄誉金獅子賞 | - | 受賞 | |
1993年 | 助演男優賞 | 『Uno、due、tre、stella!』 | 受賞 | |
ヨーロッパ映画賞 | 1989年 | 生涯貢献賞 | - | 受賞 |
セザール賞 | 1993年 | 名誉賞 | - | 受賞 |
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