マイアミ・ヒート

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マイアミ・ヒート

マイアミ・ヒートMiami Heat)は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンスサウスイースト・ディビジョン所属。NBAファイナル優勝は3回。チーム名はマイアミがハワイと同緯度にあり、暑いことから。また、白熱のHeatにも掛けている。

概要 マイアミ・ヒート Miami Heat, チームロゴ ...
マイアミ・ヒート
Miami Heat
2021-22シーズンのマイアミ・ヒート
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チームロゴ ゴールを通り抜ける燃えるボール
所属リーグ  NBA 
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  サウスイースト 
創設 1988年
チーム史 マイアミ・ヒート
(1988 - )
本拠
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フロリダ州マイアミ
アリーナ マイアミ・アリーナ(1988 – 1999)
カセヤ・センター(1999 - )
チームカラー 黒、赤、黄色[1][2][3]
     
主なスポンサー UKG[4]
オーナー ミッキー・アリソン
社長 ニック・アリソン英語版
GM アンディ・エリスバーグ英語版
ヘッドコーチ エリック・スポールストラ
優勝歴 3回
(2006, 2012, 2013)
ファイナル進出 7回(2006, 2011-14, 2020, 2023)
ディビジョン優勝 16回(1997-00, 2005-07, 2011-14, 2016, 2018, 2020, 2022, 2023)
永久欠番  1   3   10   23   32   33   40 
NBAGL提携チーム スーフォールズ・スカイフォース
公式サイト www.nba.com/heat
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歴史

要約
視点

チーム黎明期

創設1年目はシラキュース大学ロニー・サイカリーをドラフト1巡目で指名、 何故かウェスタン・カンファレンスミッドウェスト・ディビジョンに入れられ過酷なロードゲームを戦い続けたこと、戦力がまったく足りなかったこともあり、開幕当初は17連敗、結局15勝67敗で終わる。2年目には全体4番目でミシガン大学グレン・ライスを指名するも低迷は続いた。

ヒートが変わったのは4年目1991–92シーズン、ロン・ロススタインに変わりケビン・ローアリーがコーチに就任し。ドラフト全体5番目にミシガン州立大学スティーブ・スミスを指名、ボストン・セルティックスから移籍したブライアン・ショウ、成長したサイカリー、ライス、グラント・ロング、控えのビンボ・コールズ達の力もありイースタン・カンファレンス8位で初めてのプレイオフに進出した。しかし、全盛期のシカゴ・ブルズの前にあっけなく0勝3敗で一蹴された。

1993–94シーズンには42勝40敗でレギュラーシーズン初めての勝ち越しを決めプレイオフ進出、シーズン1位のアトランタ・ホークスに2勝1敗とリードしたが、最終的には2勝3敗で敗れた。スティーブ・スミスはこのシーズンの活躍が認められ1994年バスケットボール世界選手権のアメリカ代表(ドリームチームⅡ)に選ばれた。1994–95シーズンはスミスらを放出するという不可解なトレードで大幅なメンバー変更を行ったため、不本意なシーズンに終わった。

1995シーズンの終わり、アリソン家がオーナーとなりゼネラルマネージャーヘッドコーチパット・ライリーが就任、次々に革新的な選手補強を行った。この先、アロンゾ・モーニングティム・ハーダウェイジャマール・マッシュバーンエディー・ジョーンズらの力によりレギュラーシーズンはいつも上位で終わるが、プレイオフではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズ、ライリーがかつてコーチしたニューヨーク・ニックスなどには勝てずNBAファイナルには進出出来なかった。

ウェイドの時代

モーニングの腎臓病、その後の移籍などで再び低迷するかに見えたヒートであったが、2003年にはドラフト全体5番目でドウェイン・ウェイド、2004年にはトレードでシャキール・オニールを獲得し、再び強豪チームの仲間入りを果たした。2004-2005シーズンは59勝23敗でレギュラーシーズンを終えたが、プレイオフではウェイドの怪我もあり、カンファレンス決勝で3勝4敗でデトロイト・ピストンズに敗れた。

そのシーズンオフには、プレイオフに勝つことを主眼に、アントワン・ウォーカージェイソン・ウィリアムスゲイリー・ペイトンジェームス・ポージーらを獲得した。2005-06年は、レギュラーシーズンこそ52勝30敗で2位であったが、ライリーのヘッドコーチ復帰やウェイドの大活躍もあり、プレーオフでブルズ、ニュージャージー・ネッツ、ピストンズを、NBAファイナルでダラス・マーベリックスを破り、創設19年目で初の優勝を果たした。

初優勝後は選手の高齢化や故障者の発生などでチーム成績は低迷している。2007-2008シーズンには勝率がリーグ最下位まで落ち込み、オニールなど優勝メンバーの多くがチームを離れた。

その後、2008-2009シーズンのドラフトにおいて、マイケル・ビーズリーを1巡目2位で指名。トレードでショーン・マリオン(ただし2008-09シーズン中に移籍)やジャーメイン・オニールを獲得したことで、ヒートは再びプレーオフの舞台に戻ってきた。

三人の王の誕生 ~スリーキングス~


2009-2010シーズン後、FAとなっていたクリス・ボッシュがチームに加入。ほどなくレブロン・ジェームズもチームに加入することを発表。2003年ドラフトの同期であり、現役の各ポジションの第一人者であるウェイド、ジェームズ、ボッシュというNBA史上に残るスーパースタートリオがヒートに集結した。それと同時に、チームへの忠誠心を忘れて手段を選ばずスーパースターをかき集めたチームの手法は全米から厳しい非難を浴びている。スリーキングス誕生後、初となった2010-2011シーズンはレギュラーシーズンは好不調の波はあったがカンファレンス2位の好成績を獲得。プレーオフでは実力伯仲といわれたボストン・セルティックスシカゴ・ブルズを撃破し、チーム史上2度目のNBAファイナルへの進出を果たした。しかし、迎えたファイナルではダーク・ノヴィツキー率いるダラス・マーベリックスに2勝4敗と敗れ2度目のNBAチャンピオンには到達しなかった。期待されたスリーキングスは、レブロンを始めとして精彩を欠いた場面も多く、批判を浴びた。

2011-2012シーズンはシーズンMVPのレブロンの活躍もあり、カンファレンス2位の成績でプレーオフに進出。プレーオフはクリス・ボッシュの故障があったもののニューヨーク・ニックスインディアナ・ペイサーズを順当に破る。カンファレンス決勝ではボストン・セルティックスに先に王手をかけられるが、ボッシュの復活もあり逆転で勝利。続くファイナルは4-1でケビン・デュラントラッセル・ウェストブルックジェームス・ハーデンを擁するオクラホマシティ・サンダーを破り6年ぶり二度目の優勝を果たした。レブロンはレギュラーシーズンに続きファイナルMVPも獲得した。

2012-2013シーズンは連覇へ向けて、オフに歴代屈指の3ポイントシューターのレイ・アレンを獲得。チームは歴代2位のシーズン連勝新記録となる27連勝を達成、さらにヒートのフランチャイズ記録の66勝16敗でリーグ最高勝率を記録した。レブロンは昨シーズンに続きシーズンMVPを受賞。プレイオフではカンファレンス決勝でインディアナ・ペイサーズ、ファイナルではサンアントニオ・スパーズとの第7戦を制しNBA史上6チーム目となる連覇を達成した。第6戦、第7戦で大活躍をしたレブロンがファイナルMVPを受賞した。

スリーピート(三連覇)をかけた2013-14シーズンは、ファイナルまで危なげなく進んだが、前年の雪辱を期すサンアントニオ・スパーズの徹底したチーム・バスケットボールに対してレブロン一人で対抗するような結果となり、第5戦合計得失点差が-70点というNBAファイナル記録の惨憺たる結果で敗退した。

BIG3解体後

2014-15シーズン

2014年7月11日、FAになっていたレブロン・ジェームズが、古巣のクリーブランド・キャバリアーズに復帰。ドウェイン・ウェイドクリス・ボッシュクリス・アンダーセンらはヒートと再契約をしたが、シェーン・バティエは引退を表明。レイ・アレンジェームス・ジョーンズも、レブロンの後を追うべくヒートとの再契約を拒否(アレンは2015年3月4日に、2014-15シーズンはプレーしないことを表明。事実上の引退)。これによってヒート王朝は終焉を迎えた。新たにルオル・デンなどを獲得し、再出発を図った。

しかし、レブロンの抜けた穴は簡単に埋まるものではなく、開幕から怪我人が続出する不安定な戦いに終始。途中加入したハッサン・ホワイトサイドの大ブレイクや、ゴラン・ドラギッチの獲得などがあったものの、ウェイドは欠場が多く、ボッシュはオールスター戦後に肺血栓の症状を起こしていたことが発覚し、シーズン終盤を全休するなど、厳しい戦いを強いられた。2015年4月4日のデトロイト・ピストンズ戦に敗れ、2007-08シーズン以来のシーズン負け越しが決定。プレーオフ出場も逃した。

2015-16シーズン

2015年のNBAドラフトでは、デューク大学NCAAチャンピオンとなったジャスティス・ウィンスローを10位指名。

ウェイド以来の大物ルーキーとして迎えられたウィンスローはシックスマンとして守備面で効力を発揮。クリス・ボッシュが前シーズンに続き肺血栓を再発し戦線離脱するが、ジョー・ジョンソンの加入や、2巡目指名で入団したジョシュ・リチャードソンの台頭もあり、2シーズンぶりのプレーオフ進出、地区優勝も決めた。1回戦はシャーロット・ホーネッツを4勝3敗で退けたものの、カンファレンス準決勝ではトロント・ラプターズに3勝4敗で屈した。

2016-17シーズン

2016年7月、マイアミ・ヒートに3度のNBAチャンピオンをもたらしたドウェイン・ウェイドが、故郷シカゴへの帰還を決意し、シカゴ・ブルズと契約。大きな衝撃が走った。

チームは再び再編を余儀無くされるも、プレーオフ争いに参入。最終的には41勝41敗でブルズと同率で終了し、ブルズとの直接対決の関係でカンファレンス9位に終わったが、ハッサン・ホワイトサイドが台頭するなど、実りのあるシーズンとなった。

2017-18シーズン

ドラフトでは、1巡目14位でイドリス・アデバヨ(ケンタッキー大学)を指名した。 7月には、ボストン・セルティックスからFAとなっていたケリー・オリニクを獲得、ジェームズ・ジョンソン、ディオン・ウェイターズらロールプレイヤーと大型契約を交わした。

シーズン途中の2018年2月8日、昨シーズン開幕前に移籍したウェイドがトレードで復帰[5] した。ハッサン・ホワイトサイドの不調、ディオン・ウェイターズの怪我もあり、44勝38敗のカンファレンス6位に留まった。

2シーズンぶりに進出したプレーオフ1回戦では、3位のフィラデルフィア・76ersに1勝4敗で敗退[6]

2018-19シーズン

ジョシュ・リチャードソンがチームトップの平均16.6得点をマークするも、ゴラン・ドラギッチが36試合、ディオン・ウェイターズが44試合の出場に留まった。ハッサン・ホワイトサイドら高額契約の選手も低調な成績しか残せず、39勝43敗のカンファレンス9位。プレーオフ進出を逃した。

バトラーの時代

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ジミー・バトラー

2019-20シーズン

2019年のNBAドラフトにて全体13位でケンタッキー大学タイラー・ヒーローを指名した。

FA交渉解禁後、フィラデルフィア・76ersからFAとなっていたジミー・バトラーサイン・アンド・トレードで獲得し、ジョシュ・リチャードソンハッサン・ホワイトサイドを放出した。

バム・アデバヨはリーグ屈指のビッグマンに成長。ドラフト外入団のケンドリック・ナンが月間最優秀新人賞を3ヵ月連続で受賞、ダンカン・ロビンソンがフランチャイズ記録を塗り替える270本の3ポイントを決めるなど開幕から好調を維持した。トレードデッドライン直前にはミネソタ・ティンバーウルブズメンフィス・グリズリーズとの3チーム間トレードでアンドレ・イグダーラジェイ・クラウダーソロモン・ヒルを獲得した。オールスターにバトラー、アデバヨが選出された。中断期間を挟み、カンファレンス5位の44勝29敗でレギュラーシーズンを終えた。

プレーオフ1回戦では第4シードのインディアナ・ペイサーズに4連勝、カンファレンス準決勝では第1シードのミルウォーキー・バックスを4勝1敗で破った。カンファレンス決勝では第3シードのボストン・セルティックスを4勝2敗で退け、6年ぶりのNBAファイナル進出を果たした。イースタン・カンファレンスを第5シードが制するのは史上初。 迎えたファイナルでは、第1戦でゴラン・ドラギッチ、アデバヨ、バトラーが相次いで負傷。バトラーは出場を続け、第3戦、第5戦でトリプル・ダブルを達成したものの、BIG3時代のエースレブロン・ジェームズ擁するロサンゼルス・レイカーズに2勝4敗で屈した。

2020-21シーズン

前シーズンのCOVID-19の影響により、オフシーズンが72日しかなく、チームの一貫性を見つけるのに苦労したシーズンであった。結果的に、チームはプレーオフに進出したが、第1回戦で後のNBAチャンピオンであるミルウォーキー・バックススウィープで敗れた。

2021-22シーズン

シーズン開幕前のサイン・アンド・トレードでベテランガードのカイル・ラウリーを、FAでベテランフォワードのP・J・タッカーを獲得し、ドラギッチ、イグダーラがチームから去ることとなった[7]

このシーズン、チームは2013年以来となるイースタン・カンファレンス1位でプレーオフに進出した。第1回戦でアトランタ・ホークスを第5戦の末に破り、カンファレンス準決勝ではフィラデルフィア・76ersを第6戦の末に下した。迎えたボストン・セルティックスとのカンファレンス決勝は第7戦までもつれ込み、第4クォーター残り15秒でバトラーが3ポイントシュートを外し、そのまま試合終了となり、NBAファイナル進出を逃した。

2022-23シーズン

このシーズン、チームはイースタン・カンファレンス7位でシーズンを終え、プレーイン進出となった[8][9]アトランタ・ホークスとのプレーインゲームは敗れることとなったが[10]シカゴ・ブルズとのプレーイン最終戦をなんとか勝ちきり、チームは第8シードでプレーオフ進出となった[11]

プレーオフ第1回戦は、負傷によりヤニス・アデトクンボを欠いたミルウォーキー・バックスを第5戦の末に破り、第8シードのチームが第1回戦で第1シードを下した史上6番目のチームとなった[12]。そして、カンファレンス準決勝はニューヨーク・ニックスを、カンファレンス決勝ではボストン・セルティックスをそれぞれ下し、史上2番目となる第8シードのチームがNBAファイナル進出となったが、最終的にニコラ・ヨキッチ率いるデンバー・ナゲッツに第5戦の末に敗れた。

シーズンごとの成績

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シーズン  % プレーオフ 結果
マイアミ・ヒート
1988–891567.183
1989–901864.220
1990–912458.293
1991–923844.4631回戦敗退ブルズ 3, ヒート 0
1992–933646.439
1993–944240.5121回戦敗退アトランタ 3, ヒート 2
1994–953250.390
1995–964240.5121回戦敗退ブルズ 3, ヒート 0
1996–976121.7441回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ヒート 3, マジック 2
ヒート 4, ニックス 3
ブルズ 4, ヒート 1
1997–985527.6711回戦敗退ニックス 3, ヒート 2
1998–993317.6601回戦敗退ニックス 3, ヒート 2
1999–20005230.6341回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ヒート 3, ピストンズ 0
ニックス 4, ヒート 3
2000–015032.6101回戦敗退ホーネッツ 3, ヒート 0
2001–023646.439
2002–032557.305
2003–044240.5121回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ヒート 4, ホーネッツ 3
ペイサーズ 4, ヒート 2
2004–055923.7201回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ヒート 4, ネッツ 0
ヒート 4, ウィザーズ 0
ピストンズ 4, ヒート 3
2005–065230.6341回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ヒート 4, ブルズ 2
ヒート 4, ネッツ 1
ヒート 4, ピストンズ 2
ヒート 4, マーベリックス 2
2006–074438.5371回戦敗退ブルズ 4, ヒート 0
2007–081567.207
2008–094339.5241回戦敗退ホークス 4, ヒート 3
2009–104735.5731回戦敗退セルティックス 4, ヒート 1
2010–115824.7071回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ヒート 4, シクサーズ 1
ヒート 4, セルティックス 1
ヒート 4, ブルズ 1
マーベリックス 4, ヒート 2
2011–124620.6971回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ヒート 4, ニックス 1
ヒート 4, ペイサーズ 2
ヒート 4, セルティックス 3
ヒート 4, サンダー 1
2012–136616.8051回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ヒート 4, バックス 0
ヒート 4, ブルズ 1
ヒート 4, ペイサーズ 3
ヒート 4, スパーズ 3
2013–145428.6591回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ヒート 4, シャーロット・ボブキャッツ 0
ヒート 4, ブルックリン・ネッツ 1
ヒート 4, ペイサーズ 2
スパーズ 4, ヒート 1
2014–153745.451
2015–164834.5851回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ヒート 4, ホーネッツ 3
ラプターズ 4, ヒート 3
2016–174141.500
2017–184438.5371回戦敗退シクサーズ 4, ヒート 1
2018–193943.476
2019–204429.6031回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ヒート 4 , ペイサーズ 0
ヒート 4 , バックス 1
ヒート 4 , セルティックス 2
レイカーズ 4, ヒート 2
2020–214032.5561回戦敗退バックス 4, ヒート 0
2021–225329.6461回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
ヒート 4, ホークス 1
ヒート 4, シクサーズ 2
2022–234438.5371回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ヒート 4 , バックス 1
ヒート 4 , ニックス 2
ヒート 4 , セルティックス 3,
ヒート1ナゲッツ 4
2023–244636.5611回戦敗退セルティックス 4, ヒート 1
通算勝敗1,5211,364.527
プレイオフ163132.553優勝3回
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Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

主な選手

要約
視点

現役選手

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プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
F/C 13 バム・アデバヨ (Bam Adebayo) アメリカ合衆国 27 (1997/07/18) 6 ft 10 in (2.08 m) 250 lb (113 kg) ケンタッキー大学 
F 20 カイル・アンダーソン (Kyle Anderson) アメリカ合衆国 31 (1993/09/20) 6 ft 9 in (2.06 m) 230 lb (104 kg) UCLA 
G/F 18 アレック・バークス (Alec Burks) アメリカ合衆国 33 (1991/07/20) 6 ft 5 in (1.96 m) 214 lb (97 kg) コロラド大学 
G 8 ジョシュ・クリストファー (Josh Christopher)  アメリカ合衆国 23 (2001/12/08) 6 ft 4 in (1.93 m) 215 lb (98 kg) アリゾナ州立大学 
G 14 タイラー・ヒーロー (Tyler Herro) アメリカ合衆国 25 (2000/01/20) 6 ft 5 in (1.96 m) 195 lb (88 kg) ケンタッキー大学 
G/F 24 ヘイウッド・ハイスミス (Haywood Highsmith) アメリカ合衆国 28 (1996/12/09) 6 ft 4 in (1.93 m) 220 lb (100 kg) ホイーリング大学 
F 11 ハイメ・ハーケス・ジュニア (Jaime Jaquez Jr.) アメリカ合衆国 24 (2001/02/18) 6 ft 6 in (1.98 m) 225 lb (102 kg) UCLA 
F 16 ケシャド・ジョンソン (Keshad Johnson) アメリカ合衆国 23 (2001/06/23) 6 ft 7 in (2.01 m) 225 lb (102 kg) アリゾナ大学 
F 5 ニコラ・ヨビッチ (Nikola Jović) 6th セルビア 21 (2003/06/09) 6 ft 10 in (2.08 m) 223 lb (101 kg) セルビア 
G/F 9 ペレ・ラーソン (Pelle Larsson) スウェーデン 24 (2001/02/23) 6 ft 6 in (1.98 m) 215 lb (98 kg) アリゾナ大学 
F/C 42 ケビン・ラブ (Kevin Love) アメリカ合衆国 36 (1988/09/07) 6 ft 8 in (2.03 m) 251 lb (114 kg) UCLA 
G 45 デイビオン・ミッチェル (Davion Mitchell) アメリカ合衆国 26 (1998/09/05) 6 ft 0 in (1.83 m) 202 lb (92 kg) ベイラー大学 
G/F 55 ダンカン・ロビンソン (Duncan Robinson) アメリカ合衆国 31 (1994/04/22) 6 ft 7 in (2.01 m) 215 lb (98 kg) ミシガン大学 
G 2 テリー・ロジアー (Terry Rozier) アメリカ合衆国 31 (1994/03/17) 6 ft 1 in (1.85 m) 190 lb (86 kg) ルイビル大学 
G 12 ドリュー・スミス (Dru Smith)   アメリカ合衆国 27 (1997/12/30) 6 ft 2 in (1.88 m) 203 lb (92 kg) ミズーリ大学 
G 4 アイザイア・スティーブンス (Isaiah Stevens)  アメリカ合衆国 24 (2000/11/01) 6 ft 0 in (1.83 m) 185 lb (84 kg) コロラド州立大学 
C 7 カリル・ウェア (Kel'el Ware) アメリカ合衆国 21 (2004/04/20) 7 ft 0 in (2.13 m) 230 lb (104 kg) インディアナ大学 
G/F 22 アンドリュー・ウィギンズ (Andrew Wiggins) カナダ 30 (1995/02/23) 6 ft 7 in (2.01 m) 200 lb (91 kg) カンザス大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2025年03月12日

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保有するドラフト交渉権

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ドラフト年 指名順 選手 Pos. 国籍 現所属チーム 注釈 Ref
現在はなし
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マイアミ・ヒート栄誉

要約
視点
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永久欠番

ヒートは6人の背番号を永久欠番にしているが、そのうち5人だけがフランチャイズでプレーした選手である。マイケル・ジョーダンは、ヒートでプレーしていないにもかかわらず、表彰された最初の選手である。パット・ライリー監督は、2002-03シーズンのジョーダンのマイアミでの最後の試合の前に、彼のキャリアへの賛辞として背番号「23」を永久欠番にさせた[13]

2005-06シーズンには、ナショナル・フットボール・リーグ (NFL) のマイアミ・ドルフィンズへの貢献を称えプロフットボール殿堂入りクォーターバックダン・マリーノの背番号「13」を授与した[14]。しかし、13番のジャージは永久欠番にはしておらず、現在もヒートの選手たちが使用することが可能である。

さらに見る マイアミ・ヒート永久欠番, No. ...
マイアミ・ヒート永久欠番
No. 選手 Pos. 在籍期間 授与日
1クリス・ボッシュF2010–20172019年3月26日[15][16]
3ドウェイン・ウェイドG2003–2016
2018–2019
2020年2月22日[17]
10ティム・ハーダウェイG1996–20012009年10月28日[18][19]
23マイケル・ジョーダンG2003年4月11日[20]
32シャキール・オニールC2004–20082016年12月22日[21]
33アロンゾ・モーニングC1995–2002
2005–2008
2009年3月30日[22]
40ユドニス・ハスレムF/C2003-20232024年1月20日[23]
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コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

チーム記録

マイアミ・ヒートのチーム記録

脚注

外部リンク

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