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トマス・カニンガム・セイヤー(Thomas Cunningham Thayer、1960年11月7日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン。同国オレゴン州ポートランド出身。
オレゴン州ビーバートン郊外でビートルズや60年代ポップスを聴きながら育つ。70年代ロックに強い影響を受けて13歳でギターを始め、高校卒業後数々のローカルバンドでプレイしていた。
1981年11月にジェイミー・セント・ジェイムズと共にブラック・アンド・ブルー(Black 'N Blue)を結成。
1982年にはバンドごとロサンゼルスに引っ越し、LAクラブシーンで活動する。
1983年、ゲフィン・レコードと契約し、翌1984年にメジャーデビューを果たす。
1984年8月からエアロスミスのバック・イン・ザ・サドル・ツアーで前座を務める。同年11月には単独来日公演を行う。
1985年末、キッスのアサイラム・ツアーの前座を務め、ジーン・シモンズと親しくなる(ジーンは後にブラック・アンド・ブルーのアルバム2枚のプロデューサーを務めた)。
1989年、ブラック・アンド・ブルーがゲフィンに契約を切られ崩壊した後、ジェイミー・セント・ジェイムズと共に、フルメイクのキッス・トリビュートバンドCold Ginを結成。LAを中心に活動し、日本公演(Monster、川崎クラブチッタ、鹿鳴館など)も行った。
1980年代後半からバイトでキッスの雑用係をするようになり、1990年代はそれが本職となる。ジーンのパーソナルアシスタントとして、キッスの歴史書である『KISSTORY』の編集にも携わる。
1995年から1996年にかけて行われたキッス・コンベンションを企画実現(それが元でMTVアンプラグドのキッスオリジナルメンバー揃い踏み、さらにはキッスリユニオンへと繋がった)。
1996年から始まったキッスのリユニオン以降のツアーではツアー・マネージャーを務めた。また、過去に自ら作ったギターフレーズを忘れかけていたキッスのオリジナルギタリスト、エース・フレーリーにギターフレーズをレクチャーした。キッスのリユニオンに伴う様々な映像を記録編集して『セカンド・カミング(Second Coming)』を作り上げる。
2002年、キッスのエース・フレーリー脱退後、後任としてキッスの第9期メンバーとなった。メイクは前任者エースと同じスペースマン模様を施している。
2007年、ポートランドで開催されたブラック・アンド・ブルーのベネフィットコンサートに参加。
2009年、キッスのメンバーとして初めて、スタジオアルバム『ソニックブーム』の制作に正式に参加する。
2012年、キッスの20枚目のスタジオアルバム『モンスター~地獄の獣神』において、多くの曲をポール・スタンレーやジーン・シモンズと共作し、制作に大きく貢献する。ポールとジーンからは「トミーとエリック(ドラマーのエリック・シンガー)が、俺たちをバンドとして蘇らせてくれたのだ」と絶賛された[1]。
元キッスファン、ツアー・マネージャーを経てキッスメンバーになった経歴のため、ファン側から見た意見をメンバーに伝える役目もしている。寡黙で真面目な性格でもあり、ポール・スタンレーが「キッスとしてどうするべきか迷った時は、トミーに意見を訊く事にしている」と述べる程信頼されている。
キッス雑用係(ジーンのパーソナルアシスタント)時代は、ジーンのコーヒーを入れること、バンドのために移動先のホテルを予約、ポールの家の壁塗り、ジーンの家の雨どいの掃除など、公私に関わらず何でもこなしていた。
実父は、第二次世界大戦の欧州戦線で活躍した英雄ジェームス・B・セイヤー陸軍准将 (1922 - 2018)。96歳の長寿であった。
2006年にアンバー・ピークと結婚。同年6月4日、カリフォルニア州で結婚セレモニーが行われたことが同年6月5日付のオフィシャルサイトで報じられた[4]。
趣味はゴルフ。
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