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エリック・シンガー(Eric Singer、1958年5月12日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド出身のロック・ミュージシャン、ドラマー。
1984年にリタ・フォードのバックバンドの一員として、プロドラマーとしてのキャリアを開始。
1985年から1987年にかけてブラック・サバスで活動。『セヴンス・スター』と『エターナル・アイドル』の2枚のアルバムに参加した。
1987年にはブラック・サバスで共に仕事をしていたボブ・デイズリーの紹介により、ゲイリー・ムーア・バンドに参加。
1988年、レイ・ギラン(ブラック・サバス時代のツアーで共演した)やジェイク・E・リーらとバッドランズを結成するが、アルバム1枚で脱退(1989年ポール・スタンレー(キッス)のソロツアー参加のため)。その後アリス・クーパーのサポートを務める。
1991年に、病死したエリック・カーの後任としてキッスに加入。『リヴェンジ』(1992年)とライヴ盤『アライヴ3』(1993年)、『停電 (地獄の再会) 〜 Kiss アンプラグド』(1995年)、『カーニバル・オブ・ソウルズ』(1996年)に参加した。
1996年、キッスがメイクを復活させデビュー当時のラインナップに戻ったのに伴い、キッスを脱退。『リヴェンジ』に続くスタジオ・アルバムとなる予定だった『カーニバル・オブ・ソウルズ』は、一度は発売中止となったが、海賊盤対策のため1997年にようやく発表された。
1998年、キッス時代の盟友ブルース・キューリックや、元モトリー・クルーのジョン・コラビらと共にエリック・シンガー・プロジェクト (ESP)を立ち上げる。同年、ブライアン・メイのツアーに、コージー・パウエルの代役として参加。その後は、ギルビー・クラーク(元ガンズ・アンド・ローゼズ)やアリス・クーパーなどと共演。
2001年、キッスのオリジナルドラマー ピーター・クリスの脱退に伴い、ピーターのメイクをして再度キッスに復帰。
2003年、ピーター・クリスのキッス復帰に伴い、再度キッスを脱退する。
2004年、キッスからピーター3度目の脱退により、キッスに3度目の加入。それ以降は再びキッスの固定メンバーとなる。
2005年、ブルース・キューリックのバンドであるユニオンのサポート・メンバーとして来日した。
最初のキッス加入時は、バンド自体がノーメイク時代であったために素顔だったが、復帰後はメイクバンドに戻っていたので、メイクを施すようになる。なお、メイクはオリジナル・メンバーのピーター・クリスと同じキャットマン模様である。
また2000年以降、キッスがツアーしていない時期は、キッスメンバーでありながら、それ以前から参加していたアリス・クーパーのバンドや、自身のEric Singer Projectなど外部の仕事もこなしている[2]。
大の腕時計コレクターであり、高級時計界のアカデミー賞 「GPHG」(ジュネーブ時計グランプリ)の審査員として招かれている[3]。
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