サヴィル・ロウ (Savile Row)は、イギリス ・ロンドン 中心部のメイフェア にある通り 。オーダーメイド の名門高級紳士服 店が集中していることで有名。
通りはコンジット・ストリートとヴィーゴ・ストリートの間をリージェント・ストリート と並行して走っており、バーリントン・ガーデンにつながっている。英語 では客の要望に合わせた紳士服を仕立てる店を「ビスポーク・テイラー」というが、これは客に希望を話される(Be spoken)から作られた造語でありサヴィル・ロウ発祥であると言われている。かつてはウィンストン・チャーチル やホレーショ・ネルソン 、ナポレオン3世 などの顧客を抱え、チャールズ3世 など王族も通うことから「golden mile of tailoring 」の異名をもつ。
サヴィル・ロウ(1819年 の地図)
1731年 と1735年 にバーリントン・エステート(Burlington Estate、ロンドン 、ピカデリー にあるバーリントンハウス 周辺のエリア)(英語版 ) の開発の一環として建設され、当時のバーリントン伯爵リチャード・ボイル の妻であるドロシー・サヴィル の名前をとってサヴィル・ストリートと名付けられた[1] [2] 。当初は途中のボイル・ストリートまでしか通りがなかったが、1938年にコンジット・ストリートまで伸ばされて、東側にしかなかった建物は西側にも建設された。
サヴィル・ロウ(2005年)
当初サヴィル・ロウは軍の関係者やその家族の居住場所であり、首相小ピット やリチャード・ブリンズリー・シェリダン も同地に住んでいたことがある。しかし1800年代に入ると、紳士階級の間で服飾に関する興味が集まり始め、中でも着道楽として知られたジョージ・ブライアン・ブランメル はバーリントン地区、特に現在のサヴィル・ロウから2本南にあるコーク・ストリートの周辺の仕立て屋を支援していた。1846年 には現存する仕立て屋としてはサヴィル・ロウ最古として知られるヘンリー・プール が店をオープンしている。
1969年 には「ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウ」がオープンし、ショーウィンドウでの展示などサヴィル・ロウに新しい風を吹き込み、これらの「現代化」はリチャード・ジェームズやオズワルド・ボーテングなどによって1990年代まで続いた。
しかしサヴィル・ロウ地区の賃料の高騰やジョルジオ・アルマーニ による「時代遅れ」との批判などから、2000年代 中頃までに多くの紳士服店が移転もしくは閉店した。2005年 には、周辺の再開発が地場産業ともいえる紳士服業界を危機にさらしているとして、「サヴィル・ロウ・ビスポーク協会」を結成し、これらの問題に対処している。
ギーブス&ホークス
キャド&ザ・ダンディ(Cad & the Dandy)
13番地。
ストアーズ・ビスポーク(Stowers Bespoke)
13番地。サヴィル・ロウでもっとも新しい店であり、近年価格を抑えるために品質を犠牲にして中国 などで大量生産するという、衣料品業界の潮流に対抗するために、ギーブス&ホークスで25年間指揮をとったレイ・ストアーズによって2006年 に設立された。
スティード・ビスポーク・テイラーズ(Steed Bespoke Tailors)
12番地。1995年 に創業し、現在サヴィル・ロウで最も高い評価を得ているテーラーの一つである。テーラー一家に生まれたエドウィン・デュボイズはロンドン の服飾大学で学んだあと著名な裁断師であるエドワード・セクストンに師事、その後7年間にわたってアンダーソン&シェパードの工房に入った。2002年 にはエドウィン自身がスティード・ビスポーク・テイラーズ創業以来のパートナーであり裁断師であったトーマス・マーンと決別し経営権を掌握、2008年 9月にはエドウィンの長男 であるマシュー・デュボイズが社に加わった。現在エドウィンは海外の顧客にも対応するため年間4度以上はアメリカ合衆国 に渡っており、『GQ 』や『American Express Departures Magazine』等の大手ファッション誌でも紹介されている。
デーヴィス・アンド・サン(Davies and Son)
38番地。独立系のテーラーで、ジョージ・デーヴィスによって1803年 にハノーバー・ストリートで開業していたものが、1986年 に当地に移転してきた。スコットランド・ヤード の初期の制服のデザインを手掛けたほか、ハリー・S・トルーマン 、マイケル・ジャクソン 、カルバン・クライン 、ダグラス・フェアバンクスJr. 、クラーク・ゲーブル などの顧客を抱える。
ギーヴズ&ホークス(Gieves & Hawkes)
1番地。もともとは陸軍の軍服を仕立てていたホークスと海軍の軍服を仕立てていたギーヴズは18世紀 に設立された別々の会社であったが、合併して現在の形になった。伝統的な貴族階級向けの仕立て屋であり、英国王室により多くの御用達 の名誉を受けている。もともと軍服を仕立てていたがスーツのオーダーメイドに乗り出しその後は既成服や仕立てており、英国をはじめ海外にもいくつかの店舗を持っている。2017年に香港のリーファンに買収された後、現在は中国の山東如意集団傘下である。
ハーディ・エイミス(Hardy Amies)
14番地。エドウィン・ハーディ・エイミスによって1949年 に設立されたオートクチュール・メゾンで、エドウィンの引退後はイアン・ガーラントがデザイナーを務めている。年間で50万ポンド以上の売り上げを誇り、1955年 から1990年 まではエリザベス2世 の御用達となっていたほか、映画『2001年宇宙の旅 』の衣装を手がけたことでも知られている。
ヘンリー・プール(Henry Poole & Co)
15番地。貴族向けの歴史あるテーラーであり、1806年 にブランズウィック・スクエアで開業して以降家族経営を続けてきた。当初はナポレオン戦争 の影響もあり軍服を扱っていたが、1846年 にサヴィル・ロウに移転してきた。
ノートン&サンズ(Norton & Sons)
16番地。1821年 に設立されたテーラーで、19世紀の中頃にサヴィル・ロウへと移転してきた。若き日のウィンストン・チャーチル やハーディ・エイミスに服を仕立てたなど、ロンドン の着道楽たちに強いパイプを持っており、同社の大きな誇りとなっている。
チットルバラ&モーガン・アット・ナッターズ(Chittleborough & Morgan at Nutters Ltd)
12番地。1969年 のバレンタイン・デイ に「ナッターズ・オブ・サヴィル・ロウ(Nutters of Savile Row)」として開業した比較的新しい紳士服店である。ショー・ウィンドウを使った新しい経営戦略をとるなどサヴィル・ロウに新しい風を吹き込み、町全体の近代化に大きく貢献した。顧客にはベッドフォード公爵やザ・ビートルズ 、ミック・ジャガー といった英国を代表する有名人がいた。開業時からデザイナーを務めていたトミー・ナッターはこのほかにも既製服ブランドのナッターズを設立しており、ミック・ジャガーの結婚式のウェディングドレス やバットマン のジャック・ニコルソン の衣装、ビートルズのアルバム『アビイ・ロード 』のジャケットで横断歩道 を歩くメンバーのスーツのうちの3着のデザインを手掛けている。
オズワルド・ボーテング(Ozwald Boateng)
12番地。創業者のオズワルド・ボーテングはテーラーと共にデザイナーとしても活動しているため「ビスポーク・クチュリエ」ともいわれる。ボーテングはガーナ 出身で、1960年代後半よりロンドン北部で育った。16歳から仕立てをはじめ23歳のころには彼の母親のデザインした店をポルトベッロ・ロードに開店した。1990年 にサヴィル・ロウに店を構えて以降大きな信頼を勝ち得ており、顧客にはウィル・スミス 、ジェイミー・フォックス 、サミュエル・L・ジャクソン 、ラッセル・クロウ 、キアヌ・リーブス 、ミック・ジャガー など多くの有名人を抱える。2006年 にはアメリカ のケーブルテレビ 局が「ハウス・オブ・ボーテング」という、アメリカでのボーテングのクチュール・ラインの立ち上げについてのドキュメンタリー番組をロバート・レッドフォード とベン・シルバーマン のプロデュースで放送され、イギリスの新聞では「もっとも優れたアフリカ系イギリス人100人」に選ばれた。現在はフランス の高級ブランド、ジバンシィ のメンズラインのデザイナーも務めている。
独立系紳士服店
アバークロンビー&フィッチ(Abercrombie & Fitch)
アメリカのアウトドア専門店を屋号のルーツに持つアバークロンビー&フィッチ (A&F)は2007年3月にサヴィル・ロウに隣接するバーリントンに開店した新しい店舗であるが、サヴィル・ロウで働く職人達の反対を受けながらも、開店初日の6時間だけで28万ドルもの売り上げを記録した。現在でもサヴィル・ロウの店舗はA&Fのチェーンで最も利益をあげている店舗の一つであり、今まで気軽に行けないと思われていたサヴィル・ロウ周辺に多くの観光客をひきつけた。またファッション誌を独自で創刊したり新作のコレクションをインターネット で公開するなど新しい試みも積極的に行っている。
エヴィス(Evisu)
日本 の大阪 を発祥とするジーンズブランド。サヴィル・ロウに「サブロー」という名の店舗を持っていた。
サヴィル・ロウ・ビスポーク協会(The Savile Row Bespoke Association)はサヴィル・ロウやその周辺のビスポーク・テイラー産業を保護しようと2005年に結成された。会員にはアンダーソン&シェパード、チャーリー・アレン、オズワルド・ボーテング、アンソニー・J・ヒューイット、ノートン&サンズ、デーヴィス&サン、ヘンリー・プール、エヴィス、リチャード・アンダーソン、リチャード・ジェームズ、ハーディ・エイミス、ギーヴズ&ホークスなどがいる。
アップル・コアの旧本社ビル
ビートルズが設立したレコード会社アップル・コア の本部は3番地のビルにあり、ほかバッドフィンガー 、メリー・ホプキン などがこの建物にあったスタジオでレコーディングを行った。バンドとして最後の屋外演奏となった「ルーフトップ・コンサート 」もこのビルの屋上で行われた。2018年 現在は1階にアバークロンビー・アンド・フィッチ の子供用服飾店である「アバークロンビー・キッズ」が入店している。
シリーズの主人公、ジェームズ・ボンド がサヴィル・ロウのスーツ を愛用しているという設定になっているのは、映画『ドクター・ノオ 』での彼の台詞にもある通りだが、実際に映画本編で着用されているのは、ショーン・コネリー 時代は隣接するコンジット・ストリートにあったテーラー「アンソニー・シンクレア」で誂えたスーツを着用した。ロジャー・ムーア 時代もマウント・ストリートにある「ダグラス・ヘイワード」などのテーラーを利用した。
主人公フィリアス・フォッグは、サヴィル・ロウ7番地の屋敷に住んでいたと設定されている。なお、彼が所属していた「リフォーム・クラブ」はサヴィル・ロウから575歩歩いたところにあったという。
劇中に登場する国際諜報組織「キングスマン」は、表向き紳士服屋としてサヴィル・ロウに店を構えているという設定。外観と店内は11番地にある「ハンツマン&サンズ(Huntsman & Sons)」でロケを行っている。
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